日々なるようになる

ツウニャンの呼び名 ”いくつもありま~す ”
ケ・セ・ラ・セ・ラ~ ((´∀`*))ヶラヶラ

嵯峨野 ・ 化野念仏寺

2012-01-13 | 西日本で過ごした時の記録です。

 

 

あだし野は化野と記します。 「あだし」とは はかない、むなしいとの意で 又「化」の字は「生」が化して

「死」となり この世に再び生まれ化る事や 極楽浄土に往生する願いなどを意図しています。

 

仏 舎 利 塔 (納骨堂)

 

境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は往古あだし野一帯に葬られた人々のお墓です。

何百年という歳月を経て無縁仏と化し あだし野の山野に散乱埋没していた石仏を

明治中期 地元の人々の協力を得て集め 釈迦宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀して

あります。 この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は 地蔵盆の夕刻より行われ

光と闇と石仏が織りなす光景は浄土具現の感があり 多くの参詣があります。

賽(さい)の河原に模して 「西院の河原」 と名づけられました。

 

 

 地 蔵 堂

 

竹 の 小径 

 

竹の小径を上がっていくと 「六面体地蔵」がありました。 

六道 ・・・ つまり 地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道 に対応する

六体の地蔵尊に向い 「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」 と

唱えながら時計回りに回るとよいそうです。最初にどのお地蔵様から

拝むかも決まっているようでした。

 

地蔵真言 「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」

この真言を唱えれば 五穀豊穣・敬愛和合・立身出世などの霊験が得られる。

「オン」は 帰命・供養などの意味があり 神聖な語として インドでは宗教的な言葉の

初めにおかれてきました。 「カ」とは お地蔵様の事で 「カカカ」とは お地蔵さま 

お地蔵さま お地蔵さま と一生懸命お地蔵さまを呼ぶのです。

「ビサンマエイ」とは 類まれな尊いお方というような お地蔵さまへの賛歓の気持ちを

表しています。 「ソワカ」は 神聖な言葉の最後につけて その言葉の

完成成就を願う気持ちを表しています。

 


嵯峨野 ・ 人形の家

2012-01-11 | 西日本で過ごした時の記録です。

 

竹林の葉ずれのむこうから、人形たちのささやきが聞こえる。

 

 

20万点以上の人形を季節ごとに展示する博物館です。

江戸時代の御所人形、嵯峨人形、加茂人形、衣装人形、伏見人形などが中心で

国指定の有形文化財となり これらの人形を展示しています。

江戸期の座敷からくり人形を動かし 仕掛けを学ぶこともできます。 その土地 土地の

地域で生産される 郷土人形は その土地の香をかもしだしています。

 

 

 

 

凄い数の人形が展示されていて 驚きました。

からくり人形のしくみも 実際に動かしてくださり 改めて昔の人の緻密な計算のもとに

創られた人形に 感嘆  実に凄い~ の一語につきました。

からくり人形は外国人向けに創られたもので 殆ど日本になく、こちらに展示されている

からくり人形も海を渡って日本に帰ってきたものなのだそうです。

この「人形の家」 殆どの方たちは 素通りで ・・・ 残念に思いました。

「がんばれ 東北の人形たち展」が催されており 大震災で被害にあわれた地方の

人形たちが たくさん展示されていて感慨深く見させていただきました。

人形たち皆が 故郷にエールを送っているようでした。

 

 

 


嵯峨野 ・ 祇王寺

2012-01-09 | 西日本で過ごした時の記録です。

 

だいぶ間が開いてしまいましたが、昨年からの続きの記事を掲載していきたいと思います。

拙い文と写真ですが、お時間のある時にでもお付き合いくださいますよう宜しくお願い致します 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祇 王 寺 (尼寺)

現在の祇王寺は 昔の王生院の境内です。 往生院は法然上人の門弟良鎮の依って

創められたと伝えられ 山上山下に亘って広い地域を占めていたが 

いつの間にか荒廃して ささやかな尼寺として残り 後に祇王寺と呼ばれるようになりました。

安永の寺王寺は明治初年になって 廃寺となり残った墓と木像は 

旧地頭大覚寺によって保管されました。

 

 

 

ひっそりとした佇まいに 紅葉の落ち葉の絨毯が敷き詰められていました。

 

 

 

 

祇王寺の玄関

 パンフレットから。。。

 

控の間の吉野窓

控の間の大きな窓を吉野窓といい 影が虹の色に表れるのを以て 「一名虹の窓」とも称しています。

パンフレットから。。。

 

 

 

四人の尼僧がひっそりと暮らしたとされる尼寺 いまでも その面影を残しているのでしょうか ・・・・・ 。

今の時代では考えられませんが ・・・ じっと耐え忍ぶ女性たちだったのですね。

 

この季節以外は 一面を苔に覆われた庭園は 静寂な空気に包まれて 心安らぐひと時でした。