釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

京都散歩(その1・京都の思い出)

2006年07月26日 04時28分34秒 | 旅日記
京都にはいろいろな思い出がある。
最初の思い出は、中学校の修学旅行。
ご多分に漏れず、夜の新京極の思い出しかない。

次は高校時代に何度も足を運んだ京都。
そのころはユースホステル全盛での時代で、ユースホステルで知り合った人々と、大学生のたまり場だった店に長時間いた。
フォークとか反戦とかそんな時代だったけど、どこか冷めていたので、スタイルだけそんな場所に浸ってみたかったのかもしれない。
初めてタバコを吸ったのも、そんな仲間とだった。
ユースホステルには、井上陽水の「氷の世界」のLPが流れていた。
まだ、街には路面電車が勢いよく走っていた時代だ。
こんな町に住みたいと思って、京都の大学を受験したけど、木っ端微塵だった。

大学時代にも何度か訪れたけれども、もうそこに住みたいという情熱は冷めていた。
そのころに親しんだ、能や歌舞伎の舞台になっている歌枕や名所旧跡を歩き回っていた。たぶんそれが今の散歩に繋がっているのかもしれない。

このまま私にとって、京都は観光に訪れる場所のはずであったが、仕事を始めてから、京都は仕事に行く場所になっていた。
二十代の足掛け数年間、正月は必ず京都に一ヶ月間いた。
宿舎は南座の楽屋。朝から晩まで劇場にいた。たまに出かけるのは暗くなった街。
今は楽しい思いだだけど、当時は辛かった。
数年目からは、地元の友人もできて、酒を飲みに行ったりもした。
でも、当時の私の京都は、祇園から先斗町、木屋町、河原町周辺まで。
雪が降った朝に一度だけ建仁寺まで歩いたのが唯一の観光かもしれない。

環境が変化して、数年後に伯父の納骨に嵯峨野の寺を訪れた。それも今から十五年位前のこと。家族に伯母の五人で観光もした。あとにも先にも家族旅行はこのときだけだ。
学生時代に行った静かな洛北の寺が、観光寺になっていて幻滅した。
京料理をいただいたのもこのときが初めてだった。

あれからまたしばらく時が経ってしまった。
今回の京都はどんな顔を迎えてくれるのだろう。
不安と期待でいっぱいだった。

*画像はゴンタが泊まっていた南座。
 正確には公演に従事していたが正しいんだと思うけど。




コメント
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