私の人生いろいろ

ある日の出来事

山陰旅行(津和野・萩・錦帯橋・千光寺・鞆の浦)1日目

2018-07-05 21:13:05 | 旅行

梅雨前線の活発化で記録的な大雨が降り続き

被害が相次いでいます。

被害に合わせた皆様には、お見舞い申し上げます。

 

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台風の影響等もあったそんな中、晴れの合間に

予定していた山陰旅行に出かけました。

晴れ女の私です。

風がありましたので、暑さは感じませんでした。

最初は

“山陰の小京都の稲荷神社”太鼓谷稲成神社に寄りました。
 
これまで、どういうわけか稲荷神社に行ったことがありませんでした。
 
 
 
 

太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)

太皷谷とは
津和野城の城山の一角であり、

江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であることから、

この地名がつけられました。

また津和野城の東北、つまり鬼門に位置し、古来より神聖な地であったといわれております。

 

稲成神社とは
稲荷ではなく「稲成」と表記しますが、読み方は同じ「いなり」と読みます。

稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、

願望成就・大願成就などの意味が込められているとの事。

 

賽銭箱の両脇にある御供物台の上に、油揚げがお供えしてありました。

 

 

何でもやりたい私!

8の字にくぐると良いらしい…

 

次に、津和野に到着。

地元の方が、先ずは永明寺を勧められた。

 

 

津和野藩藩主の坂崎出羽守の墓所 - 大坂夏の陣で手柄を立てたが、

のちに千姫事件で秀忠の怒りを買い切腹。

その墓所は幕府の不興を買うのを恐れたのか、「坂井出羽守」となっている。

森鴎外の墓 - 「石見人 森林太郎として死せんと欲す」という鷗外の遺言により、

中村不折の筆による「森林太郎墓」としかない質素なものでした。

 

 

 津和野は「鯉の泳ぐ城下町」で知られています。白壁と堀割と鯉は、津和野の代名詞です。

鯉の群れが、水路で沢山泳いでいました. 

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津和野で 

思いもよらない、嬉しいことがありました。

『安野光雅美術館』があったのです。

 

 

  平成13(2001)年3月20日に、安野光雅美術館が開館。

国際アンデルセン賞をはじめ、国内外の数々の賞を受賞している

津和野町出身の画家・安野光雅の作品を収蔵、展示する美術館。

絵本原画や風景画など約120点を常時展示している。

館内には、昭和初期の小学校を再現した「昔の教室」やプラネタリウムなども設置している

安野光雅さんの仕事もますます旺盛に、画集だけでなく、

新聞、雑誌の数々の連載を今もなお精力的に続けておられます。

 

ラッキーな出来事でした。

 

森鴎外の生家を車道から見ながら津和野を後に、今日の宿泊地へと移動。

 

萩の宿屋です。

 

さすが 萩、焼き物が沢山館内にも展示されています。

食事を個室部屋で頂く。

フグ料理でした。

最後に、運ばれたフグの雑炊が゛半端ない ”

雑炊が入った、大きな土鍋が運ばれる。

 

全員、笑ってしまいました~

「誰が食べるの?」

結局、多く残りましたよ…

でも、美味しかったです~

 

 

部屋がオーシャンビュー側なので

お部屋や食事部屋から海を一望出来、見晴らしがよくて最高

 

 

明日は、焼き物と歴史の萩の街を回ります。


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