功山寺決起

第157回 独立講演会@神戸に当選しました。㊗️

「派遣されている自衛官は、任務を正しく付与されていない」(2020-12-03 19:45:24)

2020-12-03 21:39:51 | On the Road
 ずっと部会をはじめ議論の場が重なり、正直、他に何もできない状態です。
 しかし、ひとつひとつが重大な議論です。


 この部会は、外交部会、国防部会、外交調査会、安保調査会という4つが合同して開かれました。
 テーマは、タンカーなど日本の船がペルシャ湾やアデン湾からアラビア海を通り日本へ向かうルートで、あるいはその逆ルートで、日本の船と積み荷、船員を護るために派遣されている自衛隊の任務を1年、延長するかどうかでした。

 参加議員のほぼ全員が、延長、それ自体に異論はありません。
 ぼくもそうです。
 そのうえで、安倍内閣で防衛大臣を務めた中谷元(なかたに・げん)衆議院議員が、挙手され、発言されました。
 中谷さんとは長いお付き合いです。いまは、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) のメンバーでいらっしゃいます。
 元陸上自衛隊レインジャー隊員で、大きな身体でいまもフルマラソンを完走なさるひとで、超人ですが、とても温厚な、そして冷静なひとです。
 その中谷さんが、静かな怒りを滲ませて仰ったのが、「派遣されている自衛官は、任務を正しく付与されていない」。
 どういうことか。
 実は、情報収集活動という名目になっているのです。

 防衛省が席上、配布した資料にも、海上自衛隊の護衛艦の洋上写真に、「情報収集に就いている」という趣旨の説明が付いています。
 つまり、情報収集しか許されていないわけですから、いざ、日本の船が襲われたらどうするか。
 これを中谷さんは、真摯に問いました。
 防衛省の答えは「電話などで連絡を受け、閣議を開いて、海上警備行動を決定し、発動します」
 誰でも、それで間に合うのか、と思います。
 しかも防衛出動ではなく、海上警備行動ですから、できることはごく限られています。

 これは防衛省を責めればいいという問題ではなく、実は、憲法9条をはじめ日本の法体系がおかしいという問題です。
 中谷さんは、それを承知で、現場の自衛官、日本の船舶、船員のみなさんのことを思って、やむにやまれず問題提起されたのでした。

 部会の場は、いくらか、しんと鎮まりました。
 日本社会では、安全保障、外交はあまり票になりません。
 それを扱う部会にわざわざ来る議員はみな、こうした問題の根深さを知っているからです。

 ぼくは、そこで挙手をして「別に中谷さんに何も頼まれていませんが・・・」と話し始めました。
 もちろん、ほんとうです。
 そして「この部会は、防衛大臣経験者が多く来られます。中谷さんもそのひとりとして、もしも国会で逆に質問されたら、大臣としては答えに困る問題だからこそ、現状に安住せず、根本解決へ向かうことを提起されたのだと思います。支持します」と述べました。

 上掲の写真は、参加議員のかたが撮ってくれました。
 とても上手な写真ですね。感謝です。
 ぼくの向こうには、前・外交部会長の中山泰秀・防衛副大臣が写っていらっしゃいます。外交部会長当時に、ぼくが副部会長でご一緒しましたね。




 この写真はぼくが撮りました。
 たまたま向かいに座った中谷さんが、防衛省の答弁を、苦悩の表情を浮かべつつ真剣に聴いておられます。

 ぼくは議員になってから、つくづく思うのです。
 もう、敗戦後の日本のいわば「ノックアウト体制」はそろそろ、限界だと。
 中谷さんも、ぼくも、敗戦当時には全く生まれていません。今日、自由民主党本部のこの部屋にいた誰もが、おそらく生まれていません。
 しかし、ぼくらの祖国は、たった一度の敗戦に、ノックアウトされたまま実に75年のあいだ、何も変わらないでいるのです。

 ほんとうは、ノックアウトもされていません。
 永い歴史で、敗戦を初めて経験したから、ノックアウトされたんだ、勝者の言うことを総て聞かねばならないんだと思い込んだだけのことです。








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ずっと憲法審査会の委員になることを希望してきましたが、実現しません。(2020-12-03 06:14:09)

2020-12-03 13:41:00 | On the Road
▼きのう12月2日水曜の夕方、議員会館で、硫黄島の戦いを指揮なさった栗林忠道閣下の直系のお孫さんである新藤義孝・元総務大臣とふたりで、硫黄島の英霊にいかにしてふるさとに帰っていただくかをお話ししていて、たがいに時間を忘れました。
 気がついたら、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催される「国会に憲法改正議論を求める ! 国民集会」の開会時間が迫っていました。
 新藤さんも、ぼくも、それぞれ会場の憲政記念館へ向かいました。



 写真は、冒頭発言をなさる櫻井よしこさんです。
 壇上の国会議員席の末席から、撮りました。
 末席というのは、謙遜ではありませぬ。櫻井さんの向こうには、各党の代表格のひとびとが並んでいます。

 櫻井さんは、あくまでもフェアに、公正に、的確に、憲法審査会の議論を進めない国会の責任を追及なさいました。
 ぼくは議員になって4年4か月あまり、ずっと憲法審査会の委員になることを希望してきましたが、実現しません。
 一度はいったん内定と聞いていたのが突如、覆りました。
 理由は、何も説明されません。ベテラン議員も含め他に希望者もいらっしゃるのでしょう。むしろ希望者が多いことを、改憲実現のために、こゝろから願います。
 しかし別の理由があるのかも知れません。


 そんなことでは、めげません。
 ただ、あまりにおかしいと思うのは、自由民主党の9条改正案の扱いです。

 参議院議員への当選からまだ、さほど日が経っていない頃、自由民主党の憲法改正推進本部が連日、開かれて、もの凄い数の議員が参加していました。
 ぼくはその席で、「安倍総理 ( 当時 ) の仰る、自衛隊の明記だけでは、困った実情をむしろ固定してしまいます。自衛隊は、たとえば災害出動においても、これだけはしてもいいよというボジティヴ・リストを間違って持たされているから救える国民を救えないということが実際に起きています。一方で、9条の2項を削除するという案のままでいろという意見も、国会の発議すらできないままになるから、現実には9条改正をやらないのと同じになります。したがって、9条はそのままにするという安倍総理案に加えて、その9条の規定は、自衛の措置を妨げないという新しい項を置くべきです」という趣旨を発言しました。
 当時はまだ、「日本の尊厳と国益を護る会」 ( 護る会 / JDI ) もなく、あまり多くの議員と話してもいなかったにもかかわらず、その場で6人の議員から「青山案を支持する」と声が上がりました。
 それにも勇気づけられて、その後、細田博之・憲法改正推進本部長 ( 当時 ) をはじめ、憲法改正推進本部の首脳陣をおひとりづつ回って、話しに話し、おひとりだけを除いて、全員の賛成を取り付けました。 ( そのおひとりは、そそれから時を置いて、残念至極にも亡くなってしまわれました。もっとお話がしたかったです )

 そして、細田本部長の断が下り、議論に参加した議員のみなさんから一任も取り付けられ、この「自衛の措置を妨げない」という案を、言葉面はいくらか変えても実質的に盛り込んで、自由民主党の新しい9条改正案が決まり、他の3項目と合わせて、正式決定したのです。

 ぼくは安倍総理と意見の一致するところも、父系一系による皇位継承の安定をはじめとして、あります。
 同時に、消費増税や海外同胞への支援を含め、意見の違うところもあります。
 これまでも一貫して、ありのままに申してきたとおりです。

 その意見が合わないところの、もっとも深刻なひとつがこれです。
 安倍総理はその後もずっと、自衛隊の明記だけを口にされ、上記の正式案は無きが如くでした。
 それを入れると公明党が到底、呑めず、国会発議がさらに遠のくという判断だろうと考えます。
 しかし、わたしたち日本人は、何度も何度も憲法を変えられる社会に居ません。それなら、ずっと前に、改憲は実現しています。
 自衛官ご自身がほんとうは困り、国民もいざとなると救われないことに繋がる根本問題を、逆に固定化する改憲ではいけません。固定化したらなかなか変えられないのが、歴史の古い、古い豊かな歴史が誇りの日本のもうひとつのリアリティなのです。
 何事にも、良し悪しの両面があります。

 すくなくとも、自由民主党で正式決定した案はきちんと踏まえていただきたい。
 けれども、きのうの集会で自由民主党を代表してなされた発言でも、「自衛隊の明記」のみでした。




▼この写真は、国民民主党の山尾志桜里・憲法調査会長が発言なさって、席に戻られるところです。
 発言中に、ある自由民主党議員が「到底、噛み合わない話をしてるね」とぼくの耳元で仰いました。
 ぼくは「しかし9条には言及されましたよ。9条に言及されるだけ、マシです」と答えました。

 同時に、ぼくは改憲が改憲にならない怖れ、すなわち野党と妥協しすぎることへの懸念も、胸の深くでずっと持っています。
 それは、この著名にして有能な議員にはあえて語りませんでした。
 語るべき時機は、やがて来ます。

▼こうした会は、国会議員の紹介が終わると、議員の多数が途中退席します。
 ぼくは、ちいさな信念として、そのようなことをしません。
 もちろん、よほどの理由、やむを得ざる原因がある場合もあるでしょう。ぼくにも、充分に起こり得ます。しかし、かなりの困難がそのために起きても、基本、中座しません。

 議員紹介で、最後に近いあたりで名を呼ばれたとき、「戦います」と声を出しました。
 考え抜いてのことです。
 声を出した議員も、みなさん、「頑張ります」でした。
 間違いなく本音です。ぼくは本気で、それを信じています。だからこそ、護る会も結成したのです。
 しかし一方で、国民の誰が、政治家の「頑張ります」を信じるでしょうか。既存の仕組みに安住していることを、主権者が見抜いているからです。安住したまま頑張っても、何も変わりません。
 それを外から言うのではなく、踏まれても蹴られても無視されても、憲法審査会の委員に就くことができずとも、内部から変えるよう、ただただ戦います。
 そのうち敗死しようとも、です。当然至極です。



▼このエントリーのタイトルの言葉は、おとといだったかな、防衛省の幹部らと議員会館でイージス・アショアの中止後をめぐって議論したときに、申しあげました。
 かねてから、ときどき、申しあげています。
 ひとのことは言わずに、ぼく自身を含めて申しあげています。

 幕末の草莽の志士たちも、鬱屈を抱えたまま、奔走していたでしょう。
 鬱屈、憂鬱、悲痛苦、それを無くそうとするのではなく、ありのままでいいのです。
 ありのままに生きて戦って、無駄に死ぬのです。
 それもまた、「わたしは灰猫」も「きみの大逆転」も含め、ぼくの拙い著作のすべてに通暁する、根幹のテーマです。
 明るい子どもだったぼくは、この頃は、とくに国会議員となってからは、夜半、いえ終日、内心の鬱屈とも戦う日々です。ははは。
 護る会は、組織的な勧誘を一切、しません。
 しかし、朝の部会などに熱心にお見えになる議員のうち、ご本人がお気づきかどうかは分かりませんが、自由民主党と国家の現実に、鬱勃たる思いを抱いているであろうお顔のひとには、稀に、「護る会に入りませんか」と声を掛けてしまうのです。
 鬱勃とは、ほんらいは、うちに秘めたものが遂に外に溢れ出すという、ある意味、肯定的な意味もある言葉です。
 秘めた憤激なくして、戦うことはできません。

 ぼく自身は、眠りを犠牲にする生活、みなさんに「夜の真ん中は寝る」と約束したことをまるで守れない生活が、むしろ極端に悪化しています。
 ほんらいのおのれは、明るいだけじゃなく、のんびり寝ることが大好きです。怠け者ですから。
 新動画も、眠りと休息の欠けた顔ばかり見せています。
 あまりに、みなさんに失礼です。ちょっと、どうにかしようと、してみます。

 きのうの憲法集会に、駆けつけていらっしゃった主権者のみなさん、それぞれに素晴らしい目をなさっていました。
 魂から、ありがとうございました。演壇の隅っこから、拝む気持ちでした。




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