初夏の加計呂麻を行く 七よりつづく。
瀬武(せたけ)は、なんといっても県道脇のガジュマル並木だ。
日差しの強い季節は、たいてい誰かしら木陰でバスを待っていたり、あるいはただ涼んでいたりする。
加計呂麻(かけろま)で、一時間なにもしない時間を作れたら、この木陰に佇んで、ただ吹き過ぎる風を眺めるのも悪くないだろう。
ところで、大き目の画像(↑の写真をクリックすると表示されます)をご覧になっていただければ、
バス停の表記は瀬武、看板には実久(さねく)郵便局、後ろの板(?)には[旧実久村役場跡]とあるのが読み取れるかと思う。
昭和31年の《昭和の大合併》で、加計呂麻を南北二つに分けていた実久村と鎮西(ちんぜい)村がちょうど対岸にあたる西方(にしかた)村といっしょに瀬戸内町と合併した。
この合併を境に加計呂麻の過疎化が急速に進んだという。
将来かならず起こるであろう《知事権限による強制合併》では、どういう結果が待つのだろうか?
加計呂麻の住民は、「住民票ひとつ取るのに、バスで港まで行ってフェリーに乗って役場に行く。半日掛かりだ」と言う。
「合併で良くなったことは一個もない。人は減った、仕事はなくなった」
一昨年、一緒に働いていた女性は「加計呂麻の人はねぇ、知らん人でも見れば判るよ。古仁屋(こにや:瀬戸内町役場がある)に来るのに帽子かぶったり、ちょっとだけオシャレするっちょ」
高齢者ほど、その傾向は顕著だという。
彼らの意識の中では、未だに余所(よそ)なのだろう。
すでに吉永瀬戸内町長は、非公式な場では「将来、全島合併になるからこれこれの施設は造らない」と語っているとも聞く(あくまでも伝聞です。町長自身は、合併には反対の立場だという噂)。
政治に関しては《消極的不参加》がオレの基本的な姿勢だが、《国が取って地方に分ける》日本の税制を改革しない限り、地方自治体の《交付金頼み》財政は変わらないことは間違いない。
合併をどれほど繰り返しても地方自治体の《財政破綻》は先送りされるだけだろう。
しかしその一方で《わりと均質的な社会福祉》が、この税制によってもたらされてきたことも事実である。
瀬武集落のすぐ横に、瀬武林道への起点となる分岐がある。
ここから、加計呂麻島の反対側の集落である阿多地(あだち)集落を目指す。
道は狭く、九十九折れを繰り返して一気に登る。
振り返って大島海峡を眺める。
森の中、わずかに見える舗装道路は、薩川(さつかわ)へと続く県道。
いちばん奥に淡く見える陸地が奄美大島、その手前に細長く伸びた陸地の向こう側が芝(しば)集落。
加計呂麻島と奄美大島の間に横たわる大島海峡を、古仁屋を経由して徳之島に向かうフェリーが進む。
林道は、全線舗装済み。
舗装工事じたいもこの10年ほどに行われたもので、とくに荒れた個所はない。
阿多地まで、ほとんど濃い緑に覆われ、昼なお暗い道である。
地図などで、この先に集落があることを知っていても、
「道を間違えたのではないか?」と不安になる。
瀬武(せたけ)は、なんといっても県道脇のガジュマル並木だ。
日差しの強い季節は、たいてい誰かしら木陰でバスを待っていたり、あるいはただ涼んでいたりする。
加計呂麻(かけろま)で、一時間なにもしない時間を作れたら、この木陰に佇んで、ただ吹き過ぎる風を眺めるのも悪くないだろう。
ところで、大き目の画像(↑の写真をクリックすると表示されます)をご覧になっていただければ、
バス停の表記は瀬武、看板には実久(さねく)郵便局、後ろの板(?)には[旧実久村役場跡]とあるのが読み取れるかと思う。
昭和31年の《昭和の大合併》で、加計呂麻を南北二つに分けていた実久村と鎮西(ちんぜい)村がちょうど対岸にあたる西方(にしかた)村といっしょに瀬戸内町と合併した。
この合併を境に加計呂麻の過疎化が急速に進んだという。
将来かならず起こるであろう《知事権限による強制合併》では、どういう結果が待つのだろうか?
加計呂麻の住民は、「住民票ひとつ取るのに、バスで港まで行ってフェリーに乗って役場に行く。半日掛かりだ」と言う。
「合併で良くなったことは一個もない。人は減った、仕事はなくなった」
一昨年、一緒に働いていた女性は「加計呂麻の人はねぇ、知らん人でも見れば判るよ。古仁屋(こにや:瀬戸内町役場がある)に来るのに帽子かぶったり、ちょっとだけオシャレするっちょ」
高齢者ほど、その傾向は顕著だという。
彼らの意識の中では、未だに余所(よそ)なのだろう。
すでに吉永瀬戸内町長は、非公式な場では「将来、全島合併になるからこれこれの施設は造らない」と語っているとも聞く(あくまでも伝聞です。町長自身は、合併には反対の立場だという噂)。
政治に関しては《消極的不参加》がオレの基本的な姿勢だが、《国が取って地方に分ける》日本の税制を改革しない限り、地方自治体の《交付金頼み》財政は変わらないことは間違いない。
合併をどれほど繰り返しても地方自治体の《財政破綻》は先送りされるだけだろう。
しかしその一方で《わりと均質的な社会福祉》が、この税制によってもたらされてきたことも事実である。
瀬武集落のすぐ横に、瀬武林道への起点となる分岐がある。
ここから、加計呂麻島の反対側の集落である阿多地(あだち)集落を目指す。
道は狭く、九十九折れを繰り返して一気に登る。
振り返って大島海峡を眺める。
森の中、わずかに見える舗装道路は、薩川(さつかわ)へと続く県道。
いちばん奥に淡く見える陸地が奄美大島、その手前に細長く伸びた陸地の向こう側が芝(しば)集落。
加計呂麻島と奄美大島の間に横たわる大島海峡を、古仁屋を経由して徳之島に向かうフェリーが進む。
林道は、全線舗装済み。
舗装工事じたいもこの10年ほどに行われたもので、とくに荒れた個所はない。
阿多地まで、ほとんど濃い緑に覆われ、昼なお暗い道である。
地図などで、この先に集落があることを知っていても、
「道を間違えたのではないか?」と不安になる。
つづく