大きな本屋さんでゆっくり棚を眺めながらお気に入りを見つける時間。
帰宅して最初に開くのはどれにしようかと一息つくカフェでの時間。
並べて表紙を眺めるだけで満足して、そういえばこれは随分前に買っていたのにと自室に積まれた本をぼんやりと眺める時間。
今年はそんな時間を持てないまま秋が深まってしまいました。
眺める本は良いのですが文字を追うにはいよいよ老眼鏡が無いと厳しい今日この頃でございます。
眺めるという軽い感じでは手に取ることが出来なかったのが「LIFE IS」
私の中で消化するまでに抱いた様々な思いをここへ書いておこうと思います。
写真集の発売にあたって事前に様々なメディアに取り上げられていました。宣伝とはいえ、どの媒体も写真集と章大君に寄り添っていたように感じました。
章大君が番組を選べたのかは分かりませんが、チョイスされた番組がどれも素敵でしたよね。マネージャーさん、グッジョブです。
伊集院さんとアンミカさんのラジオ番組とサワコの部屋。
いずれも優しい声で語ってましたけれど、なかなか深い所まで心情を吐露していて驚くこともありました。
章大君自身は大丈夫だったけれど、家族が心配する姿が辛かったし、
関ジャニ∞をやめたなら芸能の仕事はしないつもりで、ジャニーさんとメリーさんに恩義があるから。家族は芸能の仕事を辞めてもいいと言ったけれどメンバーが大事だったしお世話になった方への仁義があるから続けている。
どの番組でも共通に語られていた事ですが、それなりの覚悟無しでいきなり耳にするには衝撃が大きかったです。だって、もしかしたら関ジャニ∞の安田章大という人が私たちの目の前から姿を消していたかもしれないのですから。
ボク。でも話してくれましたが、こういった話をしてくれた事で写真集がとても大切に丁寧に私達の所へ届けられたような印象を受けました。
今までのキラキラアイドルではなく人間としての安田章大でありたいと願い、そう生きている章大君の姿、その姿が極寒の北海道の自然に負けていなかった。小さな雪が髪に降りつもる表紙には、儚さも感じるけれど真逆の力強さも感じられて、その日の自分のコンディションによって色々な取り方が出来るなーと思いました。
あの風景の中に毅然として立つにはキラキラだけでは太刀打ちできないでしょうし、岡田さんの前に立つとやるかやられるかという感覚になったというのも理解出来ました。
作らずに、そこに立った感情のまま熊の感覚になっていたと話していたけれど、そうだね、前髪ふんわりのアイドルの髪形では場違だもんなぁ。
あの髪形とおヒゲが持っていた意味は写真集を手にしてようやく、本当にようやく理解出来ました。
これまでのアイドルとしての姿を指示していた方々を「スコン」と切ってしまったかもしれない、と。確かに私は「スコン」と切られたと感じる側にいて、これまでの章大君との間に距離が出来てしまったような感覚があったのも、新しい章大君との間の距離がなかなか縮まらなかったのも、事実でした。
章大君は、今が楽しくないと明日もきっと楽しくない。だから今を楽しくしないと、と話していました。
ここは私とは少し考えが違っていて、私は今は楽しくないけれど、明日は楽しくなるかもしれないよね、と今を頑張る(もしくは適当にやり過ごす)タイプかな。今を楽しくする選択が出来る人の方が強いのかな、と考えます。
病気の事を公表しなかったのではなく、出来なかった。
仕事柄しかたないとは言え、手術が終わるまではメンバーにも伝えなかった事実には驚愕しました。
当時のお仕事を振り返ると、プレミアムフライデーのキャラクターという官公庁の仕事、コンペを勝ち抜いたスパイダーマンの栄えあるテーマソング担当、今では伝説ともいえる主演舞台の俺節。仕事に大きい小さいも無いかもしれないけれど、どれも年表に大文字で書かれるレベルのお仕事ですものね。
噴出するであろう影響力は限りなくゼロにしておきたかった事務所の意向なのかな。あるいは余計な心配はかけたくないと思う章大君の優しさなのかな。サワコさんが本人は穏便じゃないね!と言ってくださって深く大きくテレビの前で頷きました。
章大君が選んだ「川の流れのように」
私も大好きな曲ですが、歌詞を噛みしめると今の章大君の生き様にも似ているように思えました。たゆたう水に抗うことなく流れに身を任せて生きる、これからは無理はしないと話してくれたので、安堵しています。とは言っても渦中のような無理はしないだけで、これからも章大君は無理をしてしまうのではないか、という不安もあります。色々と話してくれて知ってしまった以上、大切な人の事は何にしても心配してしまうものです、母心です
章大君は嘘をつきたくないから話せる範囲の事は公表して自身をさらけ出して生きたい、と話してます。
どうなのかな。
話さない事
と
嘘をつく事
は私の中ではイコールにはならなくて、心に秘めておくことは嘘ではないし、全部を話さないといけないとは思わないけれど。おそらく私の中でこの部分も引っかかっていました。
ちゃんと言いたいと話す章大君を受け止めきれない私がいたのも事実で、私自身が8年前に手術をして術後5年の投薬治療をして、その影響もあって長らく更年期とも付き合ってるので、本音を言えば普段は病気の事は忘れて過ごしていたいのです。病気と向き合うのは今は年に一度になった検診の時期だけにしたいから。真正面にあった壁を直視して向き合い過ぎると辛くなっちゃった時期もあったから、今は遠目の薄目でチラ見する程度に日常を送りたいと思っているのです。逃げているのかもしれないけれど、こうすることは私自身にとって大切な自己防衛の手段でもあるのです。
章大君がこれまでの活動を振り返った時に「馴染めない時期があった」と
話していました。馴染めなくてメンバーの目を見る事も出来なかったと。
私は至極単純なので章大君がそんな思いを抱えながら仕事をしているなんて思ってもいませんでした。そんな時期を私は能天気にキャーキャー騒いでいたのかと、そんな私自身を少し残念に思いました。居場所さえ見つからない本当意味での偶像を好きでいたのかと。
時々心配になることはありました。優しくて正直だから、歌の中での台詞は自身の考えに反するから言えませんと一度は断ったとか、人を傷つける役はどうしても理解出来ないから演じられないとかね。鈍感な私が気付いたのはほんの少しだけですが、もっと沢山の葛藤を伴う時間が章大君の中に存在していたのも今更ながら重い事実として私に突き付けられました。
岡田さんの言葉からも大きな気付きを頂きました。
作品と章大君の繊細な部分までを熟慮してくださっているな、と感動しました。アイドルとしての章大君が自分の作品を支持することは、その活動に関してマイナスになるのではないか?と思った事もあったと語っていらっしゃいました。
岡田さんのこの言葉を読んでハッとしました。章大君から「スコン」と切られたのではなく、切ったのは私の方だったのではないかと。10年前から岡田さんに片思いしていた章大君なのだから、ここ最近変わった訳ではないのだと。もうずっと今の章大君は存在していたのだと。私が気付かなかっただけなんだなと。ずっと章大君だけを関ジャニ∞だけを凝視していたはずなのに気付けない事も沢山あったんだなと応援してからの日々を思い返したりもしました。
生き辛い中でアイドルとしての仕事を全うしていたのならば、今の様にありのままで背中を見てついて行こうと、そう思ってもらえる新しいアイドルを生きたいと章大君が願い、そのように生きているのならば、全くの偶像よりは中身のある今の章大君を応援したいと思います。
関ジャニ∞の年齢的にも過渡期であることは確かですし、嘘のない真っ直ぐな章大君の背中をこれからも追いかけたいと思うのです。キラキラだけではない成熟した大人の安田章大という人のこれからが楽しみです。