▼ぼくの少年時代は、本を濫読し、文章を「中学生文学」という中学生向けの文芸誌に寄稿し、弱小の陸上部にいました。
その時代、もっとも関心を持っていた作家たちは、なぜか海外のひとたちです。
人間の暗黒に踏み込むしかなかったドストエフスキー、その奇矯なリアリズムがなぜか少年のこころを摑んでいたゴーゴリ、物語のなかの女性たちが実在しているかのようだったジイド、自然な共感が湧くカフカ、いずれも文庫本が擦り切れるまで読みました。
通っていた中高 ( 淳心学院 ) の友だちは、「なんで青山はいつも外国のんを読むんや」と聞きました。
ぼく自身も不思議でした。
ロシア語もフランス語もドイツ語も分からなかった、と言うより勉強する気もまるでなかったので、すべて翻訳で読み、その翻訳の悪文にかなり悩まされていました。
それなのになぜ、わざわざ翻訳文学を読むのか。
そう言えば、外国語で唯一、学校で習っていた英語による文学は、読まないことはなかったけれども、どういうわけか、それほど熱心には読まなかったですね。
英語の作家のヘミングウェイやオー・ヘンリーはかなり読み込みましたが、英語圏以外の作品に馴染むことの方が多かったです。
一方で国文学も、大量に読んでいましたが、身近すぎて、外国文学ほどの引っかかりがない感じでした。
▼なぜ急に、新政権の組閣が終わろうとするなかで、こんなことを書いたか。
それは、にんげんの生き方としては、フランスの作家、アンドレ・マルローにいちばん関心があったことを思い起こしたからです。
マルローは「人間の条件」でゴンクール賞をとった本格的な作家でありつつ、ド・ゴール政権で大臣に就任して政治に携わりました。
すると、「堕落した」といった根拠なき批判、中傷を同じ作家仲間から浴びたりします。
しかし意に介さず、あくまでも文学と政治、書くことと行動すること、それらを両立して生きて、死したひとです。
4年と3か月前に思いがけず選挙に臨むとき、誰にも言いませんでしたが、このマルローの生き方が頭に浮かんだのです。
偉大なマルローと比肩できるわけじゃない。
しかし、政治と文学を両立する覚悟を、定めたいな、きっとあれこれ言われるだろう、しかし定めたいな。
そう思いました。
参議院議員選挙に出るとき、ぼくは作家ではありましたが、すでにシンクタンクの社長との兼業でした。
マルローは戦うパイロットとしてスペイン人民戦争に参戦したり、ナチに抵抗するレジスタンスの一員として地下活動で銃をとったりの行動派でした。
ぼくもイラク戦争に行ったりしているけど、それは戦うためではありません。戦うのは、危機管理や安全保障、また資源エネルギーの実務者として銃なき戦いでありました。
実務家であることが、ぼくにとっては、行動だったのです。
そこに思いがけず、国会議員の任務が入ってきました。
ぼくにとっての行動は、国会と政党で日本の政 ( まつりごと ) に取り組むことに一変したのでした。
▼同時に、書くことにそのまま取り組み続けることこそ、ぼくがぼくであるための生き方です。
したがって、現在の不肖ぼくにとって、祖国とみんなに貢献するための生き方は、政治と文学の両立しかありません。
そして、ぼくにとって文学に携わることとは、ノンフィクションとフィクション ( 小説 ) の両分野に取り組むことです。
自然に、そうなっていました。
「タイムマシーンに乗って、降りて」
これは、ぼくの新刊の「きみの大逆転 ハワイ真珠湾に奇蹟が待つ」 ( ワニブックスPLUS新書 ) の新章のタイトルです。
新しく書き下ろしました。
この新書は、予約が始まっています。
一例は、ここです。
まつりごとの直中 ( ただなか ) にあって、命を削って文字を刻みました。
予約は低調です。他の本との比較ではなく、ぼくの本としては低調だと思います。
水面下での動きが多い、まつりごとに力を費やし、たとえばテレビにはまったく顔を出さなくなりました。ぼくは、確実に、忘れられつつあるのでしょう。
ネットの世界では違うというひとも居るかも知れません。ぼく自身は客観的にみて、そう思いません。新しい動画「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」 ( ここです ) のチャンネル登録もまた、さして増えないからです。
本は、読むひとがいなければ、本にはなりません。紙の塊です。
▼10月6日に大型書店に並び始め、10月8日には全国発売です。
さて、この本の運命はどうなるでしょうか。
紙の塊にはしたくありませんが、すべて、ぼくの責任です。
▼その翌月には、完成に18年4か月を費やした小説が発刊されます。
「わたしは灰猫」 ( 扶桑社 ) です。
大型書店では、11月9日に並び始め、全国津々浦々の発売は11月11日です。
これも、その前に予約が始まるでしょう。
さて、どうなるか。
おのれのこれからについて、いい予感は皆無です。
議員になってこれまでの4年2か月も、「人生が粉々に壊れる」と思った予感の通りでした。
それでもやることは変わりません。
結果は求めずに、じりじりと進みます。