朝の琵琶湖。昨夜の噴水の仕掛けはこんなだったんだ。「びわこ花噴水」と呼んでいるようです。
ホテルを後にして、バスで標高848mの比叡山を目指します。
次第に標高をあげてきました。
この画で見ると、比叡山のお山全部がお寺さんってな感じ。右から横川、西塔、東塔そして無動寺谷と並んでいる。私たちが訪ねるのは東塔と西塔だ。
約1時間でお山に到着しました。雨がパラパラ落ちている。あとはもっぱら辛い歩きとなるわけだ。
伝教大師 (最澄) と弘法大師 (空海) ともに平安初期仏教界の二大名星と称される。共に804年に遣唐使として入唐留学された。両師の交際は809年空海が比叡山に最澄を訪ねてからだ。などと書かれている。天台宗の最澄と真言宗の空海、仏教のことは全く分かりません。
比叡山西塔の武蔵坊にいた荒法師弁慶と書いてある。へぇ~それで武蔵坊弁慶っていうんだ。初めて知った。とにかく信長も恐れた延暦寺の僧兵のなかに弁慶がいたとは。
「古都おおつ観光ボランティア」と書いた帽子のガイドさん。この方も充実の第2の人生。
最初に延暦寺の象徴「根本中堂」にやってきた。が、覆いがかけられていて何も見えません。何回も火災にあったようですが、1571年織田信長による比叡山焼き討ちは有名な話。じゃあ誰が再建したのか。もちろんそれは知りませんでした。でも、この旅が教えてくれました。徳川家光によって1642年に現在のお堂が完成したのだといいます。そのお堂が昭和の大改修から約60年ぶりだという改修を2016年から行っており10年かけての大工事になるという。おいおいちょっと待ってくれ90歳になっちゃうよ。
「どうぞお参りください」と書いてあり工事現場もご覧くださいだって。
堂内は禁止がズラリ。屋根の高さまで上れるという階段を登るのでした。祀られているのは最澄自らが彫ったという薬師如来。お参りはできたとはいえ、撮影禁止ってのはほんとにつまらない。
私が写したものではありません。そうはいっても工事現場の写真が見たいと探していたら出てきました。こんな感じできれいに見学路が整っているのです。
工事現場を囲っている壁にこんなパネルが貼り付けてあった。右には比叡山が生んだ高僧として、法然、親鸞、道元、日蓮などのお名前が並んでおり、彼らが新しい宗派を誕生させました。とも書かれている。
次は大講堂です。この建物も右に見える鐘楼ともども1956年 (昭和31) に全焼しているといい、昭和39年にどこかから移築してきたようです。
少し回り込んで写しました。
大講堂正面。堂内にも入ってみましたがやはり撮影禁止。お伝えすることはありません。
この石段を登ったところに戒壇院があります。
正式な僧侶となるために規律を受ける、最も重要なお堂がこちらの戒壇院だそうです。ここもかっては赤く染められていたのでしょうか。この院が延暦寺で一番お気に入りの建物になりました。この姿をとどめておいてほしい。大改修なんて言って真っ赤に染め上げないでもらいたい。
今に残る最古の唯一の記録だという鎌倉初期の「鎌倉古絵図」に描かれている東塔。昭和の大再建のときには、この絵が参考にされたとか。
阿弥陀堂 その名の通り、御本尊は阿弥陀如来。延暦寺開創1150年を記念し、1937年 (昭和12) に建てられた先祖の回向道場だそうです。左には東塔。
開運の鐘 (世界平和の鐘) 1回50円だと書いてある。せこいはなし。
阿弥陀堂の横にあるのが法華総持院東塔。昭和55年 (1980) に再興されたといいます。
東塔での見学を終えて西塔に向かいます。