「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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飛騨高山の旅の後に その4

2025-01-30 07:30:00 | 日記
9月30日のミクネの神(天之常立之神)の話の続きですが、再録します。


ミクネだ。
笏(しゃく)はイチイの木で作るのだが、あの場所のイチイがいいということになったのだ。

誰が言ったのですか?

レイだよ。
ニギハヤヒがいいと言った。
あの場所のイチイの木は、位山のパワーが入っているからな。
私が天武天皇だった時に、既に伝わっていたよ。
飛騨高山に、稗田阿礼(ヒダノアレイ)がいたことも大きかったと思う。
キクリヒメは、アワツの女神だからな。
あの一帯は、昔アトランティスの人がいたのだよ。
Iが感じていた通りだよ。


また、謎な話になりました。
神様達は、以前から「アワツ」とよく言いますし、それは沈んでしまった「アトランティス」のことのようなのです。

私は、次の日にもそのことを聞いていました。


私)昨日言っていたアトランティスとはどういうことですか?

位山は水が両側に流れているだろう。

そうみたいですね。

アトランティスは、海の底に沈んでしまったが、キクリヒメは白山にいて助かったのだよ。
白山は、富士山より高い山だったからな。
水が引いた後、北アルプスの辺りにアトランティスの人達は住みついた。
ずいぶん昔のことだな。
四回目の世界の人達だから、ほとんど残っていなかった。
だから、日本は大事なのだよ。
遺跡という物はないが、魂は生きていたからな。
キクリヒメと話したらいいよ。


そして、キクリヒメが話してきました。


キクリヒメです。
アラアナの神を覚えていますか?

はい。那谷寺(なたでら)のですよね。

そうです。
私の子供です。
私は白山にいて、助かりました。
極一部の人の話です。
位山から白山に掛けての辺りに住んでいましたよ。
福井県に恐竜の骨が出るのは、そういうことです。
恐竜は、私達と仲良しでしたからね。
アラアナの神が話したいそうです。


ずいぶん前の旅の話がまた繋がってしまいました。
神様達に言われて行った金沢の旅がありましたが、それは真脇遺跡に行って欲しいということからでした。


☆アトランティスのアラアナの神の話



Iさんの「飛騨高山徒然」のブログ記事は、一度読んでいましたが、改めて読んでみると、理解が深まりました。

彼は、絶対4日の締め切りを守って記事を作っていますが、そういうところはやっぱり浮ついていない人なのだと思います。


★飛騨高山徒然 10




画像は、Iさんの記事に出てくる、日本列島が出来る過程の地図。


そして、アラアナの神が話してきました。
 

続きます。


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飛騨高山の旅の後に その3

2025-01-27 07:30:00 | 日記
空海の次に話してきたのは、テジカラオでした。


テジカラオだ。
Iは、だいぶ良くなったみたいだな。
 
はい。

マイコプラズマ肺炎になっていたからな。

そうだったのですね。

M子が手当てしたから、良かったのだよ。
「モナド」のエネルギーは、ハンパないからな。
言霊というのは、言って始めて繋がるのだよ。
「ありがとう」と7回言う話があっただろう。

はい。

「ありがとう」は、魔法の言葉だからな。
声は、出すことが大事だよ。


次に話してきたのは、私の話ではテジカラオの奥さんのアメノウズメでした。


アメノウズメです。
三鷹にたまには、来てくださいね。
稗田阿礼(ヒダノアレイ)の話をしていましたね。

はい。

稗田阿礼は、私の系譜でしたよ。
優れた巫女として、生まれたのです。
M子さんは、50代になって開花しましたが、稗田阿礼は20代でしたからね。
死んだのは、50才前でしたから、今と比較は出来ないですね。
昔は、人生50年でも永い方だったのですよ。
今は100才まで生きる人が増えましたからね。
浅い人生より、深く永くがいいに決まっています。


確かにしばらく三鷹に行っていません。
私が最初に言われたのは、もう10年以上前になりますが、神様達の言われるままに行った場所でもありますね。

三鷹、熱海、真脇、富士、、、、

結局、熱海にはマンションを買い、お店まで出すことになってしまいましたが、アメノウズメに言われた通り、私はその時50代になっていました。

昔の人は、人生50年という短い生涯で、子供も10代で産んでいたりする訳ですから、今とは比較出来ませんね。


9月29日に話してきたのは、サン(スサノオノミコト)でした。


スサノオノミコトだ。サンともいう。
浮ついていないからいいのだと、最初に言ったよな。

はい。言われましたね。

浮ついているというのは、一貫性が無いことだ。
一貫性のある人の方が少ないのだよ。
M子は、いつも変わらないから話したくなるのだ。
つまり、平坦だということだな。
テラ(地球)の未来は心配だが、まずは日本が大事だからな。
アワツのことがわからないと、難しいのだよ。
鳩(サブレ)の缶、ありがとう。

何に使っているのですか?

「鳩の缶」は、中が大事なのだよ。
白の缶の中には、秋の世界が描いてあるだろう?

はい。そうですね。

天狗の団扇(うちわ)がいいのだよ。
だから、白がいいと思ったよ。
中に塩を入れてくれよ。
少しでいいよ。
下の方に少しでね。


私は、「鳩サブレ」の缶を夏にYUさんにいただきましたが、中をしっかり見たことはなかったので、缶を開けて見て、サンの言う通りだったことに驚きながら、私のプラス80の塩を入れておきました。


9月30日に話してきたのは、ミクネの神(天之常立之神)でした。


ミクネだ。
笏(しゃく)はイチイの木で作るのだが、あの場所のイチイがいいということになったのだ。


笏(しゃく)については、Iさんから質問があったことからでしたが、改めて調べてみました。


画像は、お借りしました。

🌟中国では官人が備忘として書きつけをするための板であったとされている。
6世紀に中国から伝来し、日本では初めは、朝廷の公事を行うときに、備忘のため式次第を笏紙(しゃくがみ/しゃくし)という紙に書いて笏の裏に貼って用いていた。後に、重要な儀式や神事に際し、持つ人の威儀を正すために持つようになった。


★ 飛騨高山徒然 3



ミクネの神の話は、まだ続きます。


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飛騨高山の旅の後に その2

2025-01-24 07:30:00 | 日記
私は、古事記編纂者の1人、稗田阿礼(ひえだのあれ、ひだのあれ)は、よく知らなかったので、調べてみました。


🌟稗田阿礼については、「古事記の編纂者の一人」ということ以外はほとんどわかっていない。
同時代の『日本書紀』にも、この時代の事を記した『続日本紀』にも記載はない。
『古事記』の序文によれば、天武天皇に舎人(とねり)として仕えており、28歳のとき、記憶力の良さを見込まれて『帝紀』『旧辞』等の誦習を命ぜられたと記されている。

舎人(とねり)とは、律令制で天皇や皇族に仕えていた下級官人のことで、護衛や雑役、宿直などの任務を担っていた。


男か女かという論争もあり、結局はわからない状態みたいです。


写真はお借りしましたが、飛騨の「せせらぎ街道」にある看板には、「生誕の地」となっているようですよ。

前回にミクネの神(天之常立之神)が、天武天皇だった時に仕えていたという話がありましたが、時代は合っているようですね。
 
飛騨は、税の代わりに「匠(たくみ)」の人達が朝廷に仕えていたということだったので、その人達から稗田阿礼について、伝えられたことだったのかもしれないと思いました。


9月27日にいきなり話してきた存在がいました。


スカイウェイで来たよ。

どなたですか?

アワツのことがわかる人だと聞いた。
古代にはわかる人がいたが、今はいないようだな。
利他の心でいるからだと、教えてもらった。
担当しているのはモーーーーネーーーーと言うよ。

モネですか?

そうだ。
アトランティスのモネだ。

海の底にいるのですか?

海の底には、レムリアとアトランティスがある。
いつも、栄華があり破壊になっていく。
今の世界も破壊に向かっているな。
アフリカの人口が止まらない。
先進国は、衰退していく。
子供のいない世界は、終わっていく。
子は、宝なのにな。
残念だ。
死んでも行く肉体が無くなってしまう。
だから、パンクしちゃうよ。
アトランティスも同じだった。
アワツのことだな。


私は、少し前に記事にした時の世界地図を思い出していました。


☆ アーナンダと親鸞の話




アトランティスのモネが言っていたように、今人口が増えている地域はアフリカが一番で、いわゆる先進国は本当に青く寒々しいですね。

日本は、出生率の低下の話がいつも言われていますが、解決策はあまり無いように感じてしまいます。

私も子供がいないので、何とも言えませんが、今は多様化の時代で、実際子供を育てるのも難しくなっているように思いますね。
 

🌟2024年に国内で生まれた日本人の子どもは、68万7千人程度と推計され、70万人を下回る見込みとなったことがわかった。
統計のある1899年以降、過去最少を更新する見通しだ。
国と同じ方法で朝日新聞が計算した。
2年前の22年に77万759人となり初めて80万人を割ったばかりで、少子化に歯止めがかからない状況が続く。


朝日新聞の記事をお借りしましたが、たった2年で10万人も減ってしまっているのだと思うと、やっぱり大変なことだと思います。

まさかのアトランティスのモネからのことでしたが、世界で起こっている戦争もなかなか終息しないし、アメリカも政権が代わり、どうなっていくのか、、、

日本の平和を祈るしかないですね。


9月28日に話してきたのは、空海でした。


空海だ。

お久しぶりです。

久しぶりだな。

もうすぐ、神様達の会議ですね。

会議が始まるから、忙しいよ。

私達が、飛騨高山に行ったのは、良かったのですか?

水無神社は、中心になっているよ。
位山が、ということだな。
富士の動きが、日本列島全体の動きになるからな。
連動の話だよ。
地図で見たらいいが、位山も抑えの山なのだよ。
止めに行ってくれて、ありがとう。
Iに言っておいてくれ。


確かに位山を地図で見ると、太平洋側と日本海側に水が流れていて、中心という意味もわかります。
今回、Iさんが具合の悪い中をがんばって行った甲斐はきっとあったのだろうと感じています。

富士山の近くにいるK会長も、電話した時に、地下のマグマが動いている話をしていて、やっぱり感じる人は感じるのだと思ったので、とりあえず昨年が何も無くて良かったと、私は思っています。


続きます。


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飛騨高山の旅の後に

2025-01-19 07:30:00 | 日記
飛騨高山へIさんとYUさんと無事に行けたのは、本当に奇跡的なことだったと思います。

Iさんの熱がずっと下がらない状態だったからですね。
待ち合わせの名古屋駅前で、彼を見た時は弱り切っていたし、声も出なくなっていたし、本当に行って大丈夫なのか?と私もYUさんも思いました。

前回までにまとめた通り、かなりハードな一泊二日の旅でしたが、私は言われるまま、彼の背中から手を当てて、少しでも良くなるようにと思っていました。


帰って来てからいきなり話してきたのは、テジカラオでした。


熱海の部屋はいいな。
死が別つまで、頼んだよ。

どなたですか?

テジカラオだよ。
飛騨高山に行けて良かったな。

はい。

Iは、熱が下がらなくて意味があったのだよ。
熱が出るというのは、炎症があるからだ。

どこにですか?

肺に菌がいたんだよ。
 
マイコプラズマですか?

マイコプラズマだな。
だから、邪魔とかではないよ。
左肺にいたが、M子が手を当てたから大丈夫だ。


実際、原因は何だったのかわかりませんでしたが、病院で診てもらった時にマイコプラズマ肺炎も流行っているからと、医師には言われたらしいです。

元々は、子供が掛かる病気みたいですが、この頃は本当に蔓延していて、少し後にみゆきちゃんの子供達も掛かっていたので、どこからかもらっていたのかもしれませんね。

帰ってからも、彼の具合は聞いていましたが、とりあえず治ったので良かったです。


9月22日にIさんから質問がありました。


古事記編纂者の1人、稗田阿礼(ひえだのあれ、ひだのあれ)は飛騨の阿礼だと思うのだけど、違う?


私は、やっぱり良くわからないので、ミクネの神(天之常立之神)にすぐ聞いてみました。


ミクネだ。
稗田阿礼は、アワツのことがわかった人だよ。
アワツとは、アトランティスのことだな。
宝のような人だったよ。
女だった。
稗田阿礼は、私が見つけたからな。

ミクネの神が天武天皇だったからですか?

そういうことになるな。


私は、ずいぶん前の記事で、ミクネの神が天武天皇だったと言っていたことを思い出していたので、聞いてみました。
 

☆天武天皇だったミクネの神



そして、次の日にもミクネの神は、話してきました。


稗田阿礼は、飛騨の巫女だったな。
優れた人だと、評判になったのだ。
だから、呼び寄せたよ。
アワツのことは、なかなかわからないからな。
新たな人は、1000年前の伊勢の巫女だったからな。
M子は、1000年ぶりの人だよ。

わかった人は、他にもいたのではないのですか?

もちろん、他にもいるが、M子のような人はいないな。
頭で考える人は、無理なのだと思うよ。
M子は、何も考えないからそのままが入るのだろう。
M(先生)に会ってよかったな。
このチャートも手に入れてよかったな。

そうですね。

熱海に家を買って、店出せて良かったな。

はい。

SAと、仲良くなって良かっただろう。


SAさんは、熱海のお店の大家さんのイトコで同じビルに住んでいる方です。
彼は、部屋の管理などもしていますが、自然農法の勉強もしていて、農園で出来た野菜もよく下さったりして、それがとても美味しくて助かっています。
 


ミクネの神は、始めから仲良くしたらいいよと言っていましたが、その通りだったと思っています。

それにしても、私が何も考えていないから良かったと褒められたのか?は疑問ですが、やっぱり、話はずっと続いているので、言われた通り、ブログを始めて良かったですね。


続きます。


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飛騨高山へ その4

2025-01-16 07:30:00 | 日記
最近の私は、横浜の自宅と熱海のマンションを行ったり来たりしています。

大体が、日曜日に熱海に向かい水曜日に横浜に帰って来る感じです。
gooブログが、1月2日にDDos攻撃を受けて、私もブログにログイン出来なくて困っていました。
1月14日に全面的に復旧したという記事を読んで良かったと思っていたのですが、15日(水曜日)熱海発10:18の電車に乗って次の記事を下書きしようとすると、またログイン出来なくなっていました。

またまた、gooが10:20からDDos攻撃を受けていたようで、本当に大変なことだなと思います。

今朝のテレビ朝日の「モーニングショウ」で、DDos攻撃について解説していました。
お店に入ろうとしていた時に、いきなり沢山の人がお店に入ってしまったので、入れなくなってしまう状態だと言っていて、これからもいろいろな企業も攻撃が増えるのかと思うと、ネット社会は便利を作ってきましたが、不便も多くなるのでしょうか。



さて、飛騨高山の続きの話です。

私達3人は宮川のところで、朝食のおにぎりを食べた後は、櫻山八幡宮に行きました。







拝殿でご挨拶をして、境内を巡りましたが、ここの秋葉社は急な階段の上にありました。







看板には80段と書いてありますが、もっとありそうに見えて、とても急な階段なので迫力がありました。

下からの写真も撮ってみました。



Iさんは飛騨高山に何度も行っていて、丁度この神社の高山祭に遭遇したこともあったようですよ。


🌟一般に高山祭といわれるのは、春(4月14日、15日)と秋(10月9日、10日)の年二回あるように思われがちですが、春と秋では、お祭を行う神社も地域も屋台も全く違います。
春は日枝神社、秋は桜山八幡宮の例祭です。

古くから飛騨の国は、大和朝廷ヘ、税のかわりに匠(たくみ)を毎年送り出しました。
選ばれて都ヘ出た匠たち(毎年100人~130人)は、奈良の都の宮殿や、お寺の建築に従事してその腕をふるいました。

匠が都ヘ送られた期間はおよそ600年、延べにして7、8万人の飛騨人が一年間都で働いたことになります。
この人たちを総じて「飛騨の匠」と呼んでいます。

飛騨の国には、今もこの匠たちの長い伝統と、培われた技術が脈々とうけつがれていますが、中でも江戸時代後期に、大輪の牡丹のように花開いたのが高山祭の屋台(国指定重要有形文化財)です。


私達は、名古屋に向かって帰路に着こうとしていましたが、Iさんが郡上八幡に寄って行こうと言ってここで昼食となりました。

郡上八幡も趣のある町なのですね。






昼食は、「平甚」さんでおそばをいただきました。




一泊二日だけとは思えない、相変わらず充実した旅になりました。
本当に、Iさんが回復して良かったです。

名古屋から、新幹線で東京に向かっていた時に、一瞬でしたが虹が見えて、なんとか撮れて良かったです。


多分、浜松の辺りだと思いますが、本当に次の瞬間は通り過ぎてしまいました。


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