梅雨前線の活発化で記録的な大雨が降り続き
被害が相次いでいます。
被害に合わせた皆様には、お見舞い申し上げます。
台風の影響等もあったそんな中、晴れの合間に
予定していた山陰旅行に出かけました。
晴れ女の私です。
風がありましたので、暑さは感じませんでした。
最初は
太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)
太皷谷とは
津和野城の城山の一角であり、
江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であることから、
この地名がつけられました。
また津和野城の東北、つまり鬼門に位置し、古来より神聖な地であったといわれております。
稲成神社とは
稲荷ではなく「稲成」と表記しますが、読み方は同じ「いなり」と読みます。
稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、
願望成就・大願成就などの意味が込められているとの事。
賽銭箱の両脇にある御供物台の上に、油揚げがお供えしてありました。
何でもやりたい私!
8の字にくぐると良いらしい…
次に、津和野に到着。
地元の方が、先ずは永明寺を勧められた。
津和野藩藩主の坂崎出羽守の墓所 - 大坂夏の陣で手柄を立てたが、
のちに千姫事件で秀忠の怒りを買い切腹。
その墓所は幕府の不興を買うのを恐れたのか、「坂井出羽守」となっている。
森鴎外の墓 - 「石見人 森林太郎として死せんと欲す」という鷗外の遺言により、
中村不折の筆による「森林太郎墓」としかない質素なものでした。
津和野は「鯉の泳ぐ城下町」で知られています。白壁と堀割と鯉は、津和野の代名詞です。
鯉の群れが、水路で沢山泳いでいました.
津和野で
思いもよらない、嬉しいことがありました。
『安野光雅美術館』があったのです。
平成13(2001)年3月20日に、安野光雅美術館が開館。
国際アンデルセン賞をはじめ、国内外の数々の賞を受賞している
津和野町出身の画家・安野光雅の作品を収蔵、展示する美術館。
絵本原画や風景画など約120点を常時展示している。
館内には、昭和初期の小学校を再現した「昔の教室」やプラネタリウムなども設置している
安野光雅さんの仕事もますます旺盛に、画集だけでなく、
新聞、雑誌の数々の連載を今もなお精力的に続けておられます。
ラッキーな出来事でした。
森鴎外の生家を車道から見ながら津和野を後に、今日の宿泊地へと移動。
萩の宿屋です。
さすが 萩、焼き物が沢山館内にも展示されています。
食事を個室部屋で頂く。
フグ料理でした。
最後に、運ばれたフグの雑炊が゛半端ない ”
雑炊が入った、大きな土鍋が運ばれる。
全員、笑ってしまいました~
「誰が食べるの?」
結局、多く残りましたよ…
でも、美味しかったです~
部屋がオーシャンビュー側なので
お部屋や食事部屋から海を一望出来、見晴らしがよくて最高
明日は、焼き物と歴史の萩の街を回ります。