おきると荘の書斎

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手クセについて①

2013-01-04 04:05:00 | ダンおに製作メモ
明けましておめでとうございます!

るとすわでございます。


実家に帰省中でござい。


ダンおにに数日間触れてません。が、どうなんでしょうかね。
前置きはさておき、最近気になっているのが、手クセについて。

プレイヤー目線から書くけど、製作者としても気になる点ではあるんですよね。

まず、なんでそんな事が気になったかというお話から。
きっかけはある譜面をプレイしている時のミスなんですね。必ずミスるャCントがある。明らかに目では追えてるのに、手がそれに逆らうように動く。
これは恐らく、その譜面をクリアできずにゴチャゴチャやってた頃の手クセです。
それはそれで修正せにゃならんのでしょうが、実際手クセってのも悪い部分ばかりじゃないんだろうと思うんですよ。

そもそもギター等の楽器において、手クセっていうのは物凄く大きな意味を持っているわけです。
アドリブのタネであったり、演奏者の個性であったりという形ですね。
このプレイは○○さんのだな、という特徴は、手クセから生じるものです。


しからば、ダンおにプレイとアドリブ演奏の違いはどこにあるのか。
これは、正しさの観点の違いにある。当然ですが、ダンおにでは流れてきたのと違う矢印を押しても意味がない。それはただのミスです。それに対してアドリブ演奏なんかでは、スケール上に乗っている音である限り鳴らした段階でミスと呼ぶことは出来ない。それどころか、プレイの基本に置かれたスケールから外れた音でさえも、面白いからOKとなる。要は正しいとされるものが違うわけです。音楽をやっていない人でも、何となく分かるかとは思うんだけどね。

そういうわけで、手クセはある意味ダンおにプレイヤーにとって改善すべき悪所になると言っていいでしょう。

しっかし、製作者の目線から見るとまたそうは言えない。
譜面の製作は、どちらかというとアドリブ演奏の側に近いんですよね。即ち、押しごこちの良し悪し、難しさ、次の矢印群への接続の良し悪しなんかが、譜面の良否を決めることになるわけです。

そうなってきた時に、製作者の手クセは果たしてどのように反映されるのか。これには幾つかの場合が考えられます。
まず1つめのパターンは、製作者の手クセがそのまま譜面に適応されるというものです。製作者が実際に指の動きを試してから矢印を置いていくような場合、その人にとって打ちやすいパターン、打ちにくいパターンが如実に譜面化されていきます。このパターンを取りやすい製作者さんの場合、プレイヤーの手クセと合うかどうかによって面白さの相性があるかもしれませんね。
2つめは、音程に合わせたり譜面の見た目から配置を決めたりするパターンです。この場合、実際に指を動かすことなく配置が決定されるので、手クセの介入する度合いは少なくなるでしょう。こういう手法を多用する製作者さんの場合、どちらかというと曲に対する矢印の置き方に一貫性が見られると思われます。
3つめはランダム配置です。8分やら16分やらをランダムに置くパターンですね。そんなことする奴いるのか、と思われる人もいるかもしれませんが、かくいう俺自身がそういう配置を使ったりします。音楽における12音技法じゃないですが、自分のストックにあるパターンのみの配置から解放されたいと思った時や、自由な雰囲気を出したいと思った時等に使っています。あんまり多用すると譜面が崩壊するからバランスは考えもんですが……

自分自身使いこなせてるわけではありませんが、実際の譜面製作ではこんなパターンを使い分けて配置していくことになります。もし他にもこんなパターンがある! という方がいたら、ぜひ教えて欲しい。俺も勉強したいんです(切実)

製作者さんによって、割合や使い分けは様々でしょう。しかしとにかく、上記の3パターンであれば上にいくほど手クセの介入度は高くなるのではないかと思います。

そして、ゲーム性や難易度のバランスを考える上で、この手クセという要素が非常に大きな鍵を握っているのではないか。そんなことを思うわけなんですね。同じ16分配置でも、難しいパターンと簡単なパターンがある、という風に。
そして、これを加味するとやはり製作者はプレイヤーとしての向上心を持つべきだろうと考えられます。何故なら、手クセは意識上の頭の処理よりも先に手が動く事によって生じ、そのある種無意識的なパターンが脳の「処理が間に合わない場面での手の動き」として学習されたものだと考えられるからです。

プレイヤーとしては、この学習されたパターンを乗り越えて、正しい譜面の処理を行うことが当座の目標となり、その繰り返しによって精度を向上させていく活動こそが上達という事になる。だから、プレイヤーの認識できる密度やスピードをどのくらい越えた譜面を考えるか、ということが、ゲームという観点からダンおにを捉えた時のャCントになる。

こう考えると、手クセはダンおにを初めとする音ゲー譜面を製作するに当たって、「見切れる」と「全く無理」の間に位置している重要なファクターとして捉えなおせるのではないかと思うんですね。

ならばどうすれば良いのか、という議論はまた今度にするとしましょう。正直思いついてないし、文章がクッソ長くなりそうなので。え? もうなってるって?
さて、では皆さんの意見も伺いたいと思いつつ、この辺で切りたいと思います。