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…轟橋の下から出合橋を見る
轟橋が架かる奥嶽川左岸は地元の人から杓子岩と呼ばれている切り立った崖となっています。
流れる奥嶽川の澄んだ水です。
こちらは、出合橋 轟橋より少し下流に架かる「清水橋」です。初めて見たとき轟橋と間違えてしまいました。こちらも二連の美しい石橋です。
…出合橋から、轟橋を見る
…橋にもう少し接近して
…堂々とした轟橋
…左手 阿蘇溶結凝灰岩と、轟橋
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豊後大野市に、一連と二連の石橋を同時に見ることの出来る美しい場所があります。
手前の二連石橋が「轟橋」
そのアーチの奥に見えるのが「出会橋」です。
流れる川の水もきれいで とても美しい眺めです。
ところで石橋
『わが国の石橋の96%以上が九州に存在します。この九州に於いて、大分県はその数が他県に比して抜きん出て多く、日本一を誇っています。そのうちアーチ橋は500基以上です。他に桁橋も、35基。』…「伝えたいふるさとの石橋」より
安心院(あじむ)や院内(いんない)は美しい石橋の多さでよく知られていますが、
旧 清川村(現 豊後大野市)にこの轟橋(とどろばし)、出合橋(であいばし)はあります。
…轟橋の下から出合橋を見る
この出合橋と轟橋、日本一と日本二の橋です。アーチの径間が轟橋、日本一の31.6m
出合橋、日本ニの28.7mだそうです。
これ程の大きな橋が、なぜこんなに近くに
そう交通量も多くないこの地に造られたのか⁈
それは造られた時期と、目的の違いでた。
出合橋は、大正14年 下を流れる奥嶽川両岸の住民の生活道路として、
轟橋は昭和9年、上流の傾山から材木を切り出す鉄道橋として建設されたそうです。
大分県の中でもかなりの山間部にこんな大きな石橋が築かれていたことを知り驚くと共に誇りにも思いました。
轟橋が架かる奥嶽川左岸は地元の人から杓子岩と呼ばれている切り立った崖となっています。
これはかつて阿蘇山の大噴火でこの辺りが覆い尽くされ火砕流が冷えて出来た「阿蘇溶結凝灰岩」という岩で、この岩を切り出し石橋は建設されたのです。
流れる奥嶽川の澄んだ水です。
こちらは、出合橋 轟橋より少し下流に架かる「清水橋」です。初めて見たとき轟橋と間違えてしまいました。こちらも二連の美しい石橋です。
…出合橋から、轟橋を見る
…橋にもう少し接近して
…堂々とした轟橋
…左手 阿蘇溶結凝灰岩と、轟橋
出合橋と、轟橋が重なる風景を見たいと願ったのは数年前、地元の銀行から頂いたカレンダーの写真がきっかけでした。
それは、眩しい新緑に飾られたこの二つの橋の美しい姿だったからです。
この橋に出会い、
もう随分以前に頂いた、「伝えたいふるさとの石橋」という大分県の石橋を写真と解説で伝える本を思い出し紐解いて新たな感動を覚えました。
これからも県内の石の橋を見る時
それぞれに感動する自分がいることでしょう。
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