老いてなお 生き生きと しなやかに しっとりと

老いても老いずの風情で、しかしその歳らしく、しっとりとした趣を醸しだせる女性でありたい。後期高齢者の仲間入りを受け入れて

家計予算つくりの授業を思い出しました

2024-06-06 09:17:24 | 思い出

物価の上昇している最近はため息ばかりであるが、テレビで節約の話をしているのを見て思い出したことがある。

あれは、担任の先生からして思い起こせば小学校4年生のことだと思う。

一ヵ月の予算を作るという授業があった。4年生でやるかなと思うが、簡単なものだったのだろう。

金額を提示されて、その中で各費目に割り振っていくというものだった。

私は、今でいうなら予備費なのだが、その時どういう名目にしたかはわからないが、とにかくそういう予備をとった。予備費と言う言葉を知っていたかな?

知っていたら使っているだろう。

其処はどうでもいいのだが、先生は「これは駄目、何かに当てはめなさい」というばかり。私は、それでも足りなくなった時の予備とか、予期しない出費があったときのためと説明するが、それは駄目の一点張りだった。

あれは未だに私としては不服だ。予期せぬことが起るかもしれないのが<この世の当たり前>ではないか。

現在の家計でも少しばかりの余裕を残し予備費にして、残があれば「良かったー」と次月へ繰り越すなり預金にしてもいいと思う。

この考えは駄目なのかな~

70年近く経った昔の思い出だが、いまだに釈然としない。

あの先生はどうなさってるかな、母と同年代だったから、どうかな~と思いつつ、あぁやはり釈然としない。

因みに現在の私の家計簿は予算を立てるなんて、おこがましい。出たとこ勝負の今日の支出を書くだけで残額がお財布と合ってるか確かめるだけだ。収入なんて年金のみ。至極簡単でありまする。

そんな昔を思い出した昨日の一日だった。肩が凝ったので花見て一服しましょう。友人が育ててる胡蝶蘭です。

ではまた、お会いしましょう

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へバーデン結節で思い出しました

2023-11-29 09:58:04 | 思い出

へバーデン結節と診断されたというブロ友さんの話を聞いて、ふと思い出しました。

もう8年前になりますが、電位・超短波組み合わせ家庭用医療機器を購入しました。

電気を通すパットを敷いた椅子に掛けるのですが、これに掛けるため毎日宣伝してるところに通ったのです。地域を変えて数か月ずつ滞在して宣伝販売するという形でした。

毎日同じことを繰り返し宣伝するのを聞いてるのですが、覚えてしまうほど長くいて、話が面白いので皆通いました。

どういう効果があるかと言う話でへバーデンも出てきました。指の関節が腫れて痛みがあり、節が大きくなります。

私の妹もへバーデンもちで第一関節が膨れています。同級生の久子さんもヘバーデンにかかっていますが、痛みはもう訴えません。落ち着くのでしょうかネ。当時かなりの人がこの機器を買いました。市内から相当の金がこの会社に入ったと噂になったほどでした。

あまりに人が集まるので、同じ会社の宣伝で市内に数か所、似たような会社からも来て宣伝販売しました。

私も魔法にかかったような風で買いました。今も時々、できるだけ日曜日には掛けるようにしてますが、どれだけ効いているのかは分かりません。だって病院通いは相変わらずですもの。

総体的に考えるに、「買わなきゃよかったかな」です。でも私にすれば大枚をはたいています。「使わなきゃ」です。日曜日午後、テレビを見ながら椅子にパットを敷いて腰かけています。

懐かしく楽しいという想い出でもないけれど…当時は楽しかったのですが…まぁ、思い出したので書いてみました。

長々とお付き合い読んでいただきましてありがとうございます。

ではまた、そのうちお会いしましょう

 

 

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「人生の扉」を聞いて

2022-11-10 16:27:03 | 思い出

平成22年11月、母が逝って今年は13年忌。間もなく命日が来る。

YouTubeを見ていて、母が入院しているときのことを思い出した。

熊本在住だった長弟が病院で、母についていた私と話があると言って別室で話した。その時の厳しい表情での弟の話と言うのが「自分が肺がんにかかっている」ということだった。

その頃だったか、母がいなくなってからだったか、定かでないが、私にいい歌があると言って教えてくれたのが「人生の扉」(竹内まりやさん)だった。

曲もいいけど歌詞がいいという。私も早速聞いて歌詞に共感しつつ、「いいねぇ」と、その頃は一生懸命、よく歌っていた。そのうち忘れたりしていたが、その頃書き写した歌詞が今日は探し物をしていて偶然見つかった。

偶に失ったかなと思ったりしていたが、大事にしまっていた。

癌と言う病を得て、この歌詞を聞き、弟がどんな思いでいたか、しみじみとわが胸に迫ってきた。

その前に、他の人の歌でも人生を歌ったものを聞いていた後だったのも影響したかもしれないが、最初、弟の生前に聞いたときとは違い、弟がどんな気持ちで聞いていたのかと、、、悲しくなった。

私は滅多に涙は出ない。悲しくても出ないことが多い。でも、今日だけは自然と涙がにじみ出て、あの頃の弟の深い悲しみ・切なさが迫ってきた。

音楽の力。私は、あの頃はまだ理解が浅かった。解ってなかった。母に続き自分より若い弟たちを失い、やがて一人ぼっちになるかもしれぬわが身の心細さを思い、やっと本当にあの頃の彼の心中を垣間見たように思うことだ。

今日は人生を歌った歌を3曲も聞いた。しみじみとした一日になった。

母の命日には、隣の弟たちと一緒にお寺さんに行き、お墓参りもする予定だ。

 

ではまた,そのうちお会いしましょう

 

 

 

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女性軽視…思い出したこと

2021-02-09 09:46:30 | 思い出

先日来、さるお方の女性軽視ともとれる発言が物議を醸しているが、今に始まったことではない。

こちらさんに代表されるが、大体男性各々方にその感覚は沁み込んでいるのではあるまいか。

一応、理屈では皆さんご理解がある筈と思う。解っているが、ある時フイと芯のところにしみこんだものが出てしまう。今回の失言も、そういうことではないかと考える。

これは、メディアでも取り上げられているので、おこがましく私が何かを言うこともない。

そこで、思い出したことがある。

昭和の末ごろか、平成の初めのころか、定かでないが、まぁその当たり。

島にいた私は周囲の考え方になじめないでいた。

皆が一つであるのはいいことだが、考え方は固定していた。違った意見を持ち発言することはタブーだった。思ったことを言う私は「女のくせに」とたたかれる、陰口を言われる。

雌鶏が時を告げるなんてないことで、「あそこは女がものを言う」と、夫が足を引っ張られる。雌鶏が鳴いてというのだった。そこまではっきり言わずとも、要するにそういうことだった。

夫の仕事に関して、委託事業をうけていた会社の若手がチョコチョコ遊びに来ていたころのことである。

何かの件で、その人が「女が…」何といったか覚えないが、要するに蔑視したようなことを言ったのに対して私の表情が変わったようだった。

「ア、キッとなりましたね」と彼は言った。顔色を読むのもうまい人だった。かねがね私が、どんな考えでいるかを知っていたということである。

それは一例に過ぎない。

こんな私は所謂異端児で、最後まで溶け込めなかったなぁ~

嫌がらせで婦人会長だってやらされた。困らせようとしてのことと分かっていた。

困りませんでしたね。楽しかった。なってしまえば、下の役員は協力しないことは無く、話を纏めるのは楽しいことだった。

やっと自分の出番が来た!くらいのものだった。これ以上書くと自慢になるので止めておこう(笑)

そういうことで、今でも、何処にでも、女性蔑視はあるということ。そんな人はいるということだ。諦めずに女性の地位向上を訴え続けねばならないだろう。

我に似合わず、偉そうなことを言っちゃった。戯言です。

ではまた、お会いしましょう

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昔の「いじめ」

2021-01-30 10:30:15 | 思い出

昨日は病院からの帰り道、雪がちらつくほどの寒い一日でした。

カラオケ教室で使うDVD25曲入りを注文するために店に立ち寄った。この仕事は、いつの間にか私の仕事になってしまった。

毎月の課題曲を決めるのも私の仕事。どれが、どんな曲かわからないのでパソコンで聞いてみて決める。コピーを作るのも私。他に一人の男性がパソコン使う人がいるが、他の教室の会長で忙しいと言う。

なので、疲れているときは教室を退会しようかと思ったりもする。でもそうすると困るだろうな~と言う気が働いて言えない。

もうすぐ新年度の役員を決めねばならぬが、代われないだろうな~と、これも諦めムードの私を含む現役員3人。前途多難な教室である。

          

このカラオケ教室で子供のころの、「いじめ」の話になった。

いじめに遭った経験はある。小学5年だったか6年だったか、同じ先生だったので定かでないが確か6年だったと思う。

新学期の4月から夏休みになるまで一学期間毎日、私が泣くまでいじめられた。泣けばお腹が動くのでそれまで又はやし立てられた。

房ちゃんという子がいて、先生に告げてくれたら、注意されたのか次の学期からはいじめはなくなった。

いつか、遇えば「あなたはいじめたよね」と言ってやろうと思うが床屋の息子だった彼には一度も会っていない。何処でどうしているか、私をカラオケ教室に誘ってくれた久子さんも会っていないと言う。

それぞれに思い出を話す中で、「子供がいじめに遇った。それは大人になっても影響を受けていて、周りの様子を見る子になった」という人もいた。

時々、学校のいじめが話題になるが、これは早く気付いて止めねばいけないと思う。命まで奪ってしまう例もある。

しかし、私たちの子供時代は、そこまで追いつめたかな~とも思うが、知らなかっただけだろうか……

ではまた、お会いしましょう

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