釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

向島→堀切(その2)

2006年07月01日 07時05分46秒 | お散歩日記/東京地名の話
向島百花園から堀切菖蒲園には行くには、荒川を渡らなくてはならない。
荒川は東京都内を貫通する川では一番川幅がある。だから橋が少ない。それで向島百花園のある東向島からは水戸街道を北上して、四つ木橋を渡ることになる。

四つ木橋


荒川はみなさんご存知のように、人工の川である。
現在の荒川は、昭和40(1965)年までは「荒川放水路」と呼ばれていた。明治43(1910)年の大洪水を契機に、下町を水害から守るために開削されたものだ。
この工事は、隅田川を現在の北区岩淵で仕切り、そこから中川の河口(現在の荒川河口)方面向けて、延長22km、幅500mの放水路を掘るという大規模なもので、移転した家屋が当時で1300軒に及んだ。増水したときには、岩淵の水門を閉めて隅田川の増水を抑え、大部分の水を放水路を使って東京湾に流すというものである。全体の施工には二十年の歳月を要し、昭和5(1930)年に完成した。
今ではすっかり自然の川のようになっているが、足立区の一部(小台・宮城・北千住地区)が荒川の南にはみ出したり、江戸川区の一部(平井・東小松川地区)が荒川の西にはみ出しているのは、もともと自然の川でない証拠である。
また、東武伊勢崎線堀切駅が葛飾区の堀切ではなく、対岸の墨田・足立区側にあるのは、開削により東武線の線路が西側に移動したことによる。

堀切菖蒲園にあった荒川放水路開削前の地図

東武線が現在の川の真ん中を通っているのが分かる。
また当時、堀切周辺が、綾瀬川流域の低湿地だったことも分かる。

荒川と隣に流れる綾瀬川を渡ると、葛飾区に入る。
左折して住宅地を北上して少し歩くと堀切菖蒲園である。

初めて訪ねた時は、あまりのこじんまりした風情に少しガッカリした記憶がある。周囲の民家も下町風というよりも、無造作にそして無秩序に密集した感じでいただけなかった。
久しぶりに訪れた堀切菖蒲園周辺は、遊歩道も整備され、隣に大きなマンションが建っていたが、かえってすっきりした印象を受けた。園内も以前の雑然とした雰囲気から、整った感じに変わっていた。

ここには少し盛りを過ぎたけれど、まだたくさんの花菖蒲が咲き誇っていた。



すぐそばに見える高速道路もそんなに気にならないのはなぜだろう。高速の下にはさっき渡ってきた綾瀬川が、その向こうには荒川がある。本当に川のそばなのである。



葛飾区にはほかに、水元公園にも花菖蒲園がある。明治神宮を抱える渋谷区同様、区の花も花菖蒲だ。今年最後の美しい花菖蒲を愛でて、帰路に着いた。



コメント
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