3月11日は言わずと知れた東日本大震災の発災日で2011年だったのでもう12年もたつんですね。
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その日はちょうど国分寺市議会では予算特別委員会が開かれていて、誰が発言していたか忘れましたが、すごく大きな揺れだったので私はすぐに議場を飛び出し、3階から1階まで階段を飛び降りました。
国分寺市役所はプレハブの仮庁舎で(いまだに)、旧庁舎は耐震性に問題があるとして使っていませんでした。
まだ解体していなかったので崩れるかと思って多くの職員も見ににきていましたが、崩れませんでした。
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議会は中断してすぐに帰宅しました。
ご近所の様子を見たり、ひとり暮らしの高齢者のお宅を訪問したりしていました。
子どもたちは一人は少し離れた所の中学生で、下の2人は四小の小学生でした。
私は学校は避難所になるくらいなのだから安全だと思って全く心配していませんでしたが、どうやら親が引き取りに行くことになっていたらしく子どもたちは私が全然迎えに来ないので不安に思っていたとのことでした。
ごめんなさい。
PTAの連絡網も全く機能せず知りませんでした。
夫は職場に泊りで上の娘も学校の体育館で雑魚寝との連絡が来ましたが、たまたまご近所の方が車で迎えに行ってくれたのに便乗して一緒に家まで送ってくれました。
ありがとうございました。
娘は学校の毛布が臭くてとても無理とか言ってました(-_-;)
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とにかく未曽有の大災害でその後もいろいろ大変でした。
4月に2期目の選挙でしたが活動も最小限にして選挙も車と自転車を半々でやりました。
選挙カーを全く使わない候補者もいましたね。
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7月に会派で被災地を視察しました。
写真はその時の奇跡の一本松の写真です。
大川小学校にも行きました。
復興支援している団体の方々や自治体のお話も伺いました。
今でも胸が痛みます😿
私たちは3.11を忘れずに自分たちができることをやるしかないと決意を新たにした次第です。