こんばんは。
少し前の話になりますが、
意外と人の感じ方・表現の仕方は似通っているのかもしれないと思ったことがあったので、
紹介しておきたいと思います。
会社の同僚と飲んでた時の話なんですけどね。
後輩の子がロシア関係の研究を大学でやってたというので、
俺もなけなしの知識をひけらかして「ロシアの件pっていいよね」みたいな話をけしかけたんです。
あ、一応弁明のために述べておきますけど、
俺も超有名どころの小説は読んだことあるし、
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』が狂おしいほど好きだった時期もあったんです。
展覧会の絵、聴いたことない人は是非聴いた方がいいよ。
ロックなクラシック音楽だから。ブレンデルのやつが割と楽譜に忠実で個人的に聞き心地好いです。
で、その子にロシアのどんなところが良いのかって聞いたら、
「泥臭いところがいいじゃないですか」っていう答えだったのね。
これ、俺がロシア人の小説とか音楽に対して持っていた感覚と一致してたんだよね。
しかも、泥臭いっていう表現の仕方まで同じだったから驚いたんですよ。
それで、人の感性って千差万別と言いつつ結構似通ってるところもあるのかな、と思った次第です。
いやー、でも本当に泥臭い感じがするんだよね。
憎しみとか悪意みたいなものもヨーロッパの作品より明け透けな感じだし、
情熱的な感情にしても、例えばウェルテルみたいな内面との対話が多い情熱とは違って、
もっと劇場型でぶつかり合いが多い感じかな。
あと、これはロシア文学だけなのかと言われるとちょっと怪しいけど、
登場人物が異様に多いんだよね。しかも名前の呼び方がガンガン変わっていくから日本人には結構大変。
例えば、ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチ・イヴォルギンという人物であれば、話しかけてくる相手によってガーネチカとかガーニャとかガンカとか、呼び方が変わります。
これが当たり前になるまでには結構大変なんですよね。
日本人感覚でもなんとなく雰囲気で同一人物だと理解することはできるんだけど、
名前の似てる人が登場すると事態はかなり深刻。あと、親族が登場すると結構混迷を極めます。
俺が初めて読んだロシアの小説はドストエフスキーの『罪と罰』なんですが、
思い起こすとこれまで読んだロシア小説の中でも一番大変だった記憶があります。
今ならスラスラ読めるのか、やっぱりあの小説が難しかったのかはよく分からないけど。
ドストエフスキーだと『カラマーゾフの兄弟』は結構読みやすくて面白かった記憶がある。
うーん、ただ小説の中身自体は罪と罰の方が記憶にある感じがするなあ。
筋書きが有名すぎるからか?
まあいいでしょう。
ただ、ロシア小説って結構取っ付きにくい感じがあるのよね。
何故って、なんせ長編が多い。
まあ、他の海外小説も大概なんだけど、
今の読書あんまり好きじゃない世代の若者からすると辞書みたいな迫力があるよね。
大体過去の文豪の作品は色々な出版社から出てますが、
新潮文庫で例えば『罪と罰』なら上下巻合わせて1,000ページを超えます。
これは取っ付きにくいねー。
しかも書いてるのが日本人じゃないから文化もよく分からないし、
その上登場人物も多くて呼び名も変わる。
俺が今まで読んだ中で一番長かったのはトルストイの『戦争と平和』ですが、
700ページの文庫本が4冊分あります。
調べたらチョイ役も含めると登場人物は559人にのぼるようです。
559人ってどう考えてもキャパ超えてるんだよな。大企業かよ。
まあ、当然覚える必要のない人が大半なんだけどね。
ただ、これが読んでいくと中々味わい深いんだよ。泥臭いというか、噛めば噛むほど味が出るというか。
あっさりしてない分、読み切った感も楽しんだ感も深く残ります。
今までロシア系を読んだことがない人には、
やはり『カラマーゾフの兄弟』がおすすめですかね。
これまでの中でも一番読みやすかったので。
2大巨匠を比較すると、ドストエフスキーの方が読みやすい印象。
個人の生活に近い視点で物語が描かれているからだと思う。
トルストイは百姓と貴族の会話だとか戦争みたいな時代背景が絡むエピソードが多かったり、
俯瞰的な視点で複数の登場人物について語ったりしているので少し分かりにくい印象があります。
『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も結構読み切るのに時間がかかった。
短さ重視で取り鰍ゥるならツルゲーネフの『はつ恋』が短くて良いと思います。
これも描かれ方はロシア文学的な感じがする。というか、今の日本の小説ではああいう表現の仕方はあんまりないんじゃないかなあ。
時代小説とか少し古い人の小説とかの書き方に近いのかもしれない。
俺も読書家ではないから適切な表現ができないけど。。。
まあ、とにかく結構人の感性って近いものがあるのかもね、
っていう話がしたかったんですよ。
あとは、最近読書離れが進んでるみたいだけど、
読んでみると結構面白いよ、ってことも言いたかった。
俺としては漫画も広義の読書でいいんじゃないかと思うけど、
単純にメディアの種類が少し違うから、「漫画読んでるから読書してるんだよ!」って言い張られても困るというか……
そう、そこに関しては色々な意見があると思うんだけどさ。
「漫画は読書に含まれるのか?」論争って、
ちょっと話がズレてるんじゃないかって気がするんだよね。
漫画も物語の追体験ができるわけだから小説と同じ読書なんだよ!
っていうのは分かる。
読書ってのは活字を読むことであって、漫画なんか読書に含まれねえよ!
っていうのも分かる。
でも、そもそもそれって言葉の定義の問題だから、
「漫画は読書に含まれる。よって小説や随筆は読まなくても読書時間は確保されており問題ない」という理屈はおかしいと思うんだよな。
漫画は漫画。小説は小説でしょうよ。重なる部分はあっても同一じゃないよね。
「俺は素振りを欠かさずやってるから他の練習はしなくても野球が上手いんだ!」みたいな主張と同じでしょ、それ。
漫画を読書時間に入れようが入れまいがどっちでも構わないけど、
やっぱり活字は活字で読んだ方がいいんじゃないの? って気がしますけどね。
例えばアニメなら出来上がったビジュアル・音楽・声と物語を視聴する。
でも、キャラクターが感じたことを全部言葉にして喋ってくれるわけじゃないから、
ある程度間合いとか状況から気持ちを察したりするイメージが必要になる。
漫画ならビジュアルと物語はある。声は自分のイメージを重ねる。心情の描写はセリフだけじゃなく、主人公から見える風景だったり、コマ割りだったりで表現される。
小説は活字を元にビジュアルも声も自分でイメージする。コマ割りとかもない代わりに、地の文だったり文章の間合いから心情や状況をイメージする。
どれも使う頭が少しずつ違うじゃないですか。
だからある意味「活字をちゃんと読んでるから漫画なんていう低俗な文化には触れない」ってのも間違ってると思うんだよね。
文化人気取るなら全部いっとけや、みたいな。
ま、でも選り好みは当然あるから仕方ないけどねー。
あ、唐突ですが、最近実況プレイ動画を再びアップし始めました。
「何年かけて1シリーズやるんだ」みたいなところは正直あると思うんだけど、
そんな時はハリーャbターを思い出してください。
ノベルゲームの魅力は凄いよー。
久々にイヤホン着けてプレイしたらまた魅力にハマりこんでしまいそうです。
そう。ちょろっとだけ実況動画も上げてたことがあるんだけど、
『すくとり』っていう18禁のノベルゲームがあるんですね。
18禁といっても基本は王道の恋愛もので、最後に結ばれるっていうまあ王道エロゲの流れなんですが。
京都の話で割と今やると寂しさがこみあげてきそうなんであんまりやりたくないんだけど、
フリーノベル (アドベンチャー) なんですね。
フリーノベルをプレイすることってぶっちゃけ世の中的にあんまり趣味にしてる人は多くないと思ってたし今も思ってるんだけど、
これがね。会社の同期にいたんですよ。『すくとり』を知ってる人が。
既に仲良くなってたから「マジか!」みたいな感じになったけど、
そうじゃなかったらどう接していいか分からなくなるところだった。
いやー、だってフリーノベル自体凄い数あるからね。
有名どころは限られているとはいえ、意外に世間は狭いものですね。
んー、でもこの作品、18禁にしておくにはめっちゃ惜しいんだよね。
結ばれるシーン無くていいから全年齢版もあった方が良かったと思う。
明らかにこの物語に一番感情移入できる層は現役の中高生だろうから。
難しいところですね。
さて、また文章が長くなってきてしまったし、
睡眠時間が短くなってきてしまったのでそろそろ締めたいと思います。
それではそれでは。
少し前の話になりますが、
意外と人の感じ方・表現の仕方は似通っているのかもしれないと思ったことがあったので、
紹介しておきたいと思います。
会社の同僚と飲んでた時の話なんですけどね。
後輩の子がロシア関係の研究を大学でやってたというので、
俺もなけなしの知識をひけらかして「ロシアの件pっていいよね」みたいな話をけしかけたんです。
あ、一応弁明のために述べておきますけど、
俺も超有名どころの小説は読んだことあるし、
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』が狂おしいほど好きだった時期もあったんです。
展覧会の絵、聴いたことない人は是非聴いた方がいいよ。
ロックなクラシック音楽だから。ブレンデルのやつが割と楽譜に忠実で個人的に聞き心地好いです。
で、その子にロシアのどんなところが良いのかって聞いたら、
「泥臭いところがいいじゃないですか」っていう答えだったのね。
これ、俺がロシア人の小説とか音楽に対して持っていた感覚と一致してたんだよね。
しかも、泥臭いっていう表現の仕方まで同じだったから驚いたんですよ。
それで、人の感性って千差万別と言いつつ結構似通ってるところもあるのかな、と思った次第です。
いやー、でも本当に泥臭い感じがするんだよね。
憎しみとか悪意みたいなものもヨーロッパの作品より明け透けな感じだし、
情熱的な感情にしても、例えばウェルテルみたいな内面との対話が多い情熱とは違って、
もっと劇場型でぶつかり合いが多い感じかな。
あと、これはロシア文学だけなのかと言われるとちょっと怪しいけど、
登場人物が異様に多いんだよね。しかも名前の呼び方がガンガン変わっていくから日本人には結構大変。
例えば、ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチ・イヴォルギンという人物であれば、話しかけてくる相手によってガーネチカとかガーニャとかガンカとか、呼び方が変わります。
これが当たり前になるまでには結構大変なんですよね。
日本人感覚でもなんとなく雰囲気で同一人物だと理解することはできるんだけど、
名前の似てる人が登場すると事態はかなり深刻。あと、親族が登場すると結構混迷を極めます。
俺が初めて読んだロシアの小説はドストエフスキーの『罪と罰』なんですが、
思い起こすとこれまで読んだロシア小説の中でも一番大変だった記憶があります。
今ならスラスラ読めるのか、やっぱりあの小説が難しかったのかはよく分からないけど。
ドストエフスキーだと『カラマーゾフの兄弟』は結構読みやすくて面白かった記憶がある。
うーん、ただ小説の中身自体は罪と罰の方が記憶にある感じがするなあ。
筋書きが有名すぎるからか?
まあいいでしょう。
ただ、ロシア小説って結構取っ付きにくい感じがあるのよね。
何故って、なんせ長編が多い。
まあ、他の海外小説も大概なんだけど、
今の読書あんまり好きじゃない世代の若者からすると辞書みたいな迫力があるよね。
大体過去の文豪の作品は色々な出版社から出てますが、
新潮文庫で例えば『罪と罰』なら上下巻合わせて1,000ページを超えます。
これは取っ付きにくいねー。
しかも書いてるのが日本人じゃないから文化もよく分からないし、
その上登場人物も多くて呼び名も変わる。
俺が今まで読んだ中で一番長かったのはトルストイの『戦争と平和』ですが、
700ページの文庫本が4冊分あります。
調べたらチョイ役も含めると登場人物は559人にのぼるようです。
559人ってどう考えてもキャパ超えてるんだよな。大企業かよ。
まあ、当然覚える必要のない人が大半なんだけどね。
ただ、これが読んでいくと中々味わい深いんだよ。泥臭いというか、噛めば噛むほど味が出るというか。
あっさりしてない分、読み切った感も楽しんだ感も深く残ります。
今までロシア系を読んだことがない人には、
やはり『カラマーゾフの兄弟』がおすすめですかね。
これまでの中でも一番読みやすかったので。
2大巨匠を比較すると、ドストエフスキーの方が読みやすい印象。
個人の生活に近い視点で物語が描かれているからだと思う。
トルストイは百姓と貴族の会話だとか戦争みたいな時代背景が絡むエピソードが多かったり、
俯瞰的な視点で複数の登場人物について語ったりしているので少し分かりにくい印象があります。
『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も結構読み切るのに時間がかかった。
短さ重視で取り鰍ゥるならツルゲーネフの『はつ恋』が短くて良いと思います。
これも描かれ方はロシア文学的な感じがする。というか、今の日本の小説ではああいう表現の仕方はあんまりないんじゃないかなあ。
時代小説とか少し古い人の小説とかの書き方に近いのかもしれない。
俺も読書家ではないから適切な表現ができないけど。。。
まあ、とにかく結構人の感性って近いものがあるのかもね、
っていう話がしたかったんですよ。
あとは、最近読書離れが進んでるみたいだけど、
読んでみると結構面白いよ、ってことも言いたかった。
俺としては漫画も広義の読書でいいんじゃないかと思うけど、
単純にメディアの種類が少し違うから、「漫画読んでるから読書してるんだよ!」って言い張られても困るというか……
そう、そこに関しては色々な意見があると思うんだけどさ。
「漫画は読書に含まれるのか?」論争って、
ちょっと話がズレてるんじゃないかって気がするんだよね。
漫画も物語の追体験ができるわけだから小説と同じ読書なんだよ!
っていうのは分かる。
読書ってのは活字を読むことであって、漫画なんか読書に含まれねえよ!
っていうのも分かる。
でも、そもそもそれって言葉の定義の問題だから、
「漫画は読書に含まれる。よって小説や随筆は読まなくても読書時間は確保されており問題ない」という理屈はおかしいと思うんだよな。
漫画は漫画。小説は小説でしょうよ。重なる部分はあっても同一じゃないよね。
「俺は素振りを欠かさずやってるから他の練習はしなくても野球が上手いんだ!」みたいな主張と同じでしょ、それ。
漫画を読書時間に入れようが入れまいがどっちでも構わないけど、
やっぱり活字は活字で読んだ方がいいんじゃないの? って気がしますけどね。
例えばアニメなら出来上がったビジュアル・音楽・声と物語を視聴する。
でも、キャラクターが感じたことを全部言葉にして喋ってくれるわけじゃないから、
ある程度間合いとか状況から気持ちを察したりするイメージが必要になる。
漫画ならビジュアルと物語はある。声は自分のイメージを重ねる。心情の描写はセリフだけじゃなく、主人公から見える風景だったり、コマ割りだったりで表現される。
小説は活字を元にビジュアルも声も自分でイメージする。コマ割りとかもない代わりに、地の文だったり文章の間合いから心情や状況をイメージする。
どれも使う頭が少しずつ違うじゃないですか。
だからある意味「活字をちゃんと読んでるから漫画なんていう低俗な文化には触れない」ってのも間違ってると思うんだよね。
文化人気取るなら全部いっとけや、みたいな。
ま、でも選り好みは当然あるから仕方ないけどねー。
あ、唐突ですが、最近実況プレイ動画を再びアップし始めました。
「何年かけて1シリーズやるんだ」みたいなところは正直あると思うんだけど、
そんな時はハリーャbターを思い出してください。
ノベルゲームの魅力は凄いよー。
久々にイヤホン着けてプレイしたらまた魅力にハマりこんでしまいそうです。
そう。ちょろっとだけ実況動画も上げてたことがあるんだけど、
『すくとり』っていう18禁のノベルゲームがあるんですね。
18禁といっても基本は王道の恋愛もので、最後に結ばれるっていうまあ王道エロゲの流れなんですが。
京都の話で割と今やると寂しさがこみあげてきそうなんであんまりやりたくないんだけど、
フリーノベル (アドベンチャー) なんですね。
フリーノベルをプレイすることってぶっちゃけ世の中的にあんまり趣味にしてる人は多くないと思ってたし今も思ってるんだけど、
これがね。会社の同期にいたんですよ。『すくとり』を知ってる人が。
既に仲良くなってたから「マジか!」みたいな感じになったけど、
そうじゃなかったらどう接していいか分からなくなるところだった。
いやー、だってフリーノベル自体凄い数あるからね。
有名どころは限られているとはいえ、意外に世間は狭いものですね。
んー、でもこの作品、18禁にしておくにはめっちゃ惜しいんだよね。
結ばれるシーン無くていいから全年齢版もあった方が良かったと思う。
明らかにこの物語に一番感情移入できる層は現役の中高生だろうから。
難しいところですね。
さて、また文章が長くなってきてしまったし、
睡眠時間が短くなってきてしまったのでそろそろ締めたいと思います。
それではそれでは。