団体や組織の支援なく、動員も決してしない選挙戦を、6年前の初出馬も、1期6年で達成した成果を固め、前へ進めるための今回の出馬も、実践しています。
頼みとするのは、主権者・国民のみなさんの自由意志だけです。
これが、ぼくらの生き方です。
頼みとするのは、主権者・国民のみなさんの自由意志だけです。
これが、ぼくらの生き方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/8a/855e2e8e5d7ee52547c39496a70d4fb6.jpg?1657377701)
( 選挙戦の後半の名物となった、最後の愉しい、眼の輝く集合写真。
これは演説が終わったあとではなく、グータッチ&臨時サイン会が終わるまでずっと見ていてくださったかたがたなのです。
ここまで残ってくださることに、こゝろ打たれます )
これは演説が終わったあとではなく、グータッチ&臨時サイン会が終わるまでずっと見ていてくださったかたがたなのです。
ここまで残ってくださることに、こゝろ打たれます )
▼選挙が終盤に入っていった頃の象徴的なお話をしましょう。
7月6日水曜は、朝5時台に自宅を這い出して ( わはは ) 、まず宮崎に飛びました。
集まってくださったみなさんに、敬意と感謝を捧げながらお話をしました。
数は多くなかったのですが、それだからこそ、平日の朝9時から聴いてくださったことを、ほんとうにありがたく思いました。
そこからプロペラ機で福岡へ。
7月6日水曜は、朝5時台に自宅を這い出して ( わはは ) 、まず宮崎に飛びました。
集まってくださったみなさんに、敬意と感謝を捧げながらお話をしました。
数は多くなかったのですが、それだからこそ、平日の朝9時から聴いてくださったことを、ほんとうにありがたく思いました。
そこからプロペラ機で福岡へ。
▼福岡空港では、「日本の尊厳と国益を護る会」 ( 護る会 ) 副代表の鬼木誠代議士の秘書さんが迎えてくださいました。
しかし携帯電話を耳に付けたまま、なんだか大変そうな話をされています。
車中で説明してくださったところでは、博多駅前で演説する予定の場所に、ある野党の陣営が遊説カーを付けて同時刻に演説するかまえで、調整が付かないとのこと。
それはふつうにあり得ることですから、現地でおたがいに工夫することにして、予定の場所へ向かいました。
そして、博多駅前に着くと、ぼくはその野党陣営のかたがたに一礼をしましたが、先方はまったく反応なさらず、どちらかというと睨みつけられている雰囲気です。 ( あくまで、ただの雰囲気です )
▼聴衆のみなさんが場所が分からなくなってはいけないので、ぎりぎり、予定の場所の範囲内で、かつ野党陣営のかたがたの邪魔をしないように離れて、持参した拡声器 ( トラメガ ) のマイクの音量を絞り、話し始めようとしました。
しかし野党陣営のかたがたがは、遊説カーから大音量で演説を始められました。
これでは両立はできないと判断し、思い切って、大きな博多駅の真裏へみんなで移動しました。元の場所には、スタッフに居ていただいて、ご案内できるようにしたのは、もちろんです。
▼争ったり、声を競ったりはまさかしません。
あとから聴きに来られた方にとっては、案内役がいてもやっぱり分かりにくかったり、話の一部が聴けなかったりしたと思います。
ごめんなさい。
ただ、場所を変えたのは正解だったようで、いつも通り、とても選挙演説とは我ながら思えない話、意を尽くした具体的な話をじっくりと聴いていただけたと思います。
▼博多駅から九州新幹線で熊本へ。
今度は、熊本県議のホープ、南部隼平 ( しゅんぺい ) さんが出迎えてくれました。今度は、与党の○○候補とバッティングするのではと心配されています。
これも当然、あり得ることですから、予定の商店街へ向かいました。
途中、わずかなトイレタイムとして、南部さんの配慮で喫茶店に寄り、懐かしい味のミルクセーキを、神戸の子ども時代に戻って飲み、うれしく思いました。
そして、冷たい一杯を飲んだだけですぐに出て、商店街へ。
しかし携帯電話を耳に付けたまま、なんだか大変そうな話をされています。
車中で説明してくださったところでは、博多駅前で演説する予定の場所に、ある野党の陣営が遊説カーを付けて同時刻に演説するかまえで、調整が付かないとのこと。
それはふつうにあり得ることですから、現地でおたがいに工夫することにして、予定の場所へ向かいました。
そして、博多駅前に着くと、ぼくはその野党陣営のかたがたに一礼をしましたが、先方はまったく反応なさらず、どちらかというと睨みつけられている雰囲気です。 ( あくまで、ただの雰囲気です )
▼聴衆のみなさんが場所が分からなくなってはいけないので、ぎりぎり、予定の場所の範囲内で、かつ野党陣営のかたがたの邪魔をしないように離れて、持参した拡声器 ( トラメガ ) のマイクの音量を絞り、話し始めようとしました。
しかし野党陣営のかたがたがは、遊説カーから大音量で演説を始められました。
これでは両立はできないと判断し、思い切って、大きな博多駅の真裏へみんなで移動しました。元の場所には、スタッフに居ていただいて、ご案内できるようにしたのは、もちろんです。
▼争ったり、声を競ったりはまさかしません。
あとから聴きに来られた方にとっては、案内役がいてもやっぱり分かりにくかったり、話の一部が聴けなかったりしたと思います。
ごめんなさい。
ただ、場所を変えたのは正解だったようで、いつも通り、とても選挙演説とは我ながら思えない話、意を尽くした具体的な話をじっくりと聴いていただけたと思います。
▼博多駅から九州新幹線で熊本へ。
今度は、熊本県議のホープ、南部隼平 ( しゅんぺい ) さんが出迎えてくれました。今度は、与党の○○候補とバッティングするのではと心配されています。
これも当然、あり得ることですから、予定の商店街へ向かいました。
途中、わずかなトイレタイムとして、南部さんの配慮で喫茶店に寄り、懐かしい味のミルクセーキを、神戸の子ども時代に戻って飲み、うれしく思いました。
そして、冷たい一杯を飲んだだけですぐに出て、商店街へ。
きのう7月8日金曜の朝、羽田空港でANA17便に乗り込んだとき、安倍晋三元総理がSPと共に入って来られることに最初に気づいたのは、わたしに同行する出口 ( いでぐち ) 太・公設政策秘書でした。
わたし自身は、座席でパソコンの仕事を急いでいて、まだ気づいていません。
すると、安倍さんが席に着こうとして着かず、斜め後ろのわたしの座席へ行き、身体を屈めて、わたしの肩を二度、叩くのを出口秘書は間近に見たそうです。
その叩き方、叩かれたぼくがびっくりして顔を上げるほど強かったのですが、その強さにこそ、まさしく親愛の情がこもっていました。
出口秘書は『あぁ、ほんとうにうちの議員と、安倍元総理は仲がいいんだなぁ』と感じたそうです。
安倍さんは「お疲れ」と、満面のにこにこ顔でわたしに声を掛けられて自席に着かれました。
わたしは他の乗客を考えて一瞬だけ迷い、しかしすぐにシートベルトをいったん外して、すぐ斜め前の安倍さんの席に身体を伸ばし、「総理、お疲れさまです」と申しました。
安倍さんは、すこし振り向いて、穏やかに、微笑 ( ほほえ ) まれました。
わたし自身は、座席でパソコンの仕事を急いでいて、まだ気づいていません。
すると、安倍さんが席に着こうとして着かず、斜め後ろのわたしの座席へ行き、身体を屈めて、わたしの肩を二度、叩くのを出口秘書は間近に見たそうです。
その叩き方、叩かれたぼくがびっくりして顔を上げるほど強かったのですが、その強さにこそ、まさしく親愛の情がこもっていました。
出口秘書は『あぁ、ほんとうにうちの議員と、安倍元総理は仲がいいんだなぁ』と感じたそうです。
安倍さんは「お疲れ」と、満面のにこにこ顔でわたしに声を掛けられて自席に着かれました。
わたしは他の乗客を考えて一瞬だけ迷い、しかしすぐにシートベルトをいったん外して、すぐ斜め前の安倍さんの席に身体を伸ばし、「総理、お疲れさまです」と申しました。
安倍さんは、すこし振り向いて、穏やかに、微笑 ( ほほえ ) まれました。
そのあと午前10時ごろに、飛行機が伊丹空港に無事に着きました。
ドアが開くまでのあいだ、安倍さんとわたしは飛行機のいちばん前の狭いスペースに立って、顔を近づけ、ちいさな声で話しあいました。
それも、出口秘書はずっと見ていたようです。
飛行機から降りるとき、ぼくは警護の邪魔にならないようにと、安倍さんと一緒に歩くことはせず、先にスタスタといつものように軽快に歩いて行かれる背中を見送りました。
そこからたった1時間半後の午前11時半ごろに、畏友、一国の元総理に対して僭越至極ではありますが、まさしく敬愛するわが友が、首に凶弾を浴びるとは、なんたることでしょうか。
わたしたちはお互いに、そのとき、参院選のために演説中でした。
わたしは頭の隅で、奈良の同期議員のために応援演説をされている安倍さんが、しっかり警護官に守られているであろう姿を想像していました。
どんな演説をされているのかなと、おのれも演説をしながら、ちらりと考えてもいました。
また、安倍さんのその日最初の演説が奈良だとお聴きしていましたから、おそらくわたしが昨秋の総選挙の応援、それから6年前のおのれの参院選で演説した、あの大和西大寺駅前の同じ場所じゃないかなとも思っていました。
すると、午前11時50分頃に、出口秘書がわたしにスマートフォンの画面を見せて、惨事を知らせました。
わたしは短く考えてから、聴衆である主権者・国民のみなさんに第一報を知らせたうえで、「安倍さんはきっと戻ってくると信じます」、そう話ししているとき、あの背格好の気配がまずわたしのすぐ背後に現れました。
わたしは聴衆のみなさんへ発している言葉とは裏腹に、胸の裡(うち)では『あっ、これは、もう駄目じゃないか。別れを告げに来られた』と無言の大声で叫びました。悲痛苦の思いが噴き出ました。
すると次の瞬間、気配はわたしの右横に回り、その朝に機内で見た笑顔そのままに微笑んで、凄まじい速さで斜め上に飛び去って行かれました。
▼心無いひとびとがまた、中傷誹謗のターゲットにするでしょう。
また、わたし自身、にんげんが創りあげてきた科学で説明できないことを、みんなに信じてもらいたいという気持ちは皆無です。
さらに、わたしの感覚を絶対視しない、ただの思い違いかも知れないと客観視することを常に、心がけています。
だからもう、書くのはやめようと思いました。
しかし暗殺から一夜明けて、畏友のほんとうのお人柄を最期にいちばん表しているかも知れない出来事であること、そして、わたしに何かを告げよう、「託す」と表現するのは僭越だと思います、それでも何かを以心伝心で伝えようとされたのかも知れないことを思い、ここに、主権者・国民のみなさんのためにこそ記します。
日本の主人公であるみなさんが、安倍さんという稀代のリーダーを喪って打ちひしがれているコメントが次々にこのブログに届く、それが、ここに上記を述べた最大の理由です。
古代の父祖から、営々と創りあげてこられたこの祖国を、甦らせる。
その安倍晋三元内閣総理大臣の志は、死なず。
ドアが開くまでのあいだ、安倍さんとわたしは飛行機のいちばん前の狭いスペースに立って、顔を近づけ、ちいさな声で話しあいました。
それも、出口秘書はずっと見ていたようです。
飛行機から降りるとき、ぼくは警護の邪魔にならないようにと、安倍さんと一緒に歩くことはせず、先にスタスタといつものように軽快に歩いて行かれる背中を見送りました。
そこからたった1時間半後の午前11時半ごろに、畏友、一国の元総理に対して僭越至極ではありますが、まさしく敬愛するわが友が、首に凶弾を浴びるとは、なんたることでしょうか。
わたしたちはお互いに、そのとき、参院選のために演説中でした。
わたしは頭の隅で、奈良の同期議員のために応援演説をされている安倍さんが、しっかり警護官に守られているであろう姿を想像していました。
どんな演説をされているのかなと、おのれも演説をしながら、ちらりと考えてもいました。
また、安倍さんのその日最初の演説が奈良だとお聴きしていましたから、おそらくわたしが昨秋の総選挙の応援、それから6年前のおのれの参院選で演説した、あの大和西大寺駅前の同じ場所じゃないかなとも思っていました。
すると、午前11時50分頃に、出口秘書がわたしにスマートフォンの画面を見せて、惨事を知らせました。
わたしは短く考えてから、聴衆である主権者・国民のみなさんに第一報を知らせたうえで、「安倍さんはきっと戻ってくると信じます」、そう話ししているとき、あの背格好の気配がまずわたしのすぐ背後に現れました。
わたしは聴衆のみなさんへ発している言葉とは裏腹に、胸の裡(うち)では『あっ、これは、もう駄目じゃないか。別れを告げに来られた』と無言の大声で叫びました。悲痛苦の思いが噴き出ました。
すると次の瞬間、気配はわたしの右横に回り、その朝に機内で見た笑顔そのままに微笑んで、凄まじい速さで斜め上に飛び去って行かれました。
▼心無いひとびとがまた、中傷誹謗のターゲットにするでしょう。
また、わたし自身、にんげんが創りあげてきた科学で説明できないことを、みんなに信じてもらいたいという気持ちは皆無です。
さらに、わたしの感覚を絶対視しない、ただの思い違いかも知れないと客観視することを常に、心がけています。
だからもう、書くのはやめようと思いました。
しかし暗殺から一夜明けて、畏友のほんとうのお人柄を最期にいちばん表しているかも知れない出来事であること、そして、わたしに何かを告げよう、「託す」と表現するのは僭越だと思います、それでも何かを以心伝心で伝えようとされたのかも知れないことを思い、ここに、主権者・国民のみなさんのためにこそ記します。
日本の主人公であるみなさんが、安倍さんという稀代のリーダーを喪って打ちひしがれているコメントが次々にこのブログに届く、それが、ここに上記を述べた最大の理由です。
古代の父祖から、営々と創りあげてこられたこの祖国を、甦らせる。
その安倍晋三元内閣総理大臣の志は、死なず。
▼もしも、警護官が安倍さんの背後をひとりでも見ていれば、安倍さんは生きている。
犯人が一発目を撃ち、それは安倍さんの頭の横にそれた。
一発目が撃たれた瞬間に犯人に飛びかかっていれば、おそらくは、二発目を撃てなかった。
連射式の高性能銃などではなく、射撃の間隔が空く手製の銃に過ぎなかったのだから。
▼もしも、犯人が一発目を撃った直後に、警護官が安倍さんに被さって倒していれば、安倍さんは生きている。
それができずとも、警護官が安倍さんを突き飛ばしていれば、安倍さんは生きている。
犯人が一発目を撃ち、それは安倍さんの頭の横にそれた。
一発目が撃たれた瞬間に犯人に飛びかかっていれば、おそらくは、二発目を撃てなかった。
連射式の高性能銃などではなく、射撃の間隔が空く手製の銃に過ぎなかったのだから。
▼もしも、犯人が一発目を撃った直後に、警護官が安倍さんに被さって倒していれば、安倍さんは生きている。
それができずとも、警護官が安倍さんを突き飛ばしていれば、安倍さんは生きている。
▼こうした事実がもはや明確になりつつあるにもかかわらず、奈良県警は「警護の手の内を見せることになる」と称して、説明を実質的にすべて拒みました。
何を言っている。
7月8日金曜の安倍晋三元総理の警護体制に不備があったからこそ、安倍さんは殺害されたのであり、その不備な警備体制は二度と、とることができない。
すなわち、もう失敗してしまった警護の手の内が分かって、もはや何の不都合があるのか。
▼危機管理の専門家のひとりとして、申しあげる。
わたしは許せない。
訓練を重ねてきた多くの警護官のためにも、この責任逃れと隠蔽の姿勢は即刻、改めねばならない。
また記者会見を奈良県警に任せた警察庁も、厳しく断罪されねばならない。
安倍さんがひとつしかない命を落とした背景には、現場を地元の警察任せにした体勢がある。要人警護の訓練が豊富な警護官を中央からより多く派遣し、かつ、地元との連携の訓練を重ねるべきだった。
若いときから、すなわち49歳にして自由民主党幹事長になったときから、警護官に囲まれて生きてこられた安倍さんが、警備の不備によって非業の死を遂げる。
人生は、罠に満ちている。
守れなかった警護の問題と同時に、犯人の動機についても、知るところ、考えるところがあります。
しかしここでは述べません。
何を言っている。
7月8日金曜の安倍晋三元総理の警護体制に不備があったからこそ、安倍さんは殺害されたのであり、その不備な警備体制は二度と、とることができない。
すなわち、もう失敗してしまった警護の手の内が分かって、もはや何の不都合があるのか。
▼危機管理の専門家のひとりとして、申しあげる。
わたしは許せない。
訓練を重ねてきた多くの警護官のためにも、この責任逃れと隠蔽の姿勢は即刻、改めねばならない。
また記者会見を奈良県警に任せた警察庁も、厳しく断罪されねばならない。
安倍さんがひとつしかない命を落とした背景には、現場を地元の警察任せにした体勢がある。要人警護の訓練が豊富な警護官を中央からより多く派遣し、かつ、地元との連携の訓練を重ねるべきだった。
若いときから、すなわち49歳にして自由民主党幹事長になったときから、警護官に囲まれて生きてこられた安倍さんが、警備の不備によって非業の死を遂げる。
人生は、罠に満ちている。
守れなかった警護の問題と同時に、犯人の動機についても、知るところ、考えるところがあります。
しかしここでは述べません。