ぱぷあ日記

海外生活はもう引退。これからは、日本に腰を落ち着けようと思います。第二の人生を切り開く様を書いていこうかと

熱帯魚ブリーダー

2024-02-15 21:57:43 | 


私の生まれは、東京板橋。家から歩いて20分ぐらいのところに堀口熱帯魚研究所があった。
その頃、すでに熱帯魚を飼っていたので、興味があったのでいってみたが、門前払いである。
しかし、数年後、小売を始めたので、イトメや赤虫なんかを買いに行くようになり、顔見知りになり、温室を見せてくれるようになった。
お子さんがいなかったので、私は結構可愛がってもらったと思う。いろいろな繁殖方法を教えてもらったものだった。
ベタやグラミーなど増やし、持っていくとイトメや魚などと交換してもらったことを思い出す。

堀口さんの年台は、第二次熱帯魚ブームの頃だろうと思う。この頃は、国産熱帯魚が普通の熱帯魚店に売られていた。
漆黒のブラックエンゼル、ソードテールの赤もよかった。
堀口さんは、コンゴテトラをメインに増やしていて、すばらしい種親をお持ちだった。

私の熱帯魚の師匠は、堀口さんだと思う。
その師匠は、よく私にこういっていた。
親に凄い財産でもなければ、熱帯魚のブリーダーなんてやってはいけないと。
ちなみに私の親には、財産がない。


コメント (5)
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リコリスグラミーフォトプロジェクト

2024-02-15 00:23:06 | 


熱帯魚の飼育を始めたのが、小学校の頃だが、今では、もう還暦である。飼い始めてかれこれ50年になる。
始めた頃は、ステンレス水槽が主流で、ステンレス枠にカラスを貼り付けた水槽しか売ってなかった。
後になって、オールガラス水槽が出てくる。その頃は、まだシリコンなどは無く、パテと言うペースト状の
物でガラスを固定していた。長く水槽を使っているとパテが劣化し水漏れがする。
50年の間にアクアリウム用品も大分進化をしてきた。
もう、60歳になると体力は落ちるし、眼が悪くなってくる。写真をやっていて、この先何年続けられるか
とても心配になってくる。最後に自分も写真で何か残したい。
最後の大仕事に選んだのが、長年の夢、リコリスグラミーの撮影
この魚、機嫌の良い時、ケンカをしている時は、凄い色を出してくれるけど
普段はいたって地味な魚で、ハッキリ言ってあまり魅力的ではない。

一種類撮影するのにかなり時間がかかる。
販売されている魚も小さいことが多いので、魚を仕上げ撮影できるようになるまでにも数ヶ月かかる。
種類も多いし、後残された時間でどれくらい出来るのかわからない。
終わりは無いと思う、出来るところまでやっていこうと思っている。
一番進まない原因は金がないこと、クラファンでもやってみようか?
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