こんばんにゃ。
自分が書いた文章を後で見返した時凄く嫌な感じがすること、あるよね。
言葉遣いとか語彙とか句読点の打ち方とか、
いざ客観視しようとすると非常に難儀なんですよね。
その代わり、書き終わった後に見返してもあまり違和感がない。
これがまた妙ですね。
自分のものであるということによって最初は親近感すら感じられるんだけど、
後になってくると他人のものより気味が悪い。
このブログの中で心理学雑談ってのを時々やってるんだけど、
そういった記事をちゃんと書こうとする時は、一応サラッと読み返してから登校してます。
逆に、こういうダラダラ書いていける文章に関しては全く読み返さずに上げてしまうことが多いです。
ダラダラ文章を書いていくのは結構好きで、
ブログっていうコンテンツはそういう意味でかなり素敵かもしれません。
書いていきながら書きたいことが自然に出てくるというか、
自分が書いたある適当な一文をきっかけに意見がズルズルと出てくるのが楽しいんだよね。
引っかかりが思わず出てくる感じというか。
特に何かを書かんとして書き始めているわけではないんだけど、
なんか思いつくままに言葉を並べていたら、
無意識に打ったある一文に自分自身が引っかかって、
その話題を中心に思考が回っていくような。
そういうのがあると楽しいんだけど、
それはブログとしてどうなのかと。
出来事を書くためにあるのではないのかと。
でもねと。
歩いてたら見たことのない人がフラフラと歩いていたのでついて行ったら魔界でした、みたいなパターンが結構あるわけですよ。
なんかホコサキさんみたいになってきたね。
ホコサキさんを知らない方はラーメンズのDVDをご覧ください。
ラーメンズの話もし始めると結構長くなりそうなんだけど、
それはまたの機会にしましょうかね。
いや、やっぱりちょっとしとこう。
ラーメンズはね。
賛否両論ということは知っているんだけど、少なくとも私は大好物なわけですよ。
演劇とコントの中間だとか、件p性の高い笑いだとか、中二病だとか言われます。
ラーメンズの本公演は、1公演がいくつかのコントで構成されていて、
多くの場合一つひとつのコントが全体として繋がっている。
繋がっているといっても同じ世界の物語だというわけではなくて、
とあるコントで鳴った音が別のコントで違う表現のために鳴っていたり、
最初のコントで演じていたキャラクターが後半ちょこっと顔を出したりといった感じ。
まあアレです。伊坂幸太郎の小説群みたいな? ちょっと違うかな。
本公演は何回か行われていて、
どうやら初期の方が好きな人と後期の方が好きな人がいます。
初期の方が、中二病度合いは薄くて純粋なお笑いっぽいイメージが強いんですが、
俺はベタに「TEXT」が好きです。
ベタに「TEXT」が好きです。って……
パッと見意味不明な言い回しですが、
とある層から見ると「あー、そういう感じね」ってなところだと思います。
TEXTはね。
全ての人に一度最初から最後まで通しで見てもらいたいね。
宮沢賢治が好きな方は是非。
あ、最近岩手に行きました。
いい所だったよ。とっても。
イーハトーヴ絡みの博物館も楽しかった。
何だろう。都会では絶対にああいう施設は成立しないと思う。
割と小ぢんまりとしてるんだけどね。
小ぢんまりとしていて、小さな楽しさが転がっているような施設は、
人が多くて賃料が高い都会には向いてない。
銀河鉄道の夜の変遷とかね。
アレ凄い練られてるんだね。何度も何度も物語を書き換えてる。
自分にとってしっくりくるキャラクターとしっくりくる展開に収めるために、
めちゃめちゃ試行錯誤したんだろうなあと思うと、
しんどさと同時にワクワクが込み上げるのを禁じ得ない。
きっと初めは粗削りで見るに堪えないものなんだと思うんだけど、
何度も何度も見返して、自分で真に納得できるものが作れた時、
それはついに作品として見せるに値するものになるのかもしれませんね。
ただ個人的には完全に想定内に収まってしまっているものでも面白くないとは思ってるんですけどね。
特にダンおにの譜面とか。
思い付きで「えいっ」とやってしまったものが案外面白かったりすることもあるからね。
でもでも、もっと深く考えると、
それすら面白味の一つとしてちゃんと吟味していく能力を身に着けて、
悪戯心のアイディアとそれを飼い慣らす冷静さをしっかり持ち分けておくことが一番良いのかもしれません。
ありきたりだけど、
そのありきたりを心を巻き込んでやっていくのが難しいからみんな苦労しているんだよね。
なんかすぐ切り上げるつもりが30分以上書いてしまった。
それではこの辺で切り上げようと思います。
おやすみなさい。
自分が書いた文章を後で見返した時凄く嫌な感じがすること、あるよね。
言葉遣いとか語彙とか句読点の打ち方とか、
いざ客観視しようとすると非常に難儀なんですよね。
その代わり、書き終わった後に見返してもあまり違和感がない。
これがまた妙ですね。
自分のものであるということによって最初は親近感すら感じられるんだけど、
後になってくると他人のものより気味が悪い。
このブログの中で心理学雑談ってのを時々やってるんだけど、
そういった記事をちゃんと書こうとする時は、一応サラッと読み返してから登校してます。
逆に、こういうダラダラ書いていける文章に関しては全く読み返さずに上げてしまうことが多いです。
ダラダラ文章を書いていくのは結構好きで、
ブログっていうコンテンツはそういう意味でかなり素敵かもしれません。
書いていきながら書きたいことが自然に出てくるというか、
自分が書いたある適当な一文をきっかけに意見がズルズルと出てくるのが楽しいんだよね。
引っかかりが思わず出てくる感じというか。
特に何かを書かんとして書き始めているわけではないんだけど、
なんか思いつくままに言葉を並べていたら、
無意識に打ったある一文に自分自身が引っかかって、
その話題を中心に思考が回っていくような。
そういうのがあると楽しいんだけど、
それはブログとしてどうなのかと。
出来事を書くためにあるのではないのかと。
でもねと。
歩いてたら見たことのない人がフラフラと歩いていたのでついて行ったら魔界でした、みたいなパターンが結構あるわけですよ。
なんかホコサキさんみたいになってきたね。
ホコサキさんを知らない方はラーメンズのDVDをご覧ください。
ラーメンズの話もし始めると結構長くなりそうなんだけど、
それはまたの機会にしましょうかね。
いや、やっぱりちょっとしとこう。
ラーメンズはね。
賛否両論ということは知っているんだけど、少なくとも私は大好物なわけですよ。
演劇とコントの中間だとか、件p性の高い笑いだとか、中二病だとか言われます。
ラーメンズの本公演は、1公演がいくつかのコントで構成されていて、
多くの場合一つひとつのコントが全体として繋がっている。
繋がっているといっても同じ世界の物語だというわけではなくて、
とあるコントで鳴った音が別のコントで違う表現のために鳴っていたり、
最初のコントで演じていたキャラクターが後半ちょこっと顔を出したりといった感じ。
まあアレです。伊坂幸太郎の小説群みたいな? ちょっと違うかな。
本公演は何回か行われていて、
どうやら初期の方が好きな人と後期の方が好きな人がいます。
初期の方が、中二病度合いは薄くて純粋なお笑いっぽいイメージが強いんですが、
俺はベタに「TEXT」が好きです。
ベタに「TEXT」が好きです。って……
パッと見意味不明な言い回しですが、
とある層から見ると「あー、そういう感じね」ってなところだと思います。
TEXTはね。
全ての人に一度最初から最後まで通しで見てもらいたいね。
宮沢賢治が好きな方は是非。
あ、最近岩手に行きました。
いい所だったよ。とっても。
イーハトーヴ絡みの博物館も楽しかった。
何だろう。都会では絶対にああいう施設は成立しないと思う。
割と小ぢんまりとしてるんだけどね。
小ぢんまりとしていて、小さな楽しさが転がっているような施設は、
人が多くて賃料が高い都会には向いてない。
銀河鉄道の夜の変遷とかね。
アレ凄い練られてるんだね。何度も何度も物語を書き換えてる。
自分にとってしっくりくるキャラクターとしっくりくる展開に収めるために、
めちゃめちゃ試行錯誤したんだろうなあと思うと、
しんどさと同時にワクワクが込み上げるのを禁じ得ない。
きっと初めは粗削りで見るに堪えないものなんだと思うんだけど、
何度も何度も見返して、自分で真に納得できるものが作れた時、
それはついに作品として見せるに値するものになるのかもしれませんね。
ただ個人的には完全に想定内に収まってしまっているものでも面白くないとは思ってるんですけどね。
特にダンおにの譜面とか。
思い付きで「えいっ」とやってしまったものが案外面白かったりすることもあるからね。
でもでも、もっと深く考えると、
それすら面白味の一つとしてちゃんと吟味していく能力を身に着けて、
悪戯心のアイディアとそれを飼い慣らす冷静さをしっかり持ち分けておくことが一番良いのかもしれません。
ありきたりだけど、
そのありきたりを心を巻き込んでやっていくのが難しいからみんな苦労しているんだよね。
なんかすぐ切り上げるつもりが30分以上書いてしまった。
それではこの辺で切り上げようと思います。
おやすみなさい。