ネットやSNSの隆盛で近年注目されることとなった「打ち言葉」というワード。
ツイッター全体では1日に8テラバイトものデータが生み出されており、話し言葉でもなく、書き言葉でもなく、タイピング文字入力によって生み出されたテキストはもはや物理・紙テキストのもつ情報総量をやがて上回らんとする勢いであります。
打ち言葉は、そのトピックの新奇性からかコミュニケーション文化の文脈で語られていることが多く、純粋に「タイピングでいかにさまざまな表現に対応していくか、そのインターフェース論」という観点からもっと深く検証してみようというのが今回の記事の試みであります。
打ち言葉は即応性が顕著で、そこが推敲性吟味性のある書き言葉との最大の違いであります。
しかし打ち言葉はそうしたモバイルだけにあらず、もっと広い観点で捉えてみると
モバイルSNS日常作法などの即応性主体のものもあればフォーマルの書き言葉のようにもっとスタティックに生成される本来の書き言葉に近い打ち言葉もあります。
打ち言葉は「おk」「うp」「草生える」のような一時のネット流行語みたいなものであって、自分にはあまり関係ないような…などと考えてはおられませんか?
打ち言葉は音声口語のように音だけ言えばいいのではなくて、必ず表記の選択、かな漢字変換のプロセスを伴っており、いわゆる視覚的コミュニケーションの色彩が色濃く出る知行だという側面があるのです。
つまり端的に言えば「打ち言葉」には以下の2系統の様式をもつのだと定義できます。
A群.即応性コミュニケーションの中で生まれた視覚的スラングとしての打ち言葉
B群.インターフェース要因によって出力文字に得手不得手、出しやすい文字列とそうでない文字列とにある程度制限を受ける性質としての打ち言葉
いずれにしましてもカギになる要因は「文字入力の制限要因や入力煩雑さ回避」という文化・コミュニケーションとは関係のない機械的事情に縛られているというのが本質的要因であると言えるでしょう。文化論などは後付けの話であります。
今回注目していこうというのはもちろんB群のほうの打ち言葉、より個人の力量であるとか趣味嗜好の特性の顕れやすい、正統的書き言葉の発展形ともいえるテキスト基盤について語っていこうと思います。
まず誤解されやすいところなのですがはっきり申し上げさせていただきますと「打ち言葉」は話し言葉と書き言葉の折衷ではありません。
また誤解を恐れずに言うと、パンフレットや文庫本、あるいは看板などのように物理媒体のテキストだからと言ってそれが必ずしも書き言葉の地位に安住できているかと言えばそうでもありません。
今時の媒体はすでに作成のプロセスの時点でほぼ全て「打ち言葉」の工程を経ています。パソコンで文書を作るのですから当然な話ですね。
われわれはもうそろそろ話し言葉と書き言葉の折衷という素朴な2項対立の構図からくる発想を手放さなければいけません。
そもそも「打ち言葉」というのは語呂はいいですけれど使い勝手がどうも悪いですね。A群の用法とB群の用法が混用されていて弁別の用をなしていません。これについては記事結びで触れようかなと思っています。
さてB群の用法をもっと深掘りしていきますと、「打ち言葉(B群)」にはさまざまなレイヤー/チャネルから従来の話し言葉、書き言葉にはなかったいくつもの制限が付き纏ってくるというのがわかってきました。
1.「物理的障壁」
2.「入力方式事情的障壁」
3.「アプリケーション的障壁」
4.「UI的障壁」
5.「学習/辞書/設定状況的障壁」
6.「編集配置的障壁」
という、広く見ればアーキテクチャ的影響要因にかなり左右されている実態があるのです。いわば異次元のファクターです。
…これらは主にデスクトップ環境を念頭に置いています。簡潔に解説いたしますと
1はキーボード盤面の物理配置によるもの。母音のaeとuioが左右盤面に分かれているのは日本語ユーザー的に戸惑うなど、運指困難な打鍵順序(awkward sequence)など
2はローマ字入力では入力しにくい文字列、あるいは親指シフトでの1文字1アクションなどの利点、あとはそれぞれの方式のキー配置の初期学習負荷度合い
3はIMEの誤変換/誤区切り、アプリごとのIME連携が不具合をきたす、ダウンロード追加辞書などを入手する手間など
4はかな漢字変換候補の提示UI、単漢字変換がしにくい、選択フォーカスまわりの使い勝手
5は間違った学習やっちまったあるある、ユーザー登録単語の面倒さ、各種設定による挙動の変化
6は縦書き文書の淘汰危機、スペースの文字数がカウントしづらい、プレーンテキスト編集ではレイアウト的にあまりいじれないなど不便、ルビの問題
ブログ主ぴとてつが展開しているペンタクラスタキーボードというものはまさにこういった諸課題に応えるためにいろいろな試行錯誤を練って、新たなコミュニケーション時代の入力環境を模索しているものであります。
言葉は時代を映す鏡だとも言われておりますが時事問題から専門用語まで日々さまざまな新語が生み出されており、まさに万物流転・諸行無常ともいえます。
しかしわれわれのもつ文字入力機構には限界がありもとよりIME辞書に当該語句がそもそも未登録の場合であったり(未知語)、
単語単位では検出できていても複合語をなすとうまく当て込み配置ができない場合があったり(未知複合語や「臨時一語」「即席合成語」)、
一時で消えてしまうような未定着の語句・フレーズにまで対応しなければならないのかという問題(登録採用コスト)
などさまざまな問題があります。
ペンタクラスタキーボードを標榜するこのブログでは、それらの問題に対処するためにさまざまなアイデアを提案・検討してきました。
・最近では悩ましい単漢字変換の使い勝手を改善すべく、音-訓トランス解釈の新たな文字列入力の下ごしらえ方策、「代表変換」「パズルのピースをはめる変換」などを提案しておりますし、
・さらには「カナ語幹+る」型の動詞(キョドる、カニバるなど)などの新語にも即席で対応できるように「ル形動詞別口入力キー:[○Rキー][×rキー]」などハードウェア的リソースを割いてまで専用特化キーをしつらえています。
・膠着語の宿命として語句の末尾にニカワのように付着する各種の接尾辞あるいは先程のようなル形動詞の活用語尾も視野に入れておかねばなりませんが
一番頻度が高くて一般性も高いコピュラ動詞(=だ、です)については未知語と語尾との境界混淆トラブルの種を元から根絶すべくこちらについてもハード的に「別口入力キー:[だ][でs]」を構えております。
・さらには誤変換誘発要因として悪名高いサ変動詞連用形「し」もさまざまな造語新語を形成する重要な文法要素ではありますがこちらもサ変動詞弁別用の特任キー「便利キー・『し』」を提案してみた、といった具合であります。
要するに頻度の高いもの、基本ルールとして組み入れられるべきものについては大胆に取り入れて、新語未知語に対応すべく応用がきく、臨機応変に対処できることの範囲をある程度確保しようというのが全体を通しての創造・設計理念なのであります。
この設計理念は「あざまる水産」や「ヨクバリージョ」のような接辞性がうまく取り込めない破格の新語にはさすがに対応できる目途は立っておりませんが、
漢語の接辞は合成法則から言ってもある種の"型"をもっており自由な造語の中でもせめて法則性のある生産性については積極的にこれを見出し、定型的な操作文脈に取り込んでいくこともやぶさかではありません。
そこで最後に重要なギミック、「三属性変換」のハ万の挙動にも注目していってほしいと思います。
三属性変換は従来単一であった変換キーを複合化・重層化してより立体的に変換の利便性を向上させようとの狙いで考案されたものであり、品詞に準えた「よろづ」という素性カテゴリのもとで分類した
イ万 … 主に体言・名詞の変換のときにこれを押下する(例:高校)
ロ万 … 主に用言フレーズの変換のときにこれを押下する(例:航行・煌々)
ハ万 … 主に接頭辞接尾辞を含む語句を変換するときにこれを押下する(例:フォロワー孝行)
の三属性を立てて変換文字列・語句のカテゴリ分けをしたものであります。
これら三属性でユーザーの意図する語句を特定/推定し変換の助けとする機構に加えて、従来通りのプレーンな変換をしたいときには通常変換を押下します。
たまに複数カテゴリにまたがった属性を兼任している接辞なども見受けられ、その場合には
ぷりしら城、ぷりしら錠 … イ万とハ万を兼任(つまり名詞でもあり接辞性でもある)
ぷりしら嬢 … イ万とロ万とハ万を兼任(嬢は人物も表すが叙述成分として人の持つ属性を様態的にあらわすという解釈もできる)
ぷりしら上、ぷりしら状 … ロ万とハ万を兼任(様態性、構文機能接辞)
ぷりしら乗、ぷりしら条 … ハ万のみ(抽象度高い)
ぷりしら場 … イ万とハ万を兼任するが抽象度高いのでハ万でのオーダーを重視
などのような未知語形成の接辞ワードであっても、所属属性を複数個所の三属性キーを押下遷移することによって目的の接辞のカテゴリへと誘導し自然に候補を絞ってオーダー提示してくれるというインターフェースの提案もなされています。
漢語の単漢字接辞に加えて、「縦長映え」「光映え」みたいな動詞連用形の語尾であっても意欲的に接辞範疇に組み込んで、接辞としての運用を三属性変換で統御してやれば利点も多いはずです。
先述の例だと「タテナガバエ」「ヒカリバエ」みたいに名詞造語(ハエの一種)としての接辞なのか、様態叙述としての「映える」の生産的用法なのかが使い分けられてよろしいかと思います。
また単漢字のみにとどまらず「この話題一色」「一斉/ボイコット」「ウマ娘狂想曲」のように二文字以上あるいは長尺の漢語接辞であったりであるとか
「犬スタンス」「新劇イズム」みたいにカタカナ語の接辞なども検出してやれば区切り判定の大きな材料になるのでありとあらゆる生産力を個別場当たり的に処理するのではなく三属性ハ万というひとつの軸をもって統一的にとり捌くことができるのは大きな価値の創造であると自負するところであります。
既存の既知語だけではなく、辞書にない未知語を半ば機械的に、語尾だけを見て(属性遷移との兼ね合いもあるが)荒療治的に専断してしまうというこのシステムですが、こうしてみると案外有効に機能していきそうな展望も望める便利な仕掛けとなっているのではないでしょうか。
なにより頻繁に変換したい語尾なのに単漢字選択のところでつまづいて煩雑な候補選択をしなければならない悩みから解放されるということはまさに僥倖というほかないでしょう。
そして端的に言えば造語新語のキャッチアップに素早くついていきますよ~という後手の対応に頼るのではなく新語造語が作られるまさにその瞬間から生産的操作手段を駆使してその場でビルドする、錬成するという言語のDIY術を提供していこうということであります。
よく「必要は発明の母」などとは言われます。しかし私の言うアイデアというものは対症療法のような急場の措置というニュアンスとは一線を画すものであります。
さらにもう一つの格言を引用してみます。
「授人以魚、不如授人以漁」
老子曰く、人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、
人に釣りを教えれば一生食べていける。
…この言に従うところでいう「釣りのやり方」、システム推進力を与える…この視点を日本語入力にまるまる持ち込んでいきたいのであります。
ソー活
令和婚
福祉犯
エンジョイ勢
日ナレ生
ゴルシちゃん沼
巻き込まれ体質
キャンプめし
コロナ脳
カットオフ値
筋トレ欲
マイカー回帰
香害
リラ安
牛乳悪い教
ANA機
耽美心
微アル
[「打ち言葉」の自由獲得の為には「生産力のある辞」の入力手段を拡充することが重要]、今一度この言葉に立ち返って論を進めてまいりますと、
これら生産的接辞を含む新語は日夜生み出されてきており流行語に限らず符丁語や蛇の道は蛇ならではの踏み込んだ言語表現などもひっくるめて未知語のまな板にのせる必要があります。
人々は「自分流の言い方」を懐中に持ってはいますが出来の悪い物理インターフェースのせいで当意即妙にタイプできない不満を常々抱えながらコミュニケーションしているのです。
ペンタクラスタキーボードは単語の境界を明瞭にする仕組みが入力のライン生成の段からして厳として備わっております。助詞やコピュラ動詞は別口入力がうまくさばいてくれます。
つまり(自立語)単語終端部を容易に推定することができ、末端だとわかれば当然接尾辞に当たりをつけることも自然の成り行きとなりこれをさらに三属性変換ハ万のサインをユーザーからはたらきかけることによって複数の接辞候補からも絞り込みがしやすい設計となっております。
従来型の入力メソッドや構文解析はいまだに単文字助詞助動詞の区切り見当違いによる誤変換につまづき汲々としてリソースを消費している有様です。
まずはここからはじめなければいけません。
助詞別入力も三属性変換も冷静に考えればこれしかないというくらい力強く、シンプルな解決策です。
構文の解析という迷路に立ち入ることよりも下ごしらえを整えるというのがより重要なのではないかということであります。それは物理即物的でもあり人間=機械系という世界観でもあります。
もうすでに散々っぱら、「打ち言葉」という言葉はSNSやLINEのコミュニケーションを想起させる用法が一般的になってしまっているのでわれわれは「打ち言葉(B群)」の用法を掘り起こしてこれを峻別し、インターフェース談義の橋頭保としての新語をあてるのはどうでしょうか。
すでに候補は決まっています。
それは、前回記事でも掘り下げた新概念・「ホワタリ」であります。
「打ち言葉」に対置する並びの良さを取るなら、少々不本意ではありますが「ホワタリ言葉」という表現をとることも許容はします。
しかし何と言いますか、話法を変えて使っていこうという含みと広がりをこの言葉には持たせてやりたいのです。
「書き言葉」「話し言葉」「打ち言葉」「ホワタリ言葉」などと並べていったところで個性はかえって埋没しただのワンオブゼムに成り下がってしまいます。これは認知モアレという現象であります。
「モアレ」とは、二つの規則的な模様が重なった際に起こる幾何学的な干渉縞のことでありますが、微妙な差異を持つ織り様であるならばかえって重ねたりはせずに別のパート、別のフィールドでこれを使うべきであります。
なにせ完成している系に紊乱要因をもちこんでもただの浮いた異質性だけがいたずらに注目されてしまうだけであって、これでは事の持つ本質にたどり着けないのです。
ならば
「ユーザーはタイピングに苦労する事よりもホワタリに苦労することの方が多い」
「緩急のついたホワタリで助詞を間に置きながらタイプする」
「ぎなた読みも気にせずホワタれる」
といった、構文・話法からして軽快にその枠を飛び越えて自由なテーゼ句としての用法に活路を見出していけばいいんじゃないでしょうか。
ことばは、渾沌とした連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から人間にとって有意義と思われるしかたで、虚構の分節を与え分類するはたらきを担っている
「ものとことば」著者:鈴木孝夫
と現代文の教科書にも取りあげられている非常に示唆深い文章といったものもあるではありませんか。
ロジックとはジュースであります。本質だけが本体で言葉はその流動性に富んだふわふわしたものをつなぎとめるかりそめのアンカーにしかすぎないのです。
ならば逆のパターン、本質自体がフィットする言葉を欲している、新味のないタイピカルな言葉ではなくて神妙なるオシャレなラッピングを施してほしい
――こういった"心の声"が実はわれわれの耳に届いているのに、聞こえないフリをしているだけではないのか…
発する事ではなく、聴き留める事、文章入力インターフェースにおける「傾聴力」この視点が大事になってくると思うのです。
接辞やル型動詞などを使った生産力の高い何か新しい言い回しをユーザーは必要としている…これはユーザーのタイピング意図、「筆法サイン」なのであります。
物理配置やIMEはその受け皿である器であることをもっと自覚してすすんで道路を整備してやらねばなりません。
テキストいとなみ隆盛時代の真のブレイクスルーはすぐそこまで来ているのです。
ちょっとそこの奥さん!「革命前夜」はいらんかね~今ならお安くしときますよ~。
以上、悪筆乱文長文失礼しましたぁー。
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日本語の文章は「思います」が非常に多い … あ行│ま行 は必然だな。
…と思っておる昼下がり、キーボードレイアウトに思いを馳せるブログ主ぴとてつであります。
いつもありがとうございます。
私は巷で言う「タッチタイピング」や「ホームポジション」だとかいうものにちょっと疑問を感じます。
・手元を見ないで打てればエライのか …タッチ液晶部に入力文が逐次表示されるので手元を見るのはむしろ歓迎!
・ホームポジションから外れるのはNG …延々と文字を入力する場面は少ない、ちょこちょこマウスやファンクションキーに寄り道するではないか!
…ペンタクラスタキーボードの入力機構はそんな体裁めいた決まり事にはそれほど意に介してはおりません。
よく「効率的な運指」とか「流れるようなアルペジオ打鍵」だとか言われていますが、「誤変換のない打鍵」であるとか「新語造語に強い打鍵」というものは一向に聞いたためしがありません。
確かに運指は大事ですがあくまでこういった優位性はまとまった文書を流水の如く打ち続けるある意味理想的な条件下だけでのものであり、
数値的・経時的な速度よりもIMEとの連携動作が足回りよくおこなえるか?和英混在文章をよどみなく入力できるか?などのアプリケーション的問題を巻き込んで物理アーキテクチャ的なアプローチで解決を目指していった方が一周回って現実的ではないかと思うのです。
ペンタクラスタキーボードはそのためのゼロベースからのリビルド・脱構築・パラダイムシフト・ガラガラポンなのであります。
さすがに、額面通りに「誤変換のない打鍵」などというものは実在しませんが、少なくともペンタクラスタキーボードには三属性の変換キーや助詞助動詞の別口入力キーなどが物理的に確かに存在し種々の変換作法の一角を構成しています。
日本語タイピングはリテラル1個1個の情報だけではなく、品詞や句切れ目などのメタ情報もそれと同じくらい重要なファクターなのです。
分かち書きのない日本語、同音異義語の多い日本語、生産力の高い漢語接辞パーツなどを御していかねば入力の利便性は立ち行かないものとなっていくでしょう。
さらにはタッチ液晶画面で英語ほか外国語文字をモード切替なくタイプできる、そして当然のようにデリート・BACKSPACEはもっと大きく押しやすい位置に、
欲を言えば即時学習アンドゥや注目チャンクのカタマリごとのフォーカス移動など、従来のタイピング範囲以外の外部性のあるオペレーションはゴマンとあります。
ここは入力というものに対する考え方、人と機械とが共同作業によって生み出している「人間=機械系」という視点に立って全体を俯瞰するということが肝心要めになってくるのだということです。
そこで従来の「運指(キーボード・フィンガリング)」というものに代わって「人間=機械系」や文法的メタ要素などのリテラル以外の要素を考慮に入れた入力操作オペレーションの在り方を、
「ホワタリ」という術語を使って今後の説明原理として援用していきたいと思います。
勝手な造語ですが、イメージとしては「ホ」は火から、「ワタリ」は「渡し舟」のようにユーザーが意図するところががリテラルから品詞や三属性変換など異なるフィールドのチャネルにさまざまに置き換わる(陸路と水路)さまを喚起して「渡る」の単語を、
…それぞれぼんやりとしたイメージをフィーリングでつなげたものであります。
われわれは発見しました。
ユーザーはタイピングに苦労する事よりもホワタリに苦労することの方が多いのではないでしょうか。
ペンタクラスタキーボードは「ホワタリ」のしやすい入力機構です。
今日は入力界隈に、新しいタイプの苦労を生み出してしまった記念すべき日です。
苦労は増えましたが今後の楽しみもこれからどうなるのか見ものであります。
あとは旅行かグルメのガイドブックでも眺めるように、今後の計画を立てていくのも一興だと思います。