長谷寺の話をまとめたので、少し前に戻ります。
画像は、お借りしましたが、本当に台湾のすぐ近くですね。
5月14日にHさんのお嬢さん姉妹が、「蒼いとびら」に来てくださった時に、衝撃的な過去生の繋がりの話があり、私はペルシャ絨毯について調べていました。
記事にした通り、東大寺にペルシャ絨毯を奉納した「メヘラリ」さんの話もあり、東大寺と言えば「正倉院」ですし、私が以前から話している蘇我入鹿(そがのいるか)だったイルカの神が話してきました。
イルカの神だ。
お久しぶりです。
久しぶりだな。
イルカの神様は、以前に聞いた通り「正倉院」にいるのですか?
「正倉院」にいたり、甘樫(あまかし)のところにいたりするよ。
甘樫というのは、奈良県明日香村にある甘樫丘(あまかしのおか)のことらしく、蘇我氏の邸があったところですね。
続きです。
私)Hさんのお嬢さんは、何か関係しているのですか?
元ペルシャの織物を作っていただろう。
そう言われました。
私は日本で生まれたが、祖父はペルシャから渡って来たからな。
祖父は、まだ子供だったけれど、ペルシャ絨毯も一緒に来たのだよ。
だから、縁はあると思うよ。
面白いな。
1500年前の縁だということだから。
理解してくれて、ありがとう。
私はずいぶん前に蘇我入鹿のことを記事にしていました。
2014,2,11の記事でいろいろ調べていました。
🐷 イルカの神(蘇我入鹿)の話 その5
「正倉院」の宝物は、天武天皇(673年~686年)の時代からの物のようです。
「大化の改新」は645年で、入鹿はその時に暗殺されました。
祖父は、蘇我馬子ですが、渡って来たのは、もっと前の時代だとすると、1500年前というのは、大体合っているのかと思います。
そして、5月20日に話してきた神様がいました。
りーーーーたーーーー(利他)の心で、ありがとうございます。
どなたですか?
スーーーーカイウェイで来ました。
よーーーなーーーくーーーにーーー島の神です。
与那国島ですか?
沖縄に来てくださいね。
オモトの神の下にいます。
ちーーーずーーー(地図)見てくれればわかりますよ。
私は与那国島を地図で見てみました。
画像は、お借りしましたが、本当に台湾のすぐ近くですね。
続きです。
石垣島もいいですが、与那国島もいいところです。
沖縄は、50年前にやっと「やまとんちゅ」になりましたが、いつも大変なところでした。
もぐらのように生きていた人も沢山いますよ。
敵から隠れて生きてきたのです。
テストに合格したと聞きましたよ。
お名前は?
ヨナクニの神で大丈夫です。
らーーーーかん(羅漢)は、増やしてくださいね。
ありがとう。
話が出来て嬉しいです。
私も就いていいですか?
はい。
よろしくお願いします。
ということで、与那国島のヨナクニの神は
私の258番目の神様になりました。
沖縄の本土復帰50年は確かに合っていますが、もぐらのようにというのは、どうかわかりません。
与那国島に行くには、石垣島から船のようで、オモトの神が石垣島の於茂登岳にいるので、その辺りの島の神様の長になるのだろうなと思いました。
なぜ、ヨナクニの神が話してきたのかは謎ですが、丁度この頃にロンドンから帰国していたユカPさんが、お友達と石垣島に行っていたので、何かの繋がりだったのかと思いました。
私はほとんど動くことはないのですが、皆様と話していることで、また新たな展開になるのが、やっぱり面白いことですね。
モグラのような人たちは穴師という人たちかもしれませんね。
鉱脈や製鉄の民で、モグラとか土蜘蛛とかムカデと呼ばれた民かもしれません。
東南アジアから沖縄周りで来た人たちもいて、ヨナは聖書に出てくる魚のことで、最初に吐き出された島、みたいな意味のようです。
いつも、ありがとうございます
そういう人達がいたのですね。
いつも、ありがとうございます。