功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

「きのう都心部の書店に搬入」というのは連絡ミス(2020-11-10 18:14:32)

2020-11-10 18:36:51 | On the Road
 先のエントリーで記した、議論の嵐がいったん、終わりました。

 そこで、短く書いておきます。

「わたしは灰猫」 ( 扶桑社 / 18年4か月かけて書いた物語 ) の姿がどこの書店にも無い、予約をなさったかたにも渡らないというのは、発行部数がいくら少なくてもあまりに異常なので、やむを得ず、編集者に聞きました。
 すると編集者も首をひねりながら、調べてくれました。
 その結果、なんと「きのう都心部の書店に搬入」というのは連絡ミスで、実は今夕に搬入ということでした。

 となると、今夜に手にされる方がいらっしゃるかも知れませんね。
 つまり登場人物が誰かと今夜、お会いするかも知れません。
 この悪戦ばかりの日々のなか、ちょっとだけ嬉しいです。




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続「青山先生と相談して、新しい案を作るように」(2020-11-10 02:05:38)

2020-11-10 05:28:40 | On the Road
▼菅総理と安倍前総理との違いのひとつは、委員会への臨み方です。
 その違いのなかには、委員会の到着時間の違いもあります。

 安倍さんは総理時代、予算委員会などに、ぴたりと開始時刻に合わせて到着されました。
 総理を退任されてからも、たとえば10月27日の護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) 創立1周年記念総会へ参加されるときもそうでした。
 開会時刻が迫っても登場されないので、ぼくは隣の山田宏・護る会幹事長に「安倍総理は、総理在任中と同じく、時間ぴったりに来られるのかなぁ」と思わず、声をかけました。
 山田幹事長は即、「そうでしょう」と仰いました。
 その通りでした。



▼安倍さんだけではなく、総理、あるいは総理経験者は総じて、こうです。
 ところが菅総理だけは、かなり早く来られます。

 ぼくは予算委員会も他の委員会も、どんな会合でも基本、誰よりも早く着座します。
 これは議員になった瞬間からぼくがおのれに命じて実行している大きな変化のひとつです。
 それまでの長い日々、子ども時代から、全くそんなことはありませんでした。
 合理的な時間にぴったり、間に合うように、来ていましたね。
 しかし議員になったとき、「これからは不合理なこともあえて、やる。いつも雑巾がけをやる」と勝手に決心したのです。
 もちろん、ぎりぎりまで他の委員会や公務が入っているときは別です。早めに来ることが物理的にできなくなります。本末顛倒はやりません。次の委員会に早く入るために、現在の公務がおろそかになってはいけません。
 そのうえで、予算委員会ではふつうの場合、この4年4か月近い議員生活のすべてを通じて、おのれが着座してから、他の議員が来られるのを見て、閣僚が入られるのを見て、それから総理が入られるのを待ちました。

 ところが11月5日木曜に始まった、菅総理にとって初めての参議院予算委員会では、総理が、ほとんどの閣僚よりも早く着座されました。
 ぼくは総理の席に行くべきかどうか、迷いました。
 菅総理は間違いなく、これからやらねばならない答弁に集中されています。特に、日本学術会議の件であることも、明らかでした。
 しかし一方で、武漢熱をめぐって海外の同じ日本人、同胞、はらからも支援するという当たり前のことができていません、未だに。

▼まず安倍政権下で、自由民主党の外交部会がいったん、あっさりと外務省の「技術的に難しいです」という主張を受け容れてしまいました。
 当時、外交部会の末席の副部会長だったぼくは、外交部会の正副部会長会議 ( つまり役員会 ) の場で「こんな理不尽にして不誠実なことを同胞に対し、平然とやることに強く抗議します。これが自由民主党のやることか。現状では副部会長を辞任します」と憤激して述べ、その後に長い紆余曲折があって、ようやくにして良心的な中山外交部会長 ( 当時 ) と誠実な岸田政調会長との連携のもと、外交部会案を正式に決めました。
 そこに至るまで、二階幹事長をはじめとする党内での根回しはもちろん、政府側に対しても、安倍総理をはじめ、当時の菅官房長官や杉田官房副長官、あるいは官房副長官補、さらに秋葉外務事務次官らに根回しを続けました。

 ところが決めた案を、党がなかなか政府に提出してくれません。
 そこで再び水面下で動き続けて、やっと政府に正式に提出しました。
 ところが政府から回答が出ません。
 回答が出なくても、党は外交部会も政調もしんと沈黙したままです。

 不肖ぼくは、それまでも前述のように安倍総理に、直に何度も交渉していましたが、ついに覚悟を決め直して、安倍総理にいわば最後通牒として「海外の同胞も同じ日本人、日本国民です。このまま放置なさるのなら、すべてを国民に明らかにして、政権のあり方を徹底的に問います」と申しあげました。
 すると安倍総理から「菅さんに託するから、菅さんと交渉してほしい」と電話がありました。
 菅さんと、一対一で、ある指定の場所でお会いすると、「党の案では不公平になる」と仰いましたから、ぼくは菅官房長官の眼を見て、とっさに方針を切り替え、新しい案を作ることを提案しました。
 すると菅官房長官は、杉田官房副長官に「青山先生と相談して、新しい案を作るように」と明確に指示されました。

▼この官房長官指示の効果で、外務省は、良心派も動いて、新案を作りました。
 ぼくは、ほんとうは不満が残る案ながら、とにかく1日も早く海外同胞への支援を実現するために、呑みました。
 ところが内閣の交代という重大事にも翻弄されるまま、いったんは政府内で諒解もあったこの案がまたしても、否定的な動き、難癖をつける発言に水面下で晒されるようになりました。

 そこでぼくは再び、意を決し、菅義偉・新総理とじかにお話をし、その結果、第三の案を作ることで合意しました。
 外務省はこれを受けて、第三の案を作る作業をしています。
 ところが何もかも遅い日本政府が、こうやって遅々として海外同胞への支援を実行しないまま、10兆円を積み上げているはずの予備費の使い道が、実質的にはほぼ決まってしまう情況となっています。
 そこで第三次補正予算案に組み込むようにと、第三案の作成を何度も何度も無限のように外務省のお尻を叩いていますが、いまだ具体案が出てきません。
 この第三案は、あくまでも菅総理との合意によって作成に着手しているものです。

 そこで11月5日、予算委員会が始まる前の短い時間に、ぼくは菅総理に歩み寄り、頭を下げて「海外同胞の支援をあらためて、必ず、お願いします」と申しあげました。
 菅総理は「はい」と、ぼくの眼を見てお答えになりました。



▼上述の記載は、実際にあったことの、大袈裟でなく百分の一程度です。
 そもそも、党の案、新案、第三案、いずれも中身を明らかにしていません。
 だから、一線を踏み外してはいません。

 しかし同時に、この醜態は、安倍政権、菅政権を問わず、官僚の嫌がることはできないという日本のまつりごと、政の象徴です。
 なにより、海外の同胞が実際に救われていません。
 それは、消費増税に苦しむ人々が実際に救われていないのと、同じです。

 だから、これからも、きょうも、消費減税への新たな試みを含めて水面下で挑み続けます。
 そのために、このエントリーを未明に記しました。
 消費減税についても先日、キーパーソンのひとりとお話をしました。その人物が「水面下の話なら応じる」と仰ったので、お名前を記せません。
 安倍総理時代の水面下での合意が、まさかの政権交代によってふいになった以上、新しい試みがここでもどうしても必要です。




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午前7時45分から自由民主党の本部で、国防議連(2020-11-10 01:13:44)

2020-11-10 02:22:47 | On the Road
▼予算委員会が終わっても、国会中は厳しい日程が続きます。
 きょう11月10日火曜は、いつもの朝8時の部会よりさらに早く、午前7時45分から自由民主党の本部で、国防議連があります。
 ということは、遅くとも午前4時50分頃から準備を始めないと、間に合いません。
 今すでに午前1時17分ですから、あと3時間と33分です。


▼国防議連が終わると、自由民主党本部から、都内の会場に移動して、「日本海沿岸地帯振興議員連盟」 ( 日沿連、にちえんれん ) の総会に臨みます。
 主題のひとつは、日本海側のメタンハイドレート開発です。

 そこから議員会館の青山繁晴事務所に入り、まず外務省と議論です。
 テーマは、北朝鮮です。
 間を置かず、続いて、経済産業省と議論です。テーマは、福島第一原発の処理水です。
 続いて、すぐに自由民主党の本部に戻ります。時刻は正午になっていますが、経済産業部会の税制勉強会に臨みます。
 終わると真っ直ぐ、議員会館の事務所に戻り、経済産業省の今度は、自動車課との議論です。
 次は、経産省の企業行動課と税制改正について議論です。
 経産省との議論がたいへんに多いのは、経済産業部会の部会長代理となったからです。
 これで終わりではなく、このあとに引き続き、再び外務省との議論です。
 日本海の大和堆で、中国の漁船が不法操業を公然と続け、日本の漁家がまたしても大損害を被っていることについて、先週にぼくは、外務省の姿勢は許しがたいと外務官僚との議員会館での議論にて申しました。
 それへの回答がある見通しです。
 ただし、責任と権限のある行政官による、まともな回答かどうかは全く不明です。



▼こうした日々ではありますが、11月12日の木曜に、隙間時間を狙って、なんとか「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録を行いたいと考えています。
 皇位継承を父系一系で安定させるために、語らねばならない時機だからです。
 アメリカ大統領選挙のその後と、今後についても、しっかり語りたく考えています。
 いつものような金曜の収録でないのは、一緒に放送をつくってくれる三浦麻未公設第一秘書が、金曜にたいせつな所用があるからです。彼女は、日本男児を立派に育てている日本の母でもあります。

 皇位継承をめぐって、この個人ブログでの発信が足りないと「抗議」、それも長文で烈しく仰っているコメントを寄せられた方がいらっしゃいます。
 おそらく、良心的な方でしょう。そこを信頼いたしたく思います。
 ただ、この個人ブログは、公式見解を発するための場ではありません。
 また他のひとSNSと比較して、これが足りないと仰るのは実は、不当の極みです。
 どうか、ぼくの自由意志を、あなたさまがこの個人ブログの性格を定めることによって妨げることを、もちろんそんなおつもりでは無いでしょうが、なさらないでくださいませんか。
 ぼくはほんらい、ちいさな子どもの時代から、おのれの意思で物事を決める、はっきりした気持ちを持っています。それは父と母も、兄姉も、友だちも先生もみな、知っていました。今もまったく変わりません。
 ぼくは、おのれが自由な意志を貫くからこそ、他のすべてのひとの自由意志もあくまで尊んでいるのです。
 ですから、他からの過干渉は、ストレスになります。
 いま国会議員として、じっと耐えているだけです。耐えるのも、公務のひとつとしっかり考えています。しかし理不尽な干渉は、無駄に、ぼくの公務の足を引っ張ることになります。

▼いつも申しているとおり、さまざまな発信を、みずからの工夫と意思によって組み合わせます。
 すなわち公務の王道としての国会質問、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の提言や記者会見といった行動による発信、そして無条件に公開するこの個人的なブログ、新しい動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」、公開情報のひとつである書籍、さらに機密情報を厳しい限定条件下で提供する東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) 独立講演会・・・これらの組み合わせによって、総体として、おのれのささやかな務めを、これからも、何にもめげずに、壊されずに、潰れずに続けます。

 みんなと一緒に歩き続けます。
 祖国よ、甦れ。




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先ほど日付が変わって、11月10日火曜となりました。(2020-11-10 00:24:13)

2020-11-10 01:19:22 | On the Road
▼先ほど日付が変わって、11月10日火曜となりました。
 編集者からの連絡では、「わたしは灰猫」は、きのう9日月曜に都心部の書店へ本が搬入され、並び始めるということでした。
 あのわずかな初版の部数で、それがあり得るかなと懸念し、そして覚悟していました。



▼きのう、みなさんから「わたしは灰猫」について頂くコメントを、正直、すこし固唾を呑む気持ちで拝読しました。
「都心部の大型の書店をまわってみたけど、『わたしは灰猫』は1冊も無かった」、「書店員さんに聴いてみたけど、入ってくる予定は未定だという答えばかりだった」というコメントだけですね。
 みなさんには、こゝろの底から感謝します。
 わざわざ書店に行ってみてくださったのですね。

 武漢熱のさなかでも努力されて、工夫されて、サイン会をやる計画が進んでいる書店の名も、そこにはありましたが、同じく「いつ入るのか分かりません」という答えだったそうです。

▼長いあいだ、少なからぬ本を出してきましたが、「都心部の書店に並べ始める」と連絡を受けた日に、こうしたことが起きるのは、まったく初めてです。
 しかし「18年4か月あまりをかけて書きあげて、これか」といった風には、全く思いません。考えていません。
 幾度ものゲラ直しを含めると、印刷の開始までにちょうど18年7か月かかったのならば、ひとにほんとうに読まれるのには、倍の37年かかるのかもしれません。
 あるいは逆に、半分の9年数か月で、読んでもらえるのかも知れません。
 いくら掛かっても、いいのです。登場人物の存在はもはや、不滅です。

▼そして発行部数を決めるのは、出版社の専権事項です。
 また理由がちゃんとあって、そのようにされているのだろうと理解します。

▼同時に、ぼくの職業としての書き手の信念は「本は著者が書きあげて本になるのでは無い。それだけでは、個人的な日記を書いたのと実は変わらない。読者に読まれて、その体内に入り、読者ひとりひとりの体験や自由な考えをくぐり抜けて、読み終わってもらって、初めて、その読者ひとりひとりの本として誕生する」ということです。

 読者も、本が無いことには、読みようがありませんね。
 きのう書店に行ってくださったみなさん、ごめんなさい。

▼同じぼくの書いた本、というだけではなく、ほぼ同じ時期と言っていい10月に発刊した本で、ノンフィクション分野の「きみの大逆転 ハワイ真珠湾に奇蹟が待つ」(ワニブックスPLUS新書)は、書店によっては平積みになっているようです。
 同じく、みなさんから頂くコメントで、それが伺えます。
 文学、物語をめぐる情況が、「わたしは灰猫」の本が1冊も書店に無いという出だしの様子から、よく分かります。
 それ自体、得がたい体験だと考えています。


▼少ない、僅かといってもゼロではありませんから、ネット書店で予約してくださったかたには、いずれ届くでしょう。
 その届いた先で、「わたしは灰猫」は、ついに本になることができます。
 きょう本が並ばなかった「都心部の書店」にも、ネット部門があります。たとえばここですね。

 みなさん、きのうはありがとうございました。あらためて、深々とお礼を申しあげます。
 みなさんという存在があってこそ、ぼくも深更、そして未明におのれを励まして、脚力を鍛えるための立ち机にて、今夜も原稿を書くことができます。
 おひとりおひとりが、なんという、有り難い存在でしょうか。




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