かねてより話題となっていた松屋のシュクメルリ鍋定食を食べましたよ。
固形燃料でぐつぐつ加熱されて提供されるので鍋がもうホントに熱々!
サラダ・ライス並・味噌汁のついたセットで頂きました。
クリーム系はちょっと…とか思っていたけれどニンニクのパンチがすべてを吹っ飛ばす、これぞジョージアの味!
不覚にも追いチーズを頼まなかったのでフォンデュ状態はお預けになってしまいましたが
それでもチキンの風味も出ていて濃厚・まろやか、はたっぷりと堪能できました。
日本風のアレンジでサツマイモが入っていたのですけれどこれが意外とお口の中和剤となっていて、これはこれでアリだと思いました。
ご飯にも合うし、味噌汁もがっしりスクラムを組んでいるこの安心感。
ニンニク最高。ニンニク主体で感じ入ったものは孤独のグルメでやっていた横浜日ノ出町・第一亭の「パタン」が衝撃だったけれど
今回はそれを上回るかもしれないくらい攻めてましたね。
それにしても待っていた甲斐があったー。このブログでも過去記事のリアルタイムアプリネタで以前から採り上げていたんですよね。
その時は食べ損ねちゃっていて。機会があったら是非食べたいって言っていて、今回念願が叶いました。
過去記事はこちら↓
松屋がらみのニュースと言ったら
2/20から全国の店舗で「シャリアピンソースハンバーグ定食」発売
という食戟のソーマでおなじみのあのソース、飴色の玉ねぎでシャリアピンステーキ丼も柔らかく食べられる日本発祥シャリアピン
のハンバーグ定食がお目見えしますよ。
松屋さんも商機を逃さず一気にに商品開発ラッシュが続きますね。
手前味噌なんですが…偶然なことに先ほどの過去記事中でもシャリアピンソースの事も少しだけ触れてあるんですよ。
話題の料理をパーッとダイジェストスクラップ的にまとめた記事ですので、ご興味のある方はこちらものぞいてみてください。
(ちょっと古い記事ですけれど)
以上、家では胡麻ドレッシングしか食べないので外食のときにはフレンチドレッシングを味わう機会だと決め打ちしているPandaBoyぴとてつが
現場からお送りしました。
おBingさんのAIに訊いてみた。
母ちゃんがゲーム機を何でも「ファミコン」と呼んでしまって苦笑したり、ペンネやリングイネやフジッリもひっくるめて「パスタ」とひとまとめにしたりなど、識者から見ると容認できないような範疇の包括化をおこなっている例をもっと教えてください。
→(AIに聞いても大した答えは得られない)
というわけで例が得られなかったので自力で集めた"包括例"をかいつまんでみようかと思います。
「ベイクドモチョチョ」という便利な言葉があるんですね。
主に小麦粉からなる生地に餡を入れ、円筒形のくぼみの金属製焼き型で焼成した和菓子。一般には
今川焼、大判焼き、回転焼き、御座候などのさまざまな呼称があり郷土愛からかこの言い方しか認めんぞ、という見えない圧の緊張状態をはらんだ様相を呈しておりもするのですが、
そこへ颯爽と現れた「ベイクドモチョチョ」のパンチの利いた包括感。ネットの懐の深さというのを感じさせてくれるユニークな提案だと思います。
まあこれくらいなら笑って許せる戯れに過ぎないのかもしれませんが、センシティブな世の中、このご時世、いろいろと引っかかりもあったりする無思慮な差分の均し(ならし)もあったりします。
例えば
「私なんてファンデーションのノリが超絶悪いマンだから…」
ルフィ「野郎共!!出航だぁー!!」(女性も野郎のくくりに入れられている)
原題はThe League of Evil Exes(女性含む)なのに「邪悪な元カレ軍団」
…みたいな性差に起因するようなセンシティブ案件もいくつか見かけます。
あとは
卵サラダ・明太子スパゲッティサラダ・カニサラダ軍艦・プリッツサラダ味、サラダ要素ないのにサラダ名乗るんだな…の例や
肉・魚を食べないベジタリアンとより制約の厳しい乳製品、卵、蜂蜜も食べないヴィーガンを一緒くたにして「ベジタリアン」と雑にくくってしまうのも自重したいところです。
塹壕と空堀(からぼり)の区別もミリタリーマニアの方からすると機嫌を損ねてしまうトピックかもしれません。
すこしオタクな話になりますが
いにしえのアニソンの名曲「venus say...」(ふたつのスピカ)とその並行ver.の「鯨」も歌詞や尺が違うだけで実質同一曲です。私は「鯨」派で通しています。
などなど探してみましたがこれくらいしか挙げられませんでした。探せばもっと見つかるかも…有志の方がいらっしゃったらやってみて!
今回は矛盾要素を含んでいるカテゴリに対してアプローチしてみようかと試行錯誤しましたが、ちょっと詰めが甘かったかな?
[粒が揃っている項目の対立]の包括に対しては寛容に受け止められるムードを感じますが
[相容れない項目の対立]の包括はなかなか勇気がいるもので手出しがしにくいなという手ごたえもうかがわれます。
大体の傾向ですがなんとなくこなしかたの注意点というのは見えてきたなという感じです。
しかし話の流れ的にスムーズにフローしたい場合などにはうっかり口にすると思わぬ落とし穴にはまってしまうこともあるでしょう。
前提が共有できていなくても話の比喩として、グリップとして用いることは許容されえないのか?いかなる包括化も許されないのか?
何も持論を展開していくためなどではなく、比喩のポインタとして、指示対象の足場として運用する意図として使いたいのに・・・
そんな時便利な言葉が
「これは『トンボ玉包摂』だから!」(万事解決)
こんなのはどうでしょうか?
私は何も言い訳でこのフレーズを提案したというのではなく、これからも幾度と繰り返されるであろう、不毛な厳格性の確認作業を端的な言葉で角が立たないように収めて
言葉の形態ではなく、発言者自身の立場表明をまず相手に伝えて、至らぬ自分ながらも前に進むためにぼんやりとした補助線を書くためにお口汚しをさせてもらったんだよ、
敵意や悪意はないよ、というメッセージを発信するということです。
いわば言葉のハックというのではなくて、立場/境遇のハックだということなんです。
要素を単にひとくくりするというニュアンスの「包括」という言葉を使わずに理解やバッファのある「包摂」という言葉を選んだのもそのためです。
実はこの記事を書く時の最初の定義では、
[相容れない項目の対立]の包括に絞って援用的にこれを使おう、と目論んでいたのですが
ベイクドモチョチョみたいな平和的な包括もちょっときわどい包括のほうも、一つの皿にのっけて「トンボ玉包摂」のキーワードで対人場面でやわらげて使っていこうということで
鵺(ぬえ)のようなふわっとした定義に到達いたしました。
これなら言葉足らずでも二の矢三の矢で「母ちゃんがゲーム機をファミコン呼ばわりする」とかいろいろな緩衝材料が援用できますし
こうやって思考のプロセス自体を包括していけばいいじゃないか、経験すべてを糧とする、「全機現」の発想でいこう、すべての要素を活かしつつ統合していこう
という義と為のはざまからさまざまに思いを巡らせ膨らましていった結果です。
答えは見えないですが、ちょっとした場面でこの言葉が役に立てばいいな…と思っています。
というわけで
Xをこれからもtwitterと呼び続ける
――時間軸の差異すら包摂させる、「トンボ玉運用」も、もちろんアリとします。