現、由布市狭間から府内(大分)方面へは
山際の丘陵地を越えて行く街道があったようで、その一部が保存されています。
以前 一度歩いてみた道を今日行ってみました。
「見取り坂」 「首無し地蔵」
赤い前掛けの地蔵が並び、おどろおどろしい立て看板があります。
こちらの立て看板を読んでみると、
この場所が実は人々を和ませる癒やしの場所だったことがわかりました。
水が湧き、眺めも良く、行く人達が一休みできる茶屋があったそうです。
「見取り坂」の由来は
上納米の額を決める為、土地を見渡せる坂道のこの場所から田畑の出来栄えを見取っていたそうです。
(2年前母を亡くした私は全く違う意味を連想していました💦)
看板を読んで振り向けば、
なるほど!
今は家が立ち並んでいますが
当時は田畑を見渡せる
気持ちの良い場所だったでしょう。
確かに‼︎
「首無し地蔵」の由来はわかりませんでした。確かに頭部のないお地蔵さんが並んでいますが。
又、この辺りは江戸の初期
日照り続きの飢饉から人々を守る為
庄内(現、由布市庄内)から府内方面まで引いた井路の通り道になっていました。
「初瀬井路」です。
初瀬ってなんだろう?
看板で初めて知りました。
「お初」と言う娘が井路建設の人身御供となったのです。
現在も、水が流れ大分市賀来、城南辺りまで確認することができます(…もっと先まで続いているかも…)。
・
綺麗に手入れされた八坂神社
小さなお社です。
その境内の紅梅。真っ赤です。
こちらも紅梅。
これは蝋梅。
この八坂神社の前は、街道だった当時の
敷石が再現されています。
肥後街道、今市の様に美しく切り出された石ではなくておそらく川辺で集めた丸っこい石の平な面を敷いています。
・
風の強い一日でした。
帰り道、
今日も、 近道かな?と知らない道に入ります。
やや不安ながら少し行くと、散歩中の方に出会い道を尋ねます。
親切な案内に心が温まる思いになって、
西陽に向かって、
顔を上げて西風を受けながら歩きました。
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