「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

吉野へ

2025-03-16 07:30:00 | 日記


11月のある日にIさんが家で祝詞を挙げていると、神棚が光ったそうですよ。
それはどうしてか?とラインがきていました。

🪷私のライン

神棚が光ったのは、ナシタの神(天照大御神)が行ったからだとミクネの神(天之常立之神)が教えてくれた。

ナシタの神だ。

お久しぶりです。

久しぶりだな。
うわついていないので、本当にがんばったと思うよ。
IもM子も。
利他の心でいてくれるからな。
伊勢に来るなら来たらいい。
待っているからな。


ということで、Iさんも私も伊勢神宮に行こうということになり、みゆきちゃんも今回は絶対行きたいということでした。
 
みゆきちゃんは、伊勢神宮に行くのが初めてで、以前から行きたい話はしていたのですが、お子さんが2人いる中で、なかなか日程が難しく、Iさんも仕事の都合もあるので、かなり忙しく行けないのではないか?と思っていたところに、みゆきちゃんからホテルを予約したという連絡があり、Iさんも私もそれに合わせて日程を決めることになりました。

みゆきちゃんが決めたのは、金曜日の夜遅くに伊勢に着く感じだったので、Iさんが考えたのは、金曜日の朝から吉野に行くという計画でした。
飛騨高山に行った時と同じ感じで、YUさんも一緒に行くことになり、朝に名古屋駅前集合になりました。

なぜ、吉野に行くことになったのかというと、金峯山寺(きんぷせんじ)の秋の御開帳の期間だったからですね。


【秋の御開帳】
期間:令和6年10月12日(土)~12月1日(日)
内容:世界遺産・国宝の「金峯山寺本堂・蔵王堂」の秘仏「金剛蔵王大権現」がご開帳されました


私は、以前に金峯山寺の青い仏像について、記事にしていたので、見たかったのもありました。


✩ キッチンカー「タニファー」と龍神の話


私は前日の木曜日は、上大岡のアパートに泊まりました。
上大岡から新横浜まで市営地下鉄で行くことが出来るので、名古屋待ち合わせには、丁度いいのです。

Iさんは、名古屋でレンタカーを用意して待っていてくれました。

奈良県の吉野に行くのに、なぜ名古屋がいいのかは、Iさんが緻密に計算した結果らしいです。
一番近い新幹線の駅は京都ですが、混雑が計り知れないし、帰りを考えて、名古屋にしたとのことでした。
 
Iさんは、ずいぶん前に求めた鏡の御守りを新しくするためで、YUさんは、以前に一度来たことがあり、感動したとのことで、楽しみにしていました。

とはいえ、吉野は奈良県にある訳で、Iさんのお陰様で、私はいつも旅することが出来ています。

吉野に着いた時は、雨が降っていました。




ケーブル乗り場の前にある案内所では、傘を貸してくれて、雨が止んだら金峯山寺で返してくれればいいと言われました。

そんなに激しい雨ではなかったので良かったです。







坂道を登って、金峯山寺に着きました。





平日だったので、それほどではなかったですが、やはり沢山の方がいらしていました。







私達は、本堂に入りました。
撮影は出来ませんが、蔵王権現像はやっぱり迫力があって、圧倒されました。

調べてみると、

金峯山寺蔵王堂の本尊の「蔵王権現立像」は、中尊が7.28m、向かって右側が6.15m、左側が5.92mです。

とのことで、大きさもさることながら、青い色が余計に迫力を感じさせますね。


続きます。


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粟津温泉 その2

2025-03-12 07:30:00 | 日記
キクリヒメが、泰澄(たいちょう)が話したいと言っているとのことでした。
 

私は、そもそも泰澄という名前をこの時初めて聞いたので、記事にするに当たり、調べてみました。


🌟泰澄(たいちょう、天武天皇11年6月11日(682年7月20日) - 神護景雲元年3月18日(767年4月20日))は、奈良時代の修験道の僧。
加賀国(当時越前国)白山を開山したと伝えられる。
越(こし)の大徳と称された。

『泰澄和尚伝記』によると、泰澄は越前国麻生津の三神安角を父、伊野氏の女性を母として、天武天皇11年(682)6月11日に生まれた。
幼い頃から普通の児童とは異なり、泥で仏像を作ったりしていたが、持統天皇7年(693)[11歳を重視すれば持統天皇6年(692)]にこの地を訪れた道昭が神童であることを見抜き、両親にその旨を伝えた。
14歳[元和本・大谷寺本では11歳]の時に十一面観音の夢告を受け、越知峯の坂本の岩屋に通い、後年この峰に籠もって修行に励んだ。

泰澄は霊亀2年(716)、白山神とみられる貴女の夢告を受けた。

養老6年(722)には浄定行者とともに都に赴き、元正天皇の病の治療にあたった。
その功から和尚は護持僧として禅師の位を授けられ、諱を「神融禅師(じんゆうぜんじ)」と号した。

天平宝字2年(758)からは越知峯の大谷仙崛に蟄居した。
神護景雲元年(767)には一万基の三重木塔を勧進造立し、勅使の吉備真備に付けて奉った。
このとき泰澄は3月に入定することを予言した。
同年3月18日、泰澄は予言通り結跏趺坐(けっかふざ)し、大日の定印を結んで、86歳で遷化(せんげ)した。


泰澄は、天武天皇とか持統天皇の頃に若い時を過ごしているので、かなり昔の人だとわかりました。
86歳という、長生きでもあったのですね。


そして、泰澄が話してきました。


泰澄だ。
私と話せる人がいるのだな。

泰澄様は神様ですか?

私は、神になって久しいよ。

今は神様の会議ですよね。

会議も終盤だから、大丈夫だ。
古代の「アワツ」のことも、わかったようだな。
「アワツ」と何度も言われたよ。

泰澄様は、何階層の神様ですか?

私は三階層にいるよ。
空海と同じだ。
空海は、大したものだな。
カラツの神もだ。
私も微力ながら、助けているよ。
私も就いていいか?

はい。

ありがとう。
M子は、ずっと変わらないと評判だよ。
利他の心が大事だからな。

はい。ありがとうございます。

昨日、アワツ神社に来たのはIだろう。
良く来たと、言っておいてくれ。
リストに載っているよ。
神のみぞ知ることがわかる人だからな。


泰澄は、私の277番目の神様になりました。


次に話してきたのは、そもそも、なぞなぞのように言ってきたタゴリヒメでした。


タゴリよ。
Iは、よく行ってくれたわね。
秩父と繋いでくれたわ。
マル(◯)よ。


それからしばらくして、泰澄が話してきました。


泰澄だ。
Iは、がんばって粟津温泉に来てくれたな。
私が粟津温泉を見つけたのだ。
元々白山の秘密があったからだな。
あの神社は、私がキクリヒメを呼んで作った。
元々は、寺だったけどね。
終わりにしたくないから、来てくれて助かったよ。


Iさんは、泰澄の像のところにお酒を供えたようです。







ちゃんと、応えてくれて良かったですね。



Iさんが行ってくれた粟津温泉ですが、最近「ヒルナンデス」で粟津温泉を特集していて、思わずテレビの画面を撮ってしまいました。



粟津温泉の「法師」さんは、以前にはギネス登録された最古の旅館だったそうですよ。

泰澄が見つけた温泉だから「法師」になったようですね。

いつか、行ってみたいと思いました。


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粟津温泉

2025-03-08 07:30:00 | 日記
前回で、タゴリヒメが「アワツ神社」を探してみてねと、言っていたので、私は地図で検索をしてみました。

すると、石川県小松市に粟津町があることがわかり、粟津神社はなかったものの、白山神社があることがわかりました。


🌟白山神社 (はくさんじんじゃ)

【御祭神】
伊弉諾尊 (イザナギ)
伊弉冉尊 (イザナミ)
菊理媛命(キクリヒメ)

【鎮座地】
小松市粟津町ワ88

【由緒】
粟津温泉「湯の街」を眺望する山上に鎮座まします「白山神社」は古く奈良時代より粟津保の総社として保円の人々により篤く崇敬されて来たお社である。
祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理媛命の三神を祀り奉る、昔白山宮と号し養老2年僧「泰澄(たいちょう)」の温泉発見に因み、社殿に白山妙理權現を安置したと伝へる。


私は、とりあえずIさんに伝えました。

私)白山神社のことを、タゴリヒメはアワツ神社と言っていたの。

Iさん)那谷寺のすぐ近くだよね。
神仏習合感ありありで、古墳もたくさんありそうなとこやね。
高速のインターは「粟津インター」という名前だよ。


彼は、宇多須神社に行った後に、粟津インターから粟津町に向かってくれました。


粟津ヤバイわ。
白山のパワースポット。
マジすげー!







彼は、近くにある木場潟公園から、白山を見ていたようです。


🌟木場潟は、柴山潟、今江潟とともに加賀三湖と呼ばれていた。
干拓により今江潟は姿を消し、柴山潟も3分の2ほどが陸地となったため、木場潟は唯一、元の姿をとどめる。
このため本来の植生が残り、岸辺や水辺では野鳥の姿を見ることができる。
木場潟の水郷風景は「いしかわの自然百景」に選定されており、ヨシ、マコモ等の群落にガマ、ヒメガマが混じり、コウホネ、イボビシオオカナダモなどの水生植物が見られる。
また、南東側には県内最高峰の白山を遠望することができる。


Iさんは、白山神社の前にある粟津温泉の共同浴場の「総湯」に入ったみたいですよ。







🌟粟津温泉の開湯は養老2年(718)、白山を開山した泰澄大師が白山山中で修行していたところ、白山大権現が夢枕に立ち、当地に霊湯が湧き出ている事を告げられたのが始まりと伝えられています。
泰澄は粟津温泉を発見すると弟子である雅亮法師(初代善五郎)に湯守を命じ、一時世界最古の温泉宿としてギネスブックに登録された(現在では慶雲館・慶雲2年:705年)法師旅館の由来となっています。
雅亮法師はさらに泰澄大師から授かった聖観世音と薬師如来を安置する為に泰應寺(現在の大王寺)を開山し粟津温泉の開発に尽力しています。
白山信仰の拠点の1つで全国の観音霊場の総納霊場であった那谷寺が近接していたところから正暦元年(990)には花山法皇、寛永17年(1640)には加賀藩(藩庁:金沢城)2代藩主前田利常(前田家3代目当主)(黄門様)などが参拝の際、粟津温泉を利用しています。


私は、泰澄大師を知らなかったのですが、Iさんはかなり尊敬していたらしくとても喜んでいました。


そして、彼が帰って来てからの朝に、キクリヒメが話してきました。


よーーーーわく(弱く)ならないで下さいね。

どなたですか?

キクリヒメです。
変わらないで下さいね。
利他の心でいて下さいね。
熱海の店は、良かったですね。

はい。お陰様です。

力が増す場所ですよ。
昨日、Iさんが知られていない粟津温泉に来てくれて、ありがとうと伝えてください。

はい。伝えます。

那谷寺(なたでら)の近くだったでしょう。

そのようですね。

アワツの地名がわかったのは、泰澄だったからですよ。
「アワツ」と、私が言ったからです。
アトランティスのことですけどね。
泰澄が話したいそうですよ。


キクリヒメは、伝説と同じことを言っていましたね。

ということで、泰澄が話してきました。


続きます。


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宇多須(うたす)神社

2025-03-04 07:30:00 | 日記
Iさんから11月半ばに📩がきました。


明日、金沢に行ってみようかな?
卯辰山の龍神さんとこ行って、「雲の絵」をもらえればと。
神社は、まだ絵を売ってるのかなぁ、、、


卯辰山の龍神の話は、私のブログの初期に出てきた話です。

そもそも、私が今のように振り子でいろいろ観ているのは、フーチ占いをしていたM先生との出会いからでした。

その時にも卯辰山の龍神の話を入れていますが、もちろん私は金沢に卯辰山とかその麓にある宇多須(うたす)神社があることは知りませんでした。

2012/11/25の記事です。
冒頭で、Iさんが言っていた「雲の絵」は、この時に出てきます。


✩ 占いのM先生に会ってきました。



そして、Iさんとの出会いは、彼が偶然見つけた卯辰山の龍神の記事からだったのです。

彼は、昨年この時のことを改めて私に伝えてくれました。


Iさんの📩


もう何度も話してきたことですが、
そもそも俺がねーさんのブログを見つけたきっかけは、
金沢の卯辰山にスゴイ龍神がいる、、、
と書いてある記事を偶然見つけたからです。

そのことは俺と一部の人しか知らないことだと思っていたし、
自分にとっての卯辰山の龍神さんは、
自分が絶望に満ちている時に救ってくれた恩義ある龍神さんでもあったので、
特別な龍神さんを認識してくれている人がいるのを見て、

「スゴイな、、」

と思ったのが最初のねーさんブログの発見の出来事となります。


そして、彼は私の記事を全部読んでから、コメントをくれるようになり、2015年2月1日に初めて会うことになるのです。
もう、10年前になるのですね。

そして、その年の6月に彼が金沢に行った時のことも続きの話になっていました。


✩ 卯辰山の龍神の話


✩ 卯辰山の龍神の話 その2



そして、昨年11月にIさんは宇多須神社に行って、「雲の絵」を求めていました。
私もしばらく行ってなかったので、私の分もお願いしました。





宇多須神社には、変わらず「雲の絵」があることがわかりました。





私達は「雲の絵」と言っていましたが、「瑞雲(ずいうん)」というのですね。


Iさんは、金沢に行ってタゴリヒメを感じたようなので、話を聞いてみました。


タゴリよ。
Iは、私のことがわかってくれて嬉しいわ。
アワツ神社に行ってみればいいわ。
探してみてね。


また、謎なアワツ神社と言われたので、私は探してみることにしました。


続きます。


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11月始めに その2

2025-03-01 07:30:00 | 日記
11月4日に話してきたのは、ギリシャの神のハデスでしたが、いきなりでした。


大森の貝塚と、東関森稲荷神社は繋がっているよ。

どなたですか?

ハデスだよ。
ランスが話したいと言っているよ。


ランスもたまに話してくる宇宙の神様ですね。
いつもは、アークトゥルスにいると聞いています。


ランスだよ。

アークトゥルスのですか?

アークトゥルスだが、今は出雲の会議に来ているよ。
昨日まで全体会議で、今日は休みだよ。
偉い神達は、帰って行ったよ。
明日からセミナーだから、準備をしている。
空海が話したいそうだ。


以前は、やる気のないスサノオノミコトが会議を仕切っていたのですが、今は空海とカラツの神が会議を仕切っているので、とてもスムーズになったみたいです。
偉くて古い神様は、全体会議が終わったら帰って行き、後はセミナー形式で勉強会をしているようです。
来賓の神様達は、海外だったり宇宙だったりするので、ランスも次の日からセミナーをするみたいですね。

そして、空海が話してきました。


空海だ。
スカイウェイを通してくれて、ありがとう。
東関森稲荷神社の三峯神社は、スカイウェイの通る道だよ。
繋がるのが、大森の貝塚と思ったIは大したものだな。


Iさんが、すぐに大森貝塚に行っていたことを、空海が言っていました。
私は行ったことはないので、そのうち行ってみようかと考えています。
大森貝塚を調べてみました。


🌟1877年(明治10年)6月17日に横浜に上陸したアメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、政府の許可を得た上9月16日に発掘調査を行った。
助手ら3人とともに土器、骨器、獣骨を発見し、9月29日にも訪れ、10月9日から本格的な発掘を行った。

1955年(昭和30年)3月24日には、国の史跡に指定された。
モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975年(昭和50年)に全て国の重要文化財に指定されている。


エドワード・S・モース博士は、日本に何度も来ていたことがわかりました。

よっぽど気に入ったのでしょうか?
日本からも、勲章が送られていたりしていることもわかりましたが、私が一番興味を持ったのは、この時代で87才まで生きていたこともスゴいことですが、両利きだったために、亡くなった後に脳を献体したということで、天才だったのかもしれませんね。



画像は、肖像画。


🌟左右の手で別々の文章や絵を描くことができる両手両利きであった。
著書の『Japan Day by Day』(日本その日その日)に掲載されたスケッチも両手を使って描かれたもので、両手を使うので普通の人より早くスケッチを終えることが出来た。
講演会でも、両手にチョークを持って黒板にスケッチを描き、それだけで聴衆の拍手喝采を浴びるほどであった。
脳を献体するという遺言も、両手両利きに脳が与える影響を研究してほしいというモースの希望によるものである。


11月8日に話してきたのは、私の筆頭の神様のミクネの神(天之常立之神)でした。
丁度、アメリカの大統領選挙が終わったタイミングでした。


ミクネだ。

トランプが勝ちましたね。

トランプが勝ったな。
だから、分断は起こらなかった。
ハリスが勝っていたら、トランプ支持者達が戦争を始めるかもしれなかった。
それほど、不満を持った人が多かったということだ。
これからが大変だと思うが、4年でゼロクリアになってまた変わるだろう。
トランプが4年生きていたらの話だよ。


まだ、トランプ政権は始まったばかりで、どうなるのかはこれからのことでしょうが、戦争にはならないようにして欲しいです。

神様の言う5番目の世界の終焉にならないように。。。


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