みなさま、ごきげんよう。
安心してください!大丈夫ですよ(*'ω'*)
今日のタイトルは私がもしも病気ブログをするとしたら、このタイトルにしようと。
でも病気ブログは書きません。
が、しかし病気である事は紛れもない事実であり、いつかどこかで書くのもいいかな~と思って来たのです。
来月の誕生日を迎えると40代最後の年になりますし、軽やかな50歳を迎える為の準備の一年にしたいと思っているし、章ちゃんのドラマが切っ掛けをくれたようにも思えたので、書いておこうかな。
2012年の春、関ジャニ∞の8周年の年に病気が見つかりました。
デブなのに貧乳だったお蔭で私は自分で胸のしこりに気付きました。
近所のクリニックを受診した際に「悪性の可能性」を示唆され、帰り道に自転車が漕げなくなり泣きながら帰宅した事を覚えています。すぐに近くの総合病院を受診し、更に詳しい検査をして結果が出るまでの2週間。
この2週間が辛かった(ノД`)・゜・。
振り返ると精神的に辛かったのは、この2週間。
結果を聞きに一人で受診した私は、悪性の告知をもちろん一人で聞き、手術を希望する病院への紹介状をもらいました。
大学病院から来ている先生はご自身の病院で手術して欲しそうでしたけどね。
当時、めまいでお世話になっていた女医さんにA病院で手術しようと思いますと告げると「A病院の乳腺科はいいですよ。後は病理がいいので大丈夫!」と言われました。
病院は患者さんが非常に多く手術まで約2か月待ちました。
手術までの間に様々な検査をするのですが、閉所恐怖症の私はMRIが最大の恐怖でした。
しかもうつ伏せになっての検査なので、鏡で外を見る事も出来ず震えながらの検査(;_:)
機械の中へ入る時に、顔の下に持参した関ジャニ∞が表紙のテレビ誌を置いて。
検査が終わるとテレビ誌は私の涙でしわっしわ
ホッとして着替えの途中で倒れて待合室で寝かされる事20分。
検査室担当の看護師さんがずっと身体をさすってくれたのがありがたかったな。
手術に際し私は同じ年の1月に見つかった婦人科の疾患も同時に出来ないかなと考えていた。
全身麻酔って、なんとなく一度死ぬのと同じと思っていたので、出来る事ならこれを最初で最後にしたいと思ったんだよね。
幸い同時に出来るとの事で、思い切ってしまったのです。
この思い切りを後悔したのは術後3日だけで、今では同時に手術して良かったと思っています。
手術室がズラーーーーっと並ぶ前室みたいな所で緊張していた私。
だって怖いじゃない!
手術室の看護師さんが「溜息になっちゃいます?それだったら吐いた後で息を吸って深呼吸にしましょう(*'▽')」と一緒に深呼吸をしてくれました。
怖くて仕方が無かった私は「手を握ってもいいいですか?」と看護師さんの手をギューっと握りながら深呼吸していました。
麻酔医の藤原紀香似の美人女医と話していると・・・母さーん、終わりましたよ~起きて下さ~い。という婦人科の主治医の声で目覚めました。
物凄く眠かったのは覚えています。
病室に戻ると、ばあ様と子供達が待っていました。
2日後に語学留学に旅立つ息子の手を握り「気を付けて」とだけ言うのが精一杯でした。
私の入院期間は10日間でした。
胸とお腹に傷があっても人間10日で退院出来るんですね、すごいです。
手術の2日後には起き上がってトイレまで歩くというリハビリが待っていました。
驚いた、驚いた!だって2メートルが歩けない、辛い、無理。
それでも可愛くて優しいナースちゃんが付き添ってくれて無事にトイレまで往復出来ました。
今でも時々思うのは、あの状況でトイレまで行けたんだから、私は大丈夫!
そう思えるのです。
この時のナースちゃんはその後も私の担当になってくれたのですが、私が泣いていた時に一緒に泣いてくれました。
「本当は泣いちゃいけないんです」
そう言いながら。私は温かさを感じて嬉しかったんだよね、とても。病気の身体だけじゃなく弱った心にも寄り添ってくれていると感じ、とても安心出来たのです。
その後もナースコールで待たされた記憶はありませんし、本当にホスピタリティに溢れる病院でした。手術件数や技術的な事だけでなく、本当に素晴らしい病院だと、私の病院選びは間違っていなかったと思えました。
幸い私は早期発見であった事、悪性の中でも大人しいタイプだった事で放射線治療をして、現在は内分泌治療中です。
思えば、八祭は退院直後で行くことは出来なくて残念でした。しかし術後約ひと月でスタジアムの8ESTにはママ友と一緒に行くことが出来たんですよね~。
これは未だにどうして行けたのか不思議なくらいです(笑)
関ジャニ∞への愛に他ならないんですけどね。
この時の事も、その後の教訓になっていて、術後ひと月でライブに行けたんだもの、私は大丈夫!と思えるのです。
どこまでもeighterですね( *´艸`)
そうそう、eighterのナースちゃんもいらしたので、お部屋に来てくれた時は関ジャニ∞の話を沢山したの!ちょうど映画「エイトレンジャー」の公開で番組宣伝が沢山あった時期だったし、ナースちゃんは八祭にも行くって言ってたし♪
気づけば5年間の内分泌治療も折り返しを過ぎ3年半が過ぎました。
この治療と婦人科の手術の副作用として更年期に悩まされているんです(;_:)
年齢的には少し早いのかもしれませんが、ホットフラッシュだの不定愁訴だのと書いているのは、そういった理由があったからなのです。
年明けに風邪をひいてしまいました。
それが中々治らず、不定愁訴のオンパレードが続き少々凹んでいました。
どこが、なにが、とハッキリ言えないけど、なんとも具合が芳しくない。
これぞ、まさにTHE★不定愁訴
だからと言って治療を止めたり、お休みする程でも無い。
が、しかし具合が悪い・・・これの繰り返しね( ;∀;)
今日、これを書いたのは自分自身が残りの治療を全うするために、自分自身へのエールを送ろうということかな。
頑張れ、私!
きっと大丈夫。
ブログの更新頻度も内容も、以前のようには書けないけれど、それも「今」の私。
抗うことなく受け入れて参りたいと存じます\(^o^)/
みなさまも、色んな事を抱えて大変な日々を過ごしていらっしゃるのかもしれません。
一緒に頑張りましょうね!
私たちには関ジャニ∞がついています!
安心してください!大丈夫ですよ(*'ω'*)
今日のタイトルは私がもしも病気ブログをするとしたら、このタイトルにしようと。
でも病気ブログは書きません。
が、しかし病気である事は紛れもない事実であり、いつかどこかで書くのもいいかな~と思って来たのです。
来月の誕生日を迎えると40代最後の年になりますし、軽やかな50歳を迎える為の準備の一年にしたいと思っているし、章ちゃんのドラマが切っ掛けをくれたようにも思えたので、書いておこうかな。
2012年の春、関ジャニ∞の8周年の年に病気が見つかりました。
デブなのに貧乳だったお蔭で私は自分で胸のしこりに気付きました。
近所のクリニックを受診した際に「悪性の可能性」を示唆され、帰り道に自転車が漕げなくなり泣きながら帰宅した事を覚えています。すぐに近くの総合病院を受診し、更に詳しい検査をして結果が出るまでの2週間。
この2週間が辛かった(ノД`)・゜・。
振り返ると精神的に辛かったのは、この2週間。
結果を聞きに一人で受診した私は、悪性の告知をもちろん一人で聞き、手術を希望する病院への紹介状をもらいました。
大学病院から来ている先生はご自身の病院で手術して欲しそうでしたけどね。
当時、めまいでお世話になっていた女医さんにA病院で手術しようと思いますと告げると「A病院の乳腺科はいいですよ。後は病理がいいので大丈夫!」と言われました。
病院は患者さんが非常に多く手術まで約2か月待ちました。
手術までの間に様々な検査をするのですが、閉所恐怖症の私はMRIが最大の恐怖でした。
しかもうつ伏せになっての検査なので、鏡で外を見る事も出来ず震えながらの検査(;_:)
機械の中へ入る時に、顔の下に持参した関ジャニ∞が表紙のテレビ誌を置いて。
検査が終わるとテレビ誌は私の涙でしわっしわ
ホッとして着替えの途中で倒れて待合室で寝かされる事20分。
検査室担当の看護師さんがずっと身体をさすってくれたのがありがたかったな。
手術に際し私は同じ年の1月に見つかった婦人科の疾患も同時に出来ないかなと考えていた。
全身麻酔って、なんとなく一度死ぬのと同じと思っていたので、出来る事ならこれを最初で最後にしたいと思ったんだよね。
幸い同時に出来るとの事で、思い切ってしまったのです。
この思い切りを後悔したのは術後3日だけで、今では同時に手術して良かったと思っています。
手術室がズラーーーーっと並ぶ前室みたいな所で緊張していた私。
だって怖いじゃない!
手術室の看護師さんが「溜息になっちゃいます?それだったら吐いた後で息を吸って深呼吸にしましょう(*'▽')」と一緒に深呼吸をしてくれました。
怖くて仕方が無かった私は「手を握ってもいいいですか?」と看護師さんの手をギューっと握りながら深呼吸していました。
麻酔医の藤原紀香似の美人女医と話していると・・・母さーん、終わりましたよ~起きて下さ~い。という婦人科の主治医の声で目覚めました。
物凄く眠かったのは覚えています。
病室に戻ると、ばあ様と子供達が待っていました。
2日後に語学留学に旅立つ息子の手を握り「気を付けて」とだけ言うのが精一杯でした。
私の入院期間は10日間でした。
胸とお腹に傷があっても人間10日で退院出来るんですね、すごいです。
手術の2日後には起き上がってトイレまで歩くというリハビリが待っていました。
驚いた、驚いた!だって2メートルが歩けない、辛い、無理。
それでも可愛くて優しいナースちゃんが付き添ってくれて無事にトイレまで往復出来ました。
今でも時々思うのは、あの状況でトイレまで行けたんだから、私は大丈夫!
そう思えるのです。
この時のナースちゃんはその後も私の担当になってくれたのですが、私が泣いていた時に一緒に泣いてくれました。
「本当は泣いちゃいけないんです」
そう言いながら。私は温かさを感じて嬉しかったんだよね、とても。病気の身体だけじゃなく弱った心にも寄り添ってくれていると感じ、とても安心出来たのです。
その後もナースコールで待たされた記憶はありませんし、本当にホスピタリティに溢れる病院でした。手術件数や技術的な事だけでなく、本当に素晴らしい病院だと、私の病院選びは間違っていなかったと思えました。
幸い私は早期発見であった事、悪性の中でも大人しいタイプだった事で放射線治療をして、現在は内分泌治療中です。
思えば、八祭は退院直後で行くことは出来なくて残念でした。しかし術後約ひと月でスタジアムの8ESTにはママ友と一緒に行くことが出来たんですよね~。
これは未だにどうして行けたのか不思議なくらいです(笑)
関ジャニ∞への愛に他ならないんですけどね。
この時の事も、その後の教訓になっていて、術後ひと月でライブに行けたんだもの、私は大丈夫!と思えるのです。
どこまでもeighterですね( *´艸`)
そうそう、eighterのナースちゃんもいらしたので、お部屋に来てくれた時は関ジャニ∞の話を沢山したの!ちょうど映画「エイトレンジャー」の公開で番組宣伝が沢山あった時期だったし、ナースちゃんは八祭にも行くって言ってたし♪
気づけば5年間の内分泌治療も折り返しを過ぎ3年半が過ぎました。
この治療と婦人科の手術の副作用として更年期に悩まされているんです(;_:)
年齢的には少し早いのかもしれませんが、ホットフラッシュだの不定愁訴だのと書いているのは、そういった理由があったからなのです。
年明けに風邪をひいてしまいました。
それが中々治らず、不定愁訴のオンパレードが続き少々凹んでいました。
どこが、なにが、とハッキリ言えないけど、なんとも具合が芳しくない。
これぞ、まさにTHE★不定愁訴
だからと言って治療を止めたり、お休みする程でも無い。
が、しかし具合が悪い・・・これの繰り返しね( ;∀;)
今日、これを書いたのは自分自身が残りの治療を全うするために、自分自身へのエールを送ろうということかな。
頑張れ、私!
きっと大丈夫。
ブログの更新頻度も内容も、以前のようには書けないけれど、それも「今」の私。
抗うことなく受け入れて参りたいと存じます\(^o^)/
みなさまも、色んな事を抱えて大変な日々を過ごしていらっしゃるのかもしれません。
一緒に頑張りましょうね!
私たちには関ジャニ∞がついています!