初夏の加計呂麻を行く 九よりつづく。
加計呂麻(かけろま)島の集落は、すべて海岸沿いである。
昭和31年の《昭和の大合併》までは、瀬相(せそう)を境に南は鎮西(ちんぜい)村、北は実久(さねく)村と行政は別れていたそうだが、
旅行者にとっては、北東側の大島海峡に面した集落と南西側の外海に面した集落と考える方がなんとなく判りやすい。
阿多地(あだち)は、南西側の最西端の集落である。
国土地理院の5万分の1地形図で見る限り、これより先に人が生活しうる場所は見当たらない。
阿多地のメインストリートは、およそ50m。
瀬武(せたけ)林道から集落内に入り、そのまま抜けて須子茂へと向かう道である。
先を急いでしまえば、旅人の記憶に残るのはこのデイゴだけだろう。
集落の中心部(地理的に。おそらくは精神的にも)に位置する場所にあるこのデイゴは、昨年(2005年)の公共工事で根元の一部が切断されてしまったが、
その部分は厳重に囲いを施され、今年も若葉を繁らせている。
手前に青いシートを掛けられているのは土俵だ。
樹齢は200年とも300年とも言われている。
大きく枝分かれした中央にあるのは若葉だろうか?
それとも、複雑な凹凸を作る樹皮に着生した若木だろうか?
バイクで(その前は車で)、日本のあちこちを回りはじめて約20年が経つ。
どこに行っても《過疎化》あるいはその手前の《人口減少》がはじまった地域にあるのが〔ゲートボール場〕で、なかなか見られないのが「野球ができる原っぱ」だ。
阿多地も、その例に洩れない。
ゲートボール場の横、消防ポンプ格納庫の前にも一本のデイゴ。
立派な枝ぶりだが、阿多地の他のデイゴと較べれば中学生サイズである。
チョウを追い掛けてふらふらと歩いていたら、集落の奥に巨大なデイゴがあるのに気づいた。
わずかながら花も咲いている。
チョウのことなどすっかり忘れて、集落の奥へと入って行った。
初夏の加計呂麻を行く 弐でも紹介したが、奄美大島には「デイゴがたくさんの花をつける年は台風が多い」という伝承がある。
これは「夕焼けの翌日は晴れ」という以上に島民にとっては常識である。
開花の当たり年なら「デイゴが満開ですよ、ぜひ奄美に!」と叫ぶ一方で「今年の夏はキャンセル続出かも…」と覚悟が必要だし、
咲かない年なら、常連さんの問い合わせに「今年はちょっと…」と応えざるを得ない。
デイゴの根元に回りこんでみた。
どうやら合体樹らしい。
調べていたら、こんな記事が見つかった。
大きさが判らない方のために申し添えておくと、いっしょにくぐろうと思ったら、かなりお互いに密着しても苦しいはずである。
ほかにこういう記事もあった。
さて、阿多地のデイゴも堪能したし先へ進もうか、とバイクに戻りかけたとき、一軒の家から三線の音色が聴こえてきた。
加計呂麻(かけろま)島の集落は、すべて海岸沿いである。
昭和31年の《昭和の大合併》までは、瀬相(せそう)を境に南は鎮西(ちんぜい)村、北は実久(さねく)村と行政は別れていたそうだが、
旅行者にとっては、北東側の大島海峡に面した集落と南西側の外海に面した集落と考える方がなんとなく判りやすい。
阿多地(あだち)は、南西側の最西端の集落である。
国土地理院の5万分の1地形図で見る限り、これより先に人が生活しうる場所は見当たらない。
阿多地のメインストリートは、およそ50m。
瀬武(せたけ)林道から集落内に入り、そのまま抜けて須子茂へと向かう道である。
先を急いでしまえば、旅人の記憶に残るのはこのデイゴだけだろう。
集落の中心部(地理的に。おそらくは精神的にも)に位置する場所にあるこのデイゴは、昨年(2005年)の公共工事で根元の一部が切断されてしまったが、
その部分は厳重に囲いを施され、今年も若葉を繁らせている。
手前に青いシートを掛けられているのは土俵だ。
樹齢は200年とも300年とも言われている。
大きく枝分かれした中央にあるのは若葉だろうか?
それとも、複雑な凹凸を作る樹皮に着生した若木だろうか?
バイクで(その前は車で)、日本のあちこちを回りはじめて約20年が経つ。
どこに行っても《過疎化》あるいはその手前の《人口減少》がはじまった地域にあるのが〔ゲートボール場〕で、なかなか見られないのが「野球ができる原っぱ」だ。
阿多地も、その例に洩れない。
ゲートボール場の横、消防ポンプ格納庫の前にも一本のデイゴ。
立派な枝ぶりだが、阿多地の他のデイゴと較べれば中学生サイズである。
チョウを追い掛けてふらふらと歩いていたら、集落の奥に巨大なデイゴがあるのに気づいた。
わずかながら花も咲いている。
チョウのことなどすっかり忘れて、集落の奥へと入って行った。
初夏の加計呂麻を行く 弐でも紹介したが、奄美大島には「デイゴがたくさんの花をつける年は台風が多い」という伝承がある。
これは「夕焼けの翌日は晴れ」という以上に島民にとっては常識である。
ちなみに、奄美大島では「夕焼けの翌日は晴れ」は、あまりアテにならない。観光業に従事する人たちにとっては痛し痒しだろう。
開花の当たり年なら「デイゴが満開ですよ、ぜひ奄美に!」と叫ぶ一方で「今年の夏はキャンセル続出かも…」と覚悟が必要だし、
咲かない年なら、常連さんの問い合わせに「今年はちょっと…」と応えざるを得ない。
デイゴの根元に回りこんでみた。
どうやら合体樹らしい。
調べていたら、こんな記事が見つかった。
大きさが判らない方のために申し添えておくと、いっしょにくぐろうと思ったら、かなりお互いに密着しても苦しいはずである。
ほかにこういう記事もあった。
さて、阿多地のデイゴも堪能したし先へ進もうか、とバイクに戻りかけたとき、一軒の家から三線の音色が聴こえてきた。
つづく