ここのところ別口入力の「な」やコピュラ動詞「だ」「です」あるいは助詞「か」など個別パーツの検討を行ってきましたが
この記事では助詞 - Wikipediaより出てきた順に助詞の列挙をしていくのを導入としましてそこから色々書き連ねていこうかと思います。
一部特徴的な記述(女性特有の終助詞の項)もみられますがそれも含めて概観的に別口入力との関わり方について論じてみたいと思います
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格助詞(が・の・を・に・へ・と・から・より・ で・や)
並立助詞(の・に・と・や・やら・か・なり・だの)
副助詞(ばかり・まで・だけ・ほど・くらい・など・なり・やら・か)
係助詞(は・も・こそ・でも・しか・さえ・だに)
接続助詞(ば・と・ても(でも)・けれど・が・のに・ので・から・し・て(で)・なり・ながら・たり・つつ)
終助詞(か・な・とも・の・ぞ・や)
女性特有の終助詞(わ・こと・てよ・ことよ・もの・かしら)
間投助詞(さ・よ・ぜ・ね・な)
準体言助詞(の)
これらはあくまでwikipediaに載っていた助詞一覧ですが、たとえば「は」などは題目や対比をあらわす副助詞とする解説もみられますので解釈はいろいろです。
あと上記のものでは記述されていないとりたて詞「さえ」「しか」「こそ」などもありますし、その他の副助詞の中では「なら」「なんか」「なんて」「ずつ」「のみ」などもありますのでこれらについても助詞類のものとして俎上に載せていきたいと思います。
さてこれらを列挙して何がしたいかというとこの中のうち2文字以上文字列をもつ助詞をピックアップして、それぞれの別口入力時のストロークはどのようになるのかについて個別に検討してみたいと思います。
ペンタクラスタキーボードの別口入力は基本1文字の文法パーツ要素なので打鍵感覚としてもわかりやすいマーキングとなっておりますが文字列が2文字や3文字続くような助詞はそのようにはいかず基本べたの文字列で入力していきます。
ただ場合によっては「と」や「も」を一部複合要素の部分とみて厳格に別口入力で打ち分ける可能性の出てくるものも中にはみられるのでそういった複数字の別口パーツの入力の仕方を定めていこうかと思います。
まず格助詞の「から」は「か」との複合要素ではなく独立した格助詞なので複合打ち分けは必要ありません。
次に並立助詞の「やら」は一見「や」との複合のようにも見えますがこちらも独立した一個のカタマリです。
余談ですが「車やらバイクやら」のように使われる並立助詞ばかりだけでなく、副助詞としての用法もあります。以下Web辞書より
やら[副助・並助・終助]
[副助]名詞、名詞に準じる語、副詞、活用語の連体形、助詞などに付く。(疑問語を伴って、あるいは「とやら」の形で)不確かな意や、ぼかして言う意を表す。…か。「何やら降ってきた」「いつのまにやら眠っていた」「同僚とやらから電話があった」
「二番目の子を、女房どもが何と思ひ入りました―、ぜひにと望みます」〈浮・胸算用・二〉
引用元:やら(ヤラ)とは - コトバンク
こちらの「やら」も同様にひとかたまりの助詞です。
続いて並立助詞から「なり」についてですがこちらも別口パーツ[な]との複合ではなくひとかたまりですので入力も[な]をともなわずにべたの文字列で入力していきます。
同じく並立助詞から「だの」がありますがこれは注意が必要です。こちらは便宜上は「だの」として並立助詞としての独立した機能をもってはいますが、断定の助動詞「だ」に助詞「の」が付いたものが語源ですので別口入力の打鍵感覚からいっても複合打ち分けの必要性のあるパーツです。
ですので入力時は面倒ですが[だ][の]で打ち分けます。これが「だ」がコピュラ動詞である場合は前接続に体言が入ることが見込まれますし、これを形容動詞の活用語尾とみるならば語幹には第三形容詞の類なども含む形容詞性の語が入ることが見込まれます。
どちらにしても構文解析上の大事なマーカーとなるので外すことはできません。よく見かけそうな例では「やまだのうみだの」とやるときに[だ]のマーキングが適切に行われていないと「山田の海だの」と変換されてしまうことも考えられなくもありません。
このように語源から見て分離複合していることが明確であることや、誤変換誘発リスクを回避する必要性のあるときには別口打ち分けをおこなうものと定めます。
さらに副助詞(ばかり・まで・だけ・ほど・くらい・など・なり・やら・か)に関して気になりそうな文字列をもつものは「まで」「だけ」くらいのものでしょうか。
「まで」は「で」を含むので一瞬別口入力の[で]がからむものなのか気になりましたが「まで」でひとつの独立したカタマリなので心配することはないでしょう。
「だけ」についても「だ」との複合に見えそうですがこちらも関係なく、独立です。どこか並びが「だけど」に似ているのでこちらが[だ]+けどの複合であることから[だ]が別ものだと捉えてしまう向きもありますがあくまで「だけど」は接続詞ですので語自体は別物です。
これらに関しては「だけど」「だが」のような接続詞を[だ][が]のように別口入力をさせるのかという問題もありますが、これらはこれでもう独立した一品詞の単語ですし、接続詞ということもあって構文解析上のマーカーを必須とする必要性もないのでここはべたの文字列でそれぞれ入力していっても問題はないかと思います。
次に「しか」についてですがこれは前記事で説明してありましたので深くは触れません。
副助詞(とりたて助詞)として「…しか~ない」のように叙述が否定で終わるのが特徴的です。
前回記事でし[か]のように一部別口入力させるのか判断は保留とのことでしたがこうしてストロークの流れを見てみるといささか不自然のようにも映りますのでこのような中途半端な別口入力は適用せずに「しか」とべたに打ち込んで適切に助詞を捕捉して解析していければよいかと思います。
さらに「のみ」も一応「の」が入ってはおりますが助詞「の」とは複合しておりませんので特に注意は必要ありません。
その他の副助詞では「なら」「なんか」「なんて」「ずつ」などもありますが「なんか」「なんで」に焦点を当ててみると
本来の「君なんか知らない」「君なんて知らない」…の副助詞用法に加えて
「なんか」では「なんか調子が悪い」のような副詞用法があったり
「なんかつまみ、ない?」のように代名詞用法があります。
「なんて」では「なんて言ったらいいのか」のような副詞用法があったり
「なんてステキな車」のような感嘆詞的用法があったりします。
いずれの用法にしましてもちょっと統一性はないのですが副詞用法の「なんか」「なんて」に関しては「ふと」「きちんと」「まるで」「かつて」などの副詞を別口入力なくべたで入力すると以前決めた方針にならってこちらはべたの文字列で入力していけばいいでしょう。
ただ代名詞用法の「なんか言った?」あるいは「なんて呼ばれているの?」のような「か」や「て」が個別の格助詞として際立つ場合にはあえて分別して「なん[か]」「なん[て]」のように個別入力することも許容していけばよいかと思います。
あとは解釈の分かれそうな「なら」についてですが、断定の助動詞「だ」の仮定形、形容動詞活用語尾「だ」の仮定形のときはこれは別口入力でも[な]ら のように打つことを先般取り決めたところですので別口入力で打ち分けます。
しかし古文助動詞「なら(ず)」(断定の助動詞「なり」の未然形)のときはあまりなじまなさそうなので古文由来ということもありこちらはべたの文字列で入力するものとします。
同様に古文用法で…なら…なら のように列挙する並立助詞もあるのですがこちらも仮定形のならの名残も感じられないのでべたの文字列で処理します。
尤も現代語でも副助詞として位置付けられる「なら」も「俺ならここにいる」のように使われますがこちらも助動詞「なり」の未然形が由来となっており同様にに区別してべたの文字列で入力していくのが自然な考えでしょう。
同じ「なら」ではあるものの、[な]ら と別口入力を付随させるのは断定の助動詞「だ」の仮定形、形容動詞活用語尾「だ」の仮定形のとき…という別口入力「な」の本分に関わる場合のみ打ち分けを発動するものとします。
細かな違いですが、マーカーがあることで直前の構成要素が「だ」文の叙述要素的体言かあるいは形容動詞であることを意識しつつ文解析ができるので地味ながら無視できない解析ヒントになるのです。
続いては古文由来が多い係助詞ですが「でも」と「だに」については一応注解しておく必要があるでしょう。「でも」に関しては係助詞/副助詞…このあたりの厳密な区別は諸説あるのでここでは控えますが以下のような識別例があります。
「滑稽でもあり、哀れでもある」形容動詞の活用語尾+も
「見たところ廃墟でもない」断定の助動詞で+も
「韓国でも人気だ」格助詞で+も
「何でもいい、いつでもいい」疑問語+でも(=不定語)
「子供でも知っている」副助詞でも
「あだ名で呼んでもいいですか」接続助詞で+も
…これらの例の中で、形容動詞の活用語尾+も、断定の助動詞+も、格助詞+も に関しては複合要素ではありますが個々のはたらきが共立しているので別口入力では[で][も]のように打ち分けるのが理に適っています。
一方「子供でも知っている」の「でも」はこれ一つで副助詞として機能していますので「でも」とべたで入力するほうが本筋とは思いますが、文脈解析上これら各種の「でも」の微妙なニュアンスまで意に含んだ上の変換を要求するというのも大概な話ですし煩雑ですからここはこの用例であっても不本意ながら[で][も]のように分離打ち分けをおこなうのが現実的ではないかと思います。
一応べたの「でも」であっても弾力的に解釈できる道を残しておくべきかとは思いますが、「かえでももってきて」のような入力文があったとき「楓も」なのか「替えでも」なのかあるいは別口助詞がともなわないのでひとかたまりの名詞と曲解することがなされ「代えデモ」もってきて…となってしまう可能性もあります。
なので基本べたの入力文では欠落した助詞部分を補完的に解釈することはそうそう望めませんのでいくら弾力的といってもそう多くの事は望めませんので面倒かとは思いますが[で][も]個別打ち分けでご入力をお願いしたいかと思います。
前後しましたがこれと同様に「何でも」のような、疑問語と「でも」がつながってこのカタマリで「不定語」とよばれる機能語範疇のものが形成される例もありますがこちらも「なんでも」「いつでも」としてべたの文字列で打ち込むことも許容したうえで なん[で][も]のように厳密に打ち分ける入力も併存させる対処でいいかと思います。
ただ[で]が断定の助動詞「だ」の連用形であることから考えると、なん[で][も]は初回変換時には「ナンでも」のように変換されるのがより忠実な変換でありますので、「何でも」を出すのは二回目以降の学習後になるのもやむを得ない措置かと思います。
そして最後の例の接続助詞+も については過去記事 [て]キーの導入に際して 内において定めた基本原則の<一般動詞のテ形の清音ではなく濁音のほうであるときはべたの「で」で入力していく>…により、「でも」の接続助詞部分の「で」はべたで入力していくので
ストローク的には よんで[も] のように入力していきます。[も]の部分は副助詞ですのでここは別口入力するのが求められますがテ形部分の「で」は「で」本来の別口用途-(断定の助動詞「だ」の連用形、形容動詞の活用語尾の一部、「そうだ」「ようだ」助動詞の連用形、格助詞など)の検出のために厳密にわけて峻別していくという方針があります。
ここは混同しやすいところなので特に注意して使い分けていってほしいところです。
補足として古文表現「言わでものこと」(言わなくてもよいこと)は未然形+接続助詞「で」+係助詞「も」がつながった形ですが、こちらも前述の接続助詞で+も と符合する部分もある(現代文では連用形+て/で)ので古文ではありますが「で」部分は別口入力せず、「も」の部分だけ別口入力をともなう形にしておくのが適当というものでしょう。
(一応、古文表現まで別口入力を張り巡らせられるほど万能ではないですから、慣用表現のひとつとして個別的に「言わでも」「この恨み晴らさでおくべきか」を機械的に変換しておくというのが現実的な解決方法です)
そしてややこしいことに、助詞ではなく接続詞としての「でも」や「それでも」がありますが、こちらの場合はべたの文字列で「でも」「それでも」を入力します。このあたり何だか迷走しているような気もしなくもないですが、接続詞は叙述の込み入った部分に配置されるのではなく、文頭に付属的に置かれるのでかな漢字変換部分で困るということもないので別口入力せずで入力することに不都合はないかと思います。
そしてより古文的な「だに」についてですがこちらもこれひとかたまりで副助詞とはいうものの、先述の副助詞の「でも」(こちらもひとかたまり)のときには他用法との兼ね合いから便宜的に分離打ち分け[で][も]を推奨してきたという面があります。
とはいうもののこちらは「微動だにしない」のような「…さえ」相当用法(ほんのわずかさえ)と「散りぬとも香をだに残せ梅の花」の惜しむ気持ちの用法(せめて…だけでも)とがありどちらも「だ」「に」の複合とは考えにくく一個の独立した副助詞であるので字面から言ってもやはりべたで打つ妥当性があります。
古文ですので日常的に「だに」を使う場面というのも限られてくるとは思いますが「予想だにしない」などのように慣用的に古語表現をすることも今なお目にすることもあるので別口入力[だ][に]と混同することなくべたでの入力を周知していく必要性があるものと思われます。
ただし「いまだに」の表現で用いられる現代語がありますが、こちらは「いまだ」+「に」の構造ですからストローク的には いまだ[に]のように「に」の部分だけ別口入力で打ち分ける形になります。このあたりも細かいのですが注意が必要でしょう。
係助詞に続いて接続助詞で言及するべきところは何かあるかとすれば「のに」「ので」に関してですが、これらは明確に「の」-「に」「で」の複合パーツですから[の][に]、[の][で]と打ち分けるのが自然というものでしょう。
「(ても)でも」に関しては先程申し上げた通りです。テ形の部分はべたで考えます。
そして終助詞からひとつだけ「とも」が複合っぽいですが「…だとも」「…ですとも」「歌うとも」「広いとも」のように用言全般の末尾に付加的に終助詞がくるわけですがこのケースは変換解析に困難というわけでもなさそうですので特に[と][も]と別打ちすることもなく「とも」一体感も強いのでひとかたまりでべたの「とも」と入力してよいでしょう。
そして終助詞的なもので特殊例かとは思いますが女性特有の終助詞がいろいろある中で注記すべきものには「もの」「てよ」の2つがあります。
「もの」は[も][の]の複合にも見えますが形式名詞の「もの」は言うに及ばず、終助詞の「もの」についても前述の解析上の容易性からべたの文字列で入力してよいかと思います。
ただ「もの」には接続助詞としての使い方で「彼は倹約家だもの、宝くじなんて買わないわ」のように順接の確定条件の用法がありますがこちらは判断に悩みますが[だ][も][の]のように複合入力で原則打ち込むものとします。
このへんが煩雑かもしれませんがただの終助詞とは区別する意味で弁別するのも理屈通りで風通しがよいかと思います。
補足として「…ものを」「…ものの」「…ものなら」の形で使われる「もの」は逆接仮定条件の色を多分に含みますが、こちらの場合の「もの」は形式名詞ですので別口パーツの複合とは考えません。
つづいて「てよ」についてですがこれは「でしてよ」についてはすでに[でs][て]よ のストロークで入力するのでこの特殊例に対応はできているのですが、
「てよ」は「よくてよ」「すばらしくってよ」「わかってよ」のように「です」以外の叙述の終端にも同様につけられるのでこちらの場合は今決めてしまうのですが用法に統一感をもたせるために動詞・形容詞からの接続でも+[て]よ の入力をもたせることにしたいと思います。
…以上、思ったより長くなってしまいましたが2文字以上の助詞を概観しての入力対応をどうするかについて事細かに論じてきました。
捉え方もまちまちで個別の助詞(あるいは別口入力パーツ)の複合と捉えて厳格に打ち分けするのを要求する場合もあり、
その一方でこれはひとかたまりだからと打ち分けを必要とせずにべたの文字列で入力するものがあったりと基準が明確でない観もままあるので私としては座りの悪い気分ではあります。
さらに細かく言えば用法によって同じ「でも」でも分離打ち分けするものと一体ベタ打ちするものとが併存する歯がゆい事態となってしまいました。
しかしマーキングの有無によって文解析のふるまいに多大な影響を及ぼす場合もありますから、複合パーツであって個々の助詞が単体で使われているときとはまた違った意味・語法をもつとしても周辺配置の語との明確な境界マーカーになりうるのでこうやって分別することは確かに有効でしょう。
反対に解析にあまり影響を及ぼさない配置位置のパーツであるとか接続助詞「-でも(ても)」のときは特に本来の[で]との区別のために明確に非付随とさせる取り決めなど、
別口入力をあえてとらないものにはそれだけの入力忌避の理由もそれなりにあるかとは思います。闇雲に形式主義で(要る/要らない)を決めているのではないということも読者の方々には何卒ご理解いただきたいところであります。
ただこういった複合助詞全般や別口入力パーツの組み合わせについて生じるさまざまなケースについての考察はまだまだ必要であると思いますし、今記事で何度も言及している「ひとかたまりの語・文字列」ということについてもその輪郭をより深くえぐっていかなければ見えないところもあると思いますので、
このトピックについては今後も機会があれば検討・考察を深めていければよいかと思います。
別口入力は単文字で感覚的にも受け入れやすいものかとは思いますが、こういった周辺事項の外堀にも整合性・利便性を保つためのさまざまな配慮と設計が求められているのだと痛感しました。
やっぱり別口入力という単純なコンセプト一辺倒で乗り切れるとは容易に考えず、そのアイデアを際立たせるためには必要不可欠な検証を続けていかなければならないと思いますし、それがなくては単なる絵に描いた餅で終わってしまうのでそこに息吹を吹き込むような心持ちで想像力をもっとはたらかせていければよいかと思います。
この記事では助詞 - Wikipediaより出てきた順に助詞の列挙をしていくのを導入としましてそこから色々書き連ねていこうかと思います。
一部特徴的な記述(女性特有の終助詞の項)もみられますがそれも含めて概観的に別口入力との関わり方について論じてみたいと思います
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格助詞(が・の・を・に・へ・と・から・より・ で・や)
並立助詞(の・に・と・や・やら・か・なり・だの)
副助詞(ばかり・まで・だけ・ほど・くらい・など・なり・やら・か)
係助詞(は・も・こそ・でも・しか・さえ・だに)
接続助詞(ば・と・ても(でも)・けれど・が・のに・ので・から・し・て(で)・なり・ながら・たり・つつ)
終助詞(か・な・とも・の・ぞ・や)
女性特有の終助詞(わ・こと・てよ・ことよ・もの・かしら)
間投助詞(さ・よ・ぜ・ね・な)
準体言助詞(の)
これらはあくまでwikipediaに載っていた助詞一覧ですが、たとえば「は」などは題目や対比をあらわす副助詞とする解説もみられますので解釈はいろいろです。
あと上記のものでは記述されていないとりたて詞「さえ」「しか」「こそ」などもありますし、その他の副助詞の中では「なら」「なんか」「なんて」「ずつ」「のみ」などもありますのでこれらについても助詞類のものとして俎上に載せていきたいと思います。
さてこれらを列挙して何がしたいかというとこの中のうち2文字以上文字列をもつ助詞をピックアップして、それぞれの別口入力時のストロークはどのようになるのかについて個別に検討してみたいと思います。
ペンタクラスタキーボードの別口入力は基本1文字の文法パーツ要素なので打鍵感覚としてもわかりやすいマーキングとなっておりますが文字列が2文字や3文字続くような助詞はそのようにはいかず基本べたの文字列で入力していきます。
ただ場合によっては「と」や「も」を一部複合要素の部分とみて厳格に別口入力で打ち分ける可能性の出てくるものも中にはみられるのでそういった複数字の別口パーツの入力の仕方を定めていこうかと思います。
まず格助詞の「から」は「か」との複合要素ではなく独立した格助詞なので複合打ち分けは必要ありません。
次に並立助詞の「やら」は一見「や」との複合のようにも見えますがこちらも独立した一個のカタマリです。
余談ですが「車やらバイクやら」のように使われる並立助詞ばかりだけでなく、副助詞としての用法もあります。以下Web辞書より
やら[副助・並助・終助]
[副助]名詞、名詞に準じる語、副詞、活用語の連体形、助詞などに付く。(疑問語を伴って、あるいは「とやら」の形で)不確かな意や、ぼかして言う意を表す。…か。「何やら降ってきた」「いつのまにやら眠っていた」「同僚とやらから電話があった」
「二番目の子を、女房どもが何と思ひ入りました―、ぜひにと望みます」〈浮・胸算用・二〉
引用元:やら(ヤラ)とは - コトバンク
こちらの「やら」も同様にひとかたまりの助詞です。
続いて並立助詞から「なり」についてですがこちらも別口パーツ[な]との複合ではなくひとかたまりですので入力も[な]をともなわずにべたの文字列で入力していきます。
同じく並立助詞から「だの」がありますがこれは注意が必要です。こちらは便宜上は「だの」として並立助詞としての独立した機能をもってはいますが、断定の助動詞「だ」に助詞「の」が付いたものが語源ですので別口入力の打鍵感覚からいっても複合打ち分けの必要性のあるパーツです。
ですので入力時は面倒ですが[だ][の]で打ち分けます。これが「だ」がコピュラ動詞である場合は前接続に体言が入ることが見込まれますし、これを形容動詞の活用語尾とみるならば語幹には第三形容詞の類なども含む形容詞性の語が入ることが見込まれます。
どちらにしても構文解析上の大事なマーカーとなるので外すことはできません。よく見かけそうな例では「やまだのうみだの」とやるときに[だ]のマーキングが適切に行われていないと「山田の海だの」と変換されてしまうことも考えられなくもありません。
このように語源から見て分離複合していることが明確であることや、誤変換誘発リスクを回避する必要性のあるときには別口打ち分けをおこなうものと定めます。
さらに副助詞(ばかり・まで・だけ・ほど・くらい・など・なり・やら・か)に関して気になりそうな文字列をもつものは「まで」「だけ」くらいのものでしょうか。
「まで」は「で」を含むので一瞬別口入力の[で]がからむものなのか気になりましたが「まで」でひとつの独立したカタマリなので心配することはないでしょう。
「だけ」についても「だ」との複合に見えそうですがこちらも関係なく、独立です。どこか並びが「だけど」に似ているのでこちらが[だ]+けどの複合であることから[だ]が別ものだと捉えてしまう向きもありますがあくまで「だけど」は接続詞ですので語自体は別物です。
これらに関しては「だけど」「だが」のような接続詞を[だ][が]のように別口入力をさせるのかという問題もありますが、これらはこれでもう独立した一品詞の単語ですし、接続詞ということもあって構文解析上のマーカーを必須とする必要性もないのでここはべたの文字列でそれぞれ入力していっても問題はないかと思います。
次に「しか」についてですがこれは前記事で説明してありましたので深くは触れません。
副助詞(とりたて助詞)として「…しか~ない」のように叙述が否定で終わるのが特徴的です。
前回記事でし[か]のように一部別口入力させるのか判断は保留とのことでしたがこうしてストロークの流れを見てみるといささか不自然のようにも映りますのでこのような中途半端な別口入力は適用せずに「しか」とべたに打ち込んで適切に助詞を捕捉して解析していければよいかと思います。
さらに「のみ」も一応「の」が入ってはおりますが助詞「の」とは複合しておりませんので特に注意は必要ありません。
その他の副助詞では「なら」「なんか」「なんて」「ずつ」などもありますが「なんか」「なんで」に焦点を当ててみると
本来の「君なんか知らない」「君なんて知らない」…の副助詞用法に加えて
「なんか」では「なんか調子が悪い」のような副詞用法があったり
「なんかつまみ、ない?」のように代名詞用法があります。
「なんて」では「なんて言ったらいいのか」のような副詞用法があったり
「なんてステキな車」のような感嘆詞的用法があったりします。
いずれの用法にしましてもちょっと統一性はないのですが副詞用法の「なんか」「なんて」に関しては「ふと」「きちんと」「まるで」「かつて」などの副詞を別口入力なくべたで入力すると以前決めた方針にならってこちらはべたの文字列で入力していけばいいでしょう。
ただ代名詞用法の「なんか言った?」あるいは「なんて呼ばれているの?」のような「か」や「て」が個別の格助詞として際立つ場合にはあえて分別して「なん[か]」「なん[て]」のように個別入力することも許容していけばよいかと思います。
あとは解釈の分かれそうな「なら」についてですが、断定の助動詞「だ」の仮定形、形容動詞活用語尾「だ」の仮定形のときはこれは別口入力でも[な]ら のように打つことを先般取り決めたところですので別口入力で打ち分けます。
しかし古文助動詞「なら(ず)」(断定の助動詞「なり」の未然形)のときはあまりなじまなさそうなので古文由来ということもありこちらはべたの文字列で入力するものとします。
同様に古文用法で…なら…なら のように列挙する並立助詞もあるのですがこちらも仮定形のならの名残も感じられないのでべたの文字列で処理します。
尤も現代語でも副助詞として位置付けられる「なら」も「俺ならここにいる」のように使われますがこちらも助動詞「なり」の未然形が由来となっており同様にに区別してべたの文字列で入力していくのが自然な考えでしょう。
同じ「なら」ではあるものの、[な]ら と別口入力を付随させるのは断定の助動詞「だ」の仮定形、形容動詞活用語尾「だ」の仮定形のとき…という別口入力「な」の本分に関わる場合のみ打ち分けを発動するものとします。
細かな違いですが、マーカーがあることで直前の構成要素が「だ」文の叙述要素的体言かあるいは形容動詞であることを意識しつつ文解析ができるので地味ながら無視できない解析ヒントになるのです。
続いては古文由来が多い係助詞ですが「でも」と「だに」については一応注解しておく必要があるでしょう。「でも」に関しては係助詞/副助詞…このあたりの厳密な区別は諸説あるのでここでは控えますが以下のような識別例があります。
「滑稽でもあり、哀れでもある」形容動詞の活用語尾+も
「見たところ廃墟でもない」断定の助動詞で+も
「韓国でも人気だ」格助詞で+も
「何でもいい、いつでもいい」疑問語+でも(=不定語)
「子供でも知っている」副助詞でも
「あだ名で呼んでもいいですか」接続助詞で+も
…これらの例の中で、形容動詞の活用語尾+も、断定の助動詞+も、格助詞+も に関しては複合要素ではありますが個々のはたらきが共立しているので別口入力では[で][も]のように打ち分けるのが理に適っています。
一方「子供でも知っている」の「でも」はこれ一つで副助詞として機能していますので「でも」とべたで入力するほうが本筋とは思いますが、文脈解析上これら各種の「でも」の微妙なニュアンスまで意に含んだ上の変換を要求するというのも大概な話ですし煩雑ですからここはこの用例であっても不本意ながら[で][も]のように分離打ち分けをおこなうのが現実的ではないかと思います。
一応べたの「でも」であっても弾力的に解釈できる道を残しておくべきかとは思いますが、「かえでももってきて」のような入力文があったとき「楓も」なのか「替えでも」なのかあるいは別口助詞がともなわないのでひとかたまりの名詞と曲解することがなされ「代えデモ」もってきて…となってしまう可能性もあります。
なので基本べたの入力文では欠落した助詞部分を補完的に解釈することはそうそう望めませんのでいくら弾力的といってもそう多くの事は望めませんので面倒かとは思いますが[で][も]個別打ち分けでご入力をお願いしたいかと思います。
前後しましたがこれと同様に「何でも」のような、疑問語と「でも」がつながってこのカタマリで「不定語」とよばれる機能語範疇のものが形成される例もありますがこちらも「なんでも」「いつでも」としてべたの文字列で打ち込むことも許容したうえで なん[で][も]のように厳密に打ち分ける入力も併存させる対処でいいかと思います。
ただ[で]が断定の助動詞「だ」の連用形であることから考えると、なん[で][も]は初回変換時には「ナンでも」のように変換されるのがより忠実な変換でありますので、「何でも」を出すのは二回目以降の学習後になるのもやむを得ない措置かと思います。
そして最後の例の接続助詞+も については過去記事 [て]キーの導入に際して 内において定めた基本原則の<一般動詞のテ形の清音ではなく濁音のほうであるときはべたの「で」で入力していく>…により、「でも」の接続助詞部分の「で」はべたで入力していくので
ストローク的には よんで[も] のように入力していきます。[も]の部分は副助詞ですのでここは別口入力するのが求められますがテ形部分の「で」は「で」本来の別口用途-(断定の助動詞「だ」の連用形、形容動詞の活用語尾の一部、「そうだ」「ようだ」助動詞の連用形、格助詞など)の検出のために厳密にわけて峻別していくという方針があります。
ここは混同しやすいところなので特に注意して使い分けていってほしいところです。
補足として古文表現「言わでものこと」(言わなくてもよいこと)は未然形+接続助詞「で」+係助詞「も」がつながった形ですが、こちらも前述の接続助詞で+も と符合する部分もある(現代文では連用形+て/で)ので古文ではありますが「で」部分は別口入力せず、「も」の部分だけ別口入力をともなう形にしておくのが適当というものでしょう。
(一応、古文表現まで別口入力を張り巡らせられるほど万能ではないですから、慣用表現のひとつとして個別的に「言わでも」「この恨み晴らさでおくべきか」を機械的に変換しておくというのが現実的な解決方法です)
そしてややこしいことに、助詞ではなく接続詞としての「でも」や「それでも」がありますが、こちらの場合はべたの文字列で「でも」「それでも」を入力します。このあたり何だか迷走しているような気もしなくもないですが、接続詞は叙述の込み入った部分に配置されるのではなく、文頭に付属的に置かれるのでかな漢字変換部分で困るということもないので別口入力せずで入力することに不都合はないかと思います。
そしてより古文的な「だに」についてですがこちらもこれひとかたまりで副助詞とはいうものの、先述の副助詞の「でも」(こちらもひとかたまり)のときには他用法との兼ね合いから便宜的に分離打ち分け[で][も]を推奨してきたという面があります。
とはいうもののこちらは「微動だにしない」のような「…さえ」相当用法(ほんのわずかさえ)と「散りぬとも香をだに残せ梅の花」の惜しむ気持ちの用法(せめて…だけでも)とがありどちらも「だ」「に」の複合とは考えにくく一個の独立した副助詞であるので字面から言ってもやはりべたで打つ妥当性があります。
古文ですので日常的に「だに」を使う場面というのも限られてくるとは思いますが「予想だにしない」などのように慣用的に古語表現をすることも今なお目にすることもあるので別口入力[だ][に]と混同することなくべたでの入力を周知していく必要性があるものと思われます。
ただし「いまだに」の表現で用いられる現代語がありますが、こちらは「いまだ」+「に」の構造ですからストローク的には いまだ[に]のように「に」の部分だけ別口入力で打ち分ける形になります。このあたりも細かいのですが注意が必要でしょう。
係助詞に続いて接続助詞で言及するべきところは何かあるかとすれば「のに」「ので」に関してですが、これらは明確に「の」-「に」「で」の複合パーツですから[の][に]、[の][で]と打ち分けるのが自然というものでしょう。
「(ても)でも」に関しては先程申し上げた通りです。テ形の部分はべたで考えます。
そして終助詞からひとつだけ「とも」が複合っぽいですが「…だとも」「…ですとも」「歌うとも」「広いとも」のように用言全般の末尾に付加的に終助詞がくるわけですがこのケースは変換解析に困難というわけでもなさそうですので特に[と][も]と別打ちすることもなく「とも」一体感も強いのでひとかたまりでべたの「とも」と入力してよいでしょう。
そして終助詞的なもので特殊例かとは思いますが女性特有の終助詞がいろいろある中で注記すべきものには「もの」「てよ」の2つがあります。
「もの」は[も][の]の複合にも見えますが形式名詞の「もの」は言うに及ばず、終助詞の「もの」についても前述の解析上の容易性からべたの文字列で入力してよいかと思います。
ただ「もの」には接続助詞としての使い方で「彼は倹約家だもの、宝くじなんて買わないわ」のように順接の確定条件の用法がありますがこちらは判断に悩みますが[だ][も][の]のように複合入力で原則打ち込むものとします。
このへんが煩雑かもしれませんがただの終助詞とは区別する意味で弁別するのも理屈通りで風通しがよいかと思います。
補足として「…ものを」「…ものの」「…ものなら」の形で使われる「もの」は逆接仮定条件の色を多分に含みますが、こちらの場合の「もの」は形式名詞ですので別口パーツの複合とは考えません。
つづいて「てよ」についてですがこれは「でしてよ」についてはすでに[でs][て]よ のストロークで入力するのでこの特殊例に対応はできているのですが、
「てよ」は「よくてよ」「すばらしくってよ」「わかってよ」のように「です」以外の叙述の終端にも同様につけられるのでこちらの場合は今決めてしまうのですが用法に統一感をもたせるために動詞・形容詞からの接続でも+[て]よ の入力をもたせることにしたいと思います。
…以上、思ったより長くなってしまいましたが2文字以上の助詞を概観しての入力対応をどうするかについて事細かに論じてきました。
捉え方もまちまちで個別の助詞(あるいは別口入力パーツ)の複合と捉えて厳格に打ち分けするのを要求する場合もあり、
その一方でこれはひとかたまりだからと打ち分けを必要とせずにべたの文字列で入力するものがあったりと基準が明確でない観もままあるので私としては座りの悪い気分ではあります。
さらに細かく言えば用法によって同じ「でも」でも分離打ち分けするものと一体ベタ打ちするものとが併存する歯がゆい事態となってしまいました。
しかしマーキングの有無によって文解析のふるまいに多大な影響を及ぼす場合もありますから、複合パーツであって個々の助詞が単体で使われているときとはまた違った意味・語法をもつとしても周辺配置の語との明確な境界マーカーになりうるのでこうやって分別することは確かに有効でしょう。
反対に解析にあまり影響を及ぼさない配置位置のパーツであるとか接続助詞「-でも(ても)」のときは特に本来の[で]との区別のために明確に非付随とさせる取り決めなど、
別口入力をあえてとらないものにはそれだけの入力忌避の理由もそれなりにあるかとは思います。闇雲に形式主義で(要る/要らない)を決めているのではないということも読者の方々には何卒ご理解いただきたいところであります。
ただこういった複合助詞全般や別口入力パーツの組み合わせについて生じるさまざまなケースについての考察はまだまだ必要であると思いますし、今記事で何度も言及している「ひとかたまりの語・文字列」ということについてもその輪郭をより深くえぐっていかなければ見えないところもあると思いますので、
このトピックについては今後も機会があれば検討・考察を深めていければよいかと思います。
別口入力は単文字で感覚的にも受け入れやすいものかとは思いますが、こういった周辺事項の外堀にも整合性・利便性を保つためのさまざまな配慮と設計が求められているのだと痛感しました。
やっぱり別口入力という単純なコンセプト一辺倒で乗り切れるとは容易に考えず、そのアイデアを際立たせるためには必要不可欠な検証を続けていかなければならないと思いますし、それがなくては単なる絵に描いた餅で終わってしまうのでそこに息吹を吹き込むような心持ちで想像力をもっとはたらかせていければよいかと思います。
直近の記事で別口入力[な]や[だ]の用例・用法についてつっこんだ考察をしてきましたが今回は同様に別口入力の助詞の中から多岐にわたる用例のある「か」をクローズアップしてみたいと思います。
ペンタクラスタキーボードの基本コンセプト解説中において各種別口入力の一覧にまとめておいた項目における「か」の記述では、
・不確かな意の副助詞
・疑問/勧誘/反語/情動の終助詞
・列挙/疑いの並立助詞
といくぶん簡単に用法をまとめておりました。しかしこれでは多岐にわたる助詞「か」の用法についての説明は不十分でありますので恐縮ながらウェブ辞書の力をお借りして全体像をお示ししたいかと思います。
特に古語・古文関連で使われる係助詞の用法の「か」については少しも触れていませんでしたのでこちらの記述であらためて再確認していこうと思います。
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「か」の用法
[副助]種々の語に付く。
1 (疑問語に付いて、または「…とか」の形で)不確かな意を表す。「どこ―で会った」「彼も来ると―言っていた」
2 疑いの気持ちで推定する意を表す。「心なし―顔色がさえないようだ」「気のせい―彼女のひとみがぬれているように思われる」
3 (「かもしれない」「かもわからない」の形で、または「かも」の形で終助詞のように用いて)不確かな断定を表す。「急げば間に合う―もしれない」「やってはみるが、だめ―もわからないからね」
[終助]文末にある種々の語に付く。
1 質問や疑問の意を表す。「君も行きます―」
2 反語の意を表す。「いいかげんな意見にどうして賛成できよう―」
3 難詰・反駁(はんばく)の意を表す。「そんなこと知るもの―」
4 勧誘・依頼の意を表す。「そろそろ行こう―」「手伝っていただけません―」
5 (多く「…ないか」の形で)命令の意を表す。「はやく歩かない―」「よさない―」
6 驚きや感動の気持ちを表す。古語では、多く「も…か」の形をとる。「だれかと思ったら、君だったの―」「なかなかやるじゃない―」
「浅緑糸よりかけて白露を珠(たま)にもぬける春の柳―」〈古今・春上〉
7 引用した句の意味やある事実を確かめ、自分自身に言い聞かせる意を表す。「急がば回れ―」「そろそろ寝るとする―」
[並助]
1 (「…か…か」または「…か…」の形で)いくつかの事物を列挙し、その一つ、または一部を選ぶ意を表す。「午後からは雨―雪になるでしょう」
「都へのぼって、北野―、祇園―へ参ったとみえて」〈虎明狂・目近籠骨〉
2 (「…かどうか」「…か否か」の形で)疑いの意を表す。「公約が実現される―どう―」「資格がある―否―が問題だ」
3 (「…か…ないかのうちに」の形で)ある動作と同時に、または、引き続いて、別の動作の行われる意を表す。「横になる―ならない―のうちに、もういびきをかいている」
4 (「…か何か」「…かどこか」「…か誰か」の形で)最初の「か」の上にある語と類似・同類のものである意を表す。「ライター―何―火をつける物を貸して下さい」「喫茶店―どこ―で話をしませんか」
[係助]体言・活用語の連体形・連用形、副詞、助詞などに付く。上代では活用語の已然形にも付く。
1 文中にあって係りとなり、文末の活用語を連体形で結ぶ。
①疑問を表す。
「かかる道はいかで―いまする」〈伊勢・九〉
②反語を表す。
「桃李(たうり)もの言はねば、たれとともに―昔を語らむ」〈徒然・二五〉
2 文末用法。
①疑問を表す。
「石見(いはみ)のや高角山の木の間よりわが振る袖を妹(いも)見つらむ―」〈万・一三二〉
②反語を表す。
「心なき鳥にそありけるほととぎす物思ふ時に鳴くべきもの―」〈万・三七八四〉
③(「(も)…ぬか」「(も)…ぬかも」の形で)願望の意を表す。…てくれないものかなあ。
「わが命も常にあらぬ―昔見し象(きさ)の小川を行きて見むため」〈万・三三二〉
[補説]の「か」は、係助詞「や」と違って疑問語を含む文にも用いられる。中世後半になり、係り結びが行われなくなるとともに両者とも本来の性質を失い用いられなくなり、「か」は副助詞、さらに江戸時代以降は並立助詞としての用法も一般化する。また、「か」は「や」の衰退に伴ってその文末用法を拡大し、現代の終助詞としての用法に引き継がれている。
提供元:「デジタル大辞泉」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/34861/meaning/m0u/か[副助終助並助係助]の意味 - goo国語辞書
まず最初の項目の疑問語に付いて…のくだりでは他サイトで知った関連事項も付け加えさせていただきたいと思います。
疑問語はど系列の指示詞(どの・どこ・どれ・どちら・どなたなど)、代名詞(なに、だれ、いつ)、数詞(いくつ、いくら)、副詞(どう、なぜ)、連体詞(どの、どんな)
などがあり、ある物事が不明の時に、それをたずねるために使われることばです。ただ、特定の品詞としてあるのではなく疑問の用をもつ複数の品詞にまたがって定義されるもので、それゆえに単に「疑問詞」といった語とは明確に区別する意味で「疑問語」と呼ばれています。
この疑問語に関連してもう少し深く突っ込むと「だれか・なにか・どれか」などと一まとめにして「不定語」とする考え方(つまり「疑問語」と呼ばない)もあります。
厳密な考察の文書によれば「どこ」文の疑問文には「ドコ疑問文」と「Yes-No疑問文」があり応答の内容が特定のどこかを答えるのとは別に、「彼女の態度はどこか変だろう?」のようにYesNo式の答えとなり疑問の対象も事態の真偽・是非にあるものが区別されるものがあります。
この場合の「どこか」は疑問ではなく不定であることをあらわしており何を指すかが定まっていない言いようになります。
このあたりの引用は ・「疑問語」と「不定語」(2010 大槻美智子)に詳しく解説されています。
また、別の文献では
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疑問語に「か・も・でも」をつけたものを不定語と呼ぶことにします。何を指すかが定まっていない、不定である、という意味の呼び名です。
具体的な例は、次のようなものです。
だれか・だれも・だれでも
なにか・なにも・なんでも
どこか・どこも・どこでも
どれか・どれも・どれでも
どちらか・どちらも・どちらでも
疑問語との組み合わせによっては、「×なぜも」のように存在しない場合も
あり、また「どうも・どうか」のように「どう+も/か」とは考えにくいもの、
つまりもう分割できない一語と考えられるものもあります。
「+か」は、不定であること、はっきり指定(指示)できないことを表しま
す。「+も」は全部がそうであること、「+でも」は任意の対象がそうである
こと、を表します。と言ってみてもよくわかりません。「+でも」の用法は後
で考えてみることにして、まず「+か」と「+も」を考えてみます。
(引用元)・庭 三郎 の 現代日本語文法概説-16疑問語・不定語
という解説もなされています。疑問語に+か、+も、+でも などがつくとそれらを不定語とよぶケースはままあるようです。
また不定語の類の中には「いつか」みたいなものや数量勘定をともなう「幾-か」というものや助数詞をともなう「何個か」「何キロか」などといったものも文脈によっては不定語として使われているものだと推測します。
あと副助詞で特徴的なものでは「どころか」=形式名詞「ところ」に副助詞「か」の付いたもの があります。言いたいことに大きな隔たりがありそれを強調したいときに使われます。(転じて接続助詞の機能もあるとする見解もあります)
ここでの強調は、「~どころか」で直前のものを否定する文脈が含まれているので若干、2 疑いの気持ちで推定する意を表す-とも重なってくる面もあるかと思いますがやはり独特の機能の用法ではないかと思います。
つづいて終助詞の「か」の用法では、当ブログでカバーされていない用法として難詰・反駁(はんばく)の意…というのがありますがこれは
「そんなことをする人がありますか。」「駄目じゃないか」「公正と言えるでしょうか」
などがあります。
あとは命令と決定言い聞かせがもれていましたがこれらも
「よさないか」「さてねるか」
などがあります。終助詞ひとつで7つもの用法があるのですから驚きです。
さらに並立助詞を紐解いていきますと、列挙・疑いに限らず「…か(*)…か」の形のもの一般のもので「…」に配置されるものには名詞/名詞句ばかりでなく動詞句でも成立しますし、
「入ったか入っていないかのうちに」などのように複合して全体として副詞句を形成したりもします。
「その製品は良いものかどうか(を)聞いた。」の場合ですと前述の庭三郎氏の解説では[疑問節]=「疑問文が名詞節となったもの」とあります。
いずれにしましても、「か」が2回続くというのが特徴的であります。
さて最後に古語でつかわれる係り結びの用法となっている係助詞につきましては、IMEで古典表現の隅々にまで対応するというのは難しそうでありますから、例えば①いかでか のように疑問をあらわすものでも文法的・意味的に解析・理解したうえで処理するのではなく字面のまま個別に辞書登録するというありきたりの方法で対処するのが適当ではないかと思います。(いかで[か]として辞書引き)
次の反語の「か」は一般に「ぞ・なむ・や・か」の係り結びにくるものが「連体形」になるというルールがあります。ここまでわかったうえで適切な変換をするのは難しいでしょうが、あえて[か]の別口入力を入れることによって少なくとも何らかの文法要素だということがわかって他のパーツは非文法機能要素だと当たりをつけることができるのでいくらかは役に立つかと思います。
あとの2①②③疑問・反語・願望の用法はそれぞれ文末用法ですから意味構造まではわからずともとりあえずは文末配置ということでたとえ古文であってもマーキングの便宜は足せる(代替的に)かと思います。
ここまで辞書・文献からの補足を並べてみました。
さてここでペンタクラスタキーボードの別口入力の面から入力がらみの「か」の接続要素に目を向けてみますと、助詞をはじめ[だ]や[な]、[て]それにル形動詞[○R]などのパーツとの接続も入り組んださまざまな組み合わせが考えられます。
例えば以下のようなものがあります
(例)「しようかな」「かも」「だか」「知ってか知らずか」「ググるか」
これらの例でも律儀に[か][な]のように煩雑に入力させるのは心苦しいところですが例外を増やして別口入力のパターン化した操作感を統一できないものあまり得策ではないのでここは原則通り別口入力をともなう形の操作でご理解いただきたいかと思います。
ただこれらと似たような接続のケースで「しか」のような一見[し][か]の複合に見えなくもない例がありますがここでの[し]は先般導入された新別口入力[し](サ変動詞)ではありませんので注意が必要です。
ちょっとややこしいのですが「しか」の用法には古文も含めると以下の4用法がありますので整理しますと
1過去の助動詞「き」の已然形(仮定)
2過去の助動詞「き」の連体形+係助詞「か」(疑問)
3終助詞「しか」(願望)(※多く「てしか」「にしか」の形で使われる)
これに現代国語で副助詞(とりたて助詞)として定着している「しか」がありますがこれは述語にかならず否定文が使われておりこちらは身近な用例となっています。
なので古文3用例+現代文1用例ととらえることにします。ここでも例によって古文対応は望めないので「しか」の字面は必ずしも[か]の別口入力を必須としない、あるいはあってもなくてもどちらでも弾力的に解釈するということであいまいな方針でお願いしたいかと思います。
ちょっと歯切れが悪いのですが、古文は何しろ現代語の単語辞書との兼用によって予期せぬ副作用があるかもしれないのでここは日常で使う現代語解釈を優先させていきたい方針です。
現代語の副助詞「しか」については「し」は別口入力ではないのでべたの「し」を打鍵するとして、「か」の部分はこちら(し-か)連語となった一部分として[か]を別口入力するのか、
あるいは少し違和感があるのでこのような副助詞やあるいは係助詞や接続助詞にも複数字のものがありソリッド感を保つために一部別口入力のような少しぎこちないストロークは回避した方が良いのかどうかを含め検討中ですのでここでは結論を急がないように保留としておきます。
ただ副助詞としての「しか」自体は現代語の解釈のなかで明確な分別要素として位置付けていこうとは思っておりますのであとは[か]を別口入力するかしないかの局所的問題として大枠としては現代文を優先していく方針は変わっておりません。
…以上でこれまでで最も用例の多かった別口入力パーツ「か」について相当量記述していきましたが「か」の用法は思いのほか多くこうして各用例について詳細に解説せねばなりませんでした。
それまででも「が」のように格助詞と接続助詞の2つの役割をもつものがありましたがこちらの「か」は副助詞・終助詞・接続助詞・係助詞と4カテゴリーにわたる用法がありその中でもさらに個別の細々した用法にわかれています。
これは圧倒的なバリエーションであり別口入力パーツの説明をするうえで「か」については特段の説明が必要だと思われるレベルのものだといえます。
あとはコンピュータが意味的な構造をどこまで理解できるかにかかっているかと思いますがこれは単に品詞接続表で接続コストを吟味するというプロセスにくわえて「か」の場合は複数の解釈が併存していくわけですからそれをうまく捌く仕組みが求められていくと思います。
恥ずかしながらここまで変換エンジンの具体的な見とり図さえ描けてはいない状態ですので接続コスト法についてつっこんだ見解をもつわけではありませんが文法的規則だけではなく語彙的コロケーションの接続特性についてもあわせて考えていければ良いなと思います。
あとちょっと別の視点から「か」について申し上げますと「か」は接尾辞の「化」や「価」「課」との誤変換誘発要素が突出して高いという特徴があり別口入力で分別することでこれらの誤変換を未然に防ぐことができるという点で重宝するかと思います。
「か」の接続配置の前後関係や語彙関係について適切な理解が進んでいれば文法的機能助詞としての「か」はひとまずはっきりと輪郭が浮き出ていくものですしそれとの相乗効果で他方べたの文字列「か」(これはつまり「化」「価」「課」に変換されるであろうチャンク)が体言的あるいはサ変動詞語幹としての機能をもつものだと従前にわかったうえで変換していくのは構造的にもよく考えられた振る舞いになるものかと思います。
難しいところはともかく、語尾が「か」だとややもすればなんでも「--化」してしまう誤変換に悩まされることがなくなるのは非常にありがたい事だと思います。
このような利点を生かつつさまざまな「か」の用法の構造的解析にも当座の道筋がつけば「か」の使い出も自在になってくるのでそこを目指して今回出た各用法を見直し・ブラッシュアップしていければ良いなと思います。
ペンタクラスタキーボードの基本コンセプト解説中において各種別口入力の一覧にまとめておいた項目における「か」の記述では、
・不確かな意の副助詞
・疑問/勧誘/反語/情動の終助詞
・列挙/疑いの並立助詞
といくぶん簡単に用法をまとめておりました。しかしこれでは多岐にわたる助詞「か」の用法についての説明は不十分でありますので恐縮ながらウェブ辞書の力をお借りして全体像をお示ししたいかと思います。
特に古語・古文関連で使われる係助詞の用法の「か」については少しも触れていませんでしたのでこちらの記述であらためて再確認していこうと思います。
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「か」の用法
[副助]種々の語に付く。
1 (疑問語に付いて、または「…とか」の形で)不確かな意を表す。「どこ―で会った」「彼も来ると―言っていた」
2 疑いの気持ちで推定する意を表す。「心なし―顔色がさえないようだ」「気のせい―彼女のひとみがぬれているように思われる」
3 (「かもしれない」「かもわからない」の形で、または「かも」の形で終助詞のように用いて)不確かな断定を表す。「急げば間に合う―もしれない」「やってはみるが、だめ―もわからないからね」
[終助]文末にある種々の語に付く。
1 質問や疑問の意を表す。「君も行きます―」
2 反語の意を表す。「いいかげんな意見にどうして賛成できよう―」
3 難詰・反駁(はんばく)の意を表す。「そんなこと知るもの―」
4 勧誘・依頼の意を表す。「そろそろ行こう―」「手伝っていただけません―」
5 (多く「…ないか」の形で)命令の意を表す。「はやく歩かない―」「よさない―」
6 驚きや感動の気持ちを表す。古語では、多く「も…か」の形をとる。「だれかと思ったら、君だったの―」「なかなかやるじゃない―」
「浅緑糸よりかけて白露を珠(たま)にもぬける春の柳―」〈古今・春上〉
7 引用した句の意味やある事実を確かめ、自分自身に言い聞かせる意を表す。「急がば回れ―」「そろそろ寝るとする―」
[並助]
1 (「…か…か」または「…か…」の形で)いくつかの事物を列挙し、その一つ、または一部を選ぶ意を表す。「午後からは雨―雪になるでしょう」
「都へのぼって、北野―、祇園―へ参ったとみえて」〈虎明狂・目近籠骨〉
2 (「…かどうか」「…か否か」の形で)疑いの意を表す。「公約が実現される―どう―」「資格がある―否―が問題だ」
3 (「…か…ないかのうちに」の形で)ある動作と同時に、または、引き続いて、別の動作の行われる意を表す。「横になる―ならない―のうちに、もういびきをかいている」
4 (「…か何か」「…かどこか」「…か誰か」の形で)最初の「か」の上にある語と類似・同類のものである意を表す。「ライター―何―火をつける物を貸して下さい」「喫茶店―どこ―で話をしませんか」
[係助]体言・活用語の連体形・連用形、副詞、助詞などに付く。上代では活用語の已然形にも付く。
1 文中にあって係りとなり、文末の活用語を連体形で結ぶ。
①疑問を表す。
「かかる道はいかで―いまする」〈伊勢・九〉
②反語を表す。
「桃李(たうり)もの言はねば、たれとともに―昔を語らむ」〈徒然・二五〉
2 文末用法。
①疑問を表す。
「石見(いはみ)のや高角山の木の間よりわが振る袖を妹(いも)見つらむ―」〈万・一三二〉
②反語を表す。
「心なき鳥にそありけるほととぎす物思ふ時に鳴くべきもの―」〈万・三七八四〉
③(「(も)…ぬか」「(も)…ぬかも」の形で)願望の意を表す。…てくれないものかなあ。
「わが命も常にあらぬ―昔見し象(きさ)の小川を行きて見むため」〈万・三三二〉
[補説]の「か」は、係助詞「や」と違って疑問語を含む文にも用いられる。中世後半になり、係り結びが行われなくなるとともに両者とも本来の性質を失い用いられなくなり、「か」は副助詞、さらに江戸時代以降は並立助詞としての用法も一般化する。また、「か」は「や」の衰退に伴ってその文末用法を拡大し、現代の終助詞としての用法に引き継がれている。
提供元:「デジタル大辞泉」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/34861/meaning/m0u/か[副助終助並助係助]の意味 - goo国語辞書
まず最初の項目の疑問語に付いて…のくだりでは他サイトで知った関連事項も付け加えさせていただきたいと思います。
疑問語はど系列の指示詞(どの・どこ・どれ・どちら・どなたなど)、代名詞(なに、だれ、いつ)、数詞(いくつ、いくら)、副詞(どう、なぜ)、連体詞(どの、どんな)
などがあり、ある物事が不明の時に、それをたずねるために使われることばです。ただ、特定の品詞としてあるのではなく疑問の用をもつ複数の品詞にまたがって定義されるもので、それゆえに単に「疑問詞」といった語とは明確に区別する意味で「疑問語」と呼ばれています。
この疑問語に関連してもう少し深く突っ込むと「だれか・なにか・どれか」などと一まとめにして「不定語」とする考え方(つまり「疑問語」と呼ばない)もあります。
厳密な考察の文書によれば「どこ」文の疑問文には「ドコ疑問文」と「Yes-No疑問文」があり応答の内容が特定のどこかを答えるのとは別に、「彼女の態度はどこか変だろう?」のようにYesNo式の答えとなり疑問の対象も事態の真偽・是非にあるものが区別されるものがあります。
この場合の「どこか」は疑問ではなく不定であることをあらわしており何を指すかが定まっていない言いようになります。
このあたりの引用は ・「疑問語」と「不定語」(2010 大槻美智子)に詳しく解説されています。
また、別の文献では
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
疑問語に「か・も・でも」をつけたものを不定語と呼ぶことにします。何を指すかが定まっていない、不定である、という意味の呼び名です。
具体的な例は、次のようなものです。
だれか・だれも・だれでも
なにか・なにも・なんでも
どこか・どこも・どこでも
どれか・どれも・どれでも
どちらか・どちらも・どちらでも
疑問語との組み合わせによっては、「×なぜも」のように存在しない場合も
あり、また「どうも・どうか」のように「どう+も/か」とは考えにくいもの、
つまりもう分割できない一語と考えられるものもあります。
「+か」は、不定であること、はっきり指定(指示)できないことを表しま
す。「+も」は全部がそうであること、「+でも」は任意の対象がそうである
こと、を表します。と言ってみてもよくわかりません。「+でも」の用法は後
で考えてみることにして、まず「+か」と「+も」を考えてみます。
(引用元)・庭 三郎 の 現代日本語文法概説-16疑問語・不定語
という解説もなされています。疑問語に+か、+も、+でも などがつくとそれらを不定語とよぶケースはままあるようです。
また不定語の類の中には「いつか」みたいなものや数量勘定をともなう「幾-か」というものや助数詞をともなう「何個か」「何キロか」などといったものも文脈によっては不定語として使われているものだと推測します。
あと副助詞で特徴的なものでは「どころか」=形式名詞「ところ」に副助詞「か」の付いたもの があります。言いたいことに大きな隔たりがありそれを強調したいときに使われます。(転じて接続助詞の機能もあるとする見解もあります)
ここでの強調は、「~どころか」で直前のものを否定する文脈が含まれているので若干、2 疑いの気持ちで推定する意を表す-とも重なってくる面もあるかと思いますがやはり独特の機能の用法ではないかと思います。
つづいて終助詞の「か」の用法では、当ブログでカバーされていない用法として難詰・反駁(はんばく)の意…というのがありますがこれは
「そんなことをする人がありますか。」「駄目じゃないか」「公正と言えるでしょうか」
などがあります。
あとは命令と決定言い聞かせがもれていましたがこれらも
「よさないか」「さてねるか」
などがあります。終助詞ひとつで7つもの用法があるのですから驚きです。
さらに並立助詞を紐解いていきますと、列挙・疑いに限らず「…か(*)…か」の形のもの一般のもので「…」に配置されるものには名詞/名詞句ばかりでなく動詞句でも成立しますし、
「入ったか入っていないかのうちに」などのように複合して全体として副詞句を形成したりもします。
「その製品は良いものかどうか(を)聞いた。」の場合ですと前述の庭三郎氏の解説では[疑問節]=「疑問文が名詞節となったもの」とあります。
いずれにしましても、「か」が2回続くというのが特徴的であります。
さて最後に古語でつかわれる係り結びの用法となっている係助詞につきましては、IMEで古典表現の隅々にまで対応するというのは難しそうでありますから、例えば①いかでか のように疑問をあらわすものでも文法的・意味的に解析・理解したうえで処理するのではなく字面のまま個別に辞書登録するというありきたりの方法で対処するのが適当ではないかと思います。(いかで[か]として辞書引き)
次の反語の「か」は一般に「ぞ・なむ・や・か」の係り結びにくるものが「連体形」になるというルールがあります。ここまでわかったうえで適切な変換をするのは難しいでしょうが、あえて[か]の別口入力を入れることによって少なくとも何らかの文法要素だということがわかって他のパーツは非文法機能要素だと当たりをつけることができるのでいくらかは役に立つかと思います。
あとの2①②③疑問・反語・願望の用法はそれぞれ文末用法ですから意味構造まではわからずともとりあえずは文末配置ということでたとえ古文であってもマーキングの便宜は足せる(代替的に)かと思います。
ここまで辞書・文献からの補足を並べてみました。
さてここでペンタクラスタキーボードの別口入力の面から入力がらみの「か」の接続要素に目を向けてみますと、助詞をはじめ[だ]や[な]、[て]それにル形動詞[○R]などのパーツとの接続も入り組んださまざまな組み合わせが考えられます。
例えば以下のようなものがあります
(例)「しようかな」「かも」「だか」「知ってか知らずか」「ググるか」
これらの例でも律儀に[か][な]のように煩雑に入力させるのは心苦しいところですが例外を増やして別口入力のパターン化した操作感を統一できないものあまり得策ではないのでここは原則通り別口入力をともなう形の操作でご理解いただきたいかと思います。
ただこれらと似たような接続のケースで「しか」のような一見[し][か]の複合に見えなくもない例がありますがここでの[し]は先般導入された新別口入力[し](サ変動詞)ではありませんので注意が必要です。
ちょっとややこしいのですが「しか」の用法には古文も含めると以下の4用法がありますので整理しますと
1過去の助動詞「き」の已然形(仮定)
2過去の助動詞「き」の連体形+係助詞「か」(疑問)
3終助詞「しか」(願望)(※多く「てしか」「にしか」の形で使われる)
これに現代国語で副助詞(とりたて助詞)として定着している「しか」がありますがこれは述語にかならず否定文が使われておりこちらは身近な用例となっています。
なので古文3用例+現代文1用例ととらえることにします。ここでも例によって古文対応は望めないので「しか」の字面は必ずしも[か]の別口入力を必須としない、あるいはあってもなくてもどちらでも弾力的に解釈するということであいまいな方針でお願いしたいかと思います。
ちょっと歯切れが悪いのですが、古文は何しろ現代語の単語辞書との兼用によって予期せぬ副作用があるかもしれないのでここは日常で使う現代語解釈を優先させていきたい方針です。
現代語の副助詞「しか」については「し」は別口入力ではないのでべたの「し」を打鍵するとして、「か」の部分はこちら(し-か)連語となった一部分として[か]を別口入力するのか、
あるいは少し違和感があるのでこのような副助詞やあるいは係助詞や接続助詞にも複数字のものがありソリッド感を保つために一部別口入力のような少しぎこちないストロークは回避した方が良いのかどうかを含め検討中ですのでここでは結論を急がないように保留としておきます。
ただ副助詞としての「しか」自体は現代語の解釈のなかで明確な分別要素として位置付けていこうとは思っておりますのであとは[か]を別口入力するかしないかの局所的問題として大枠としては現代文を優先していく方針は変わっておりません。
…以上でこれまでで最も用例の多かった別口入力パーツ「か」について相当量記述していきましたが「か」の用法は思いのほか多くこうして各用例について詳細に解説せねばなりませんでした。
それまででも「が」のように格助詞と接続助詞の2つの役割をもつものがありましたがこちらの「か」は副助詞・終助詞・接続助詞・係助詞と4カテゴリーにわたる用法がありその中でもさらに個別の細々した用法にわかれています。
これは圧倒的なバリエーションであり別口入力パーツの説明をするうえで「か」については特段の説明が必要だと思われるレベルのものだといえます。
あとはコンピュータが意味的な構造をどこまで理解できるかにかかっているかと思いますがこれは単に品詞接続表で接続コストを吟味するというプロセスにくわえて「か」の場合は複数の解釈が併存していくわけですからそれをうまく捌く仕組みが求められていくと思います。
恥ずかしながらここまで変換エンジンの具体的な見とり図さえ描けてはいない状態ですので接続コスト法についてつっこんだ見解をもつわけではありませんが文法的規則だけではなく語彙的コロケーションの接続特性についてもあわせて考えていければ良いなと思います。
あとちょっと別の視点から「か」について申し上げますと「か」は接尾辞の「化」や「価」「課」との誤変換誘発要素が突出して高いという特徴があり別口入力で分別することでこれらの誤変換を未然に防ぐことができるという点で重宝するかと思います。
「か」の接続配置の前後関係や語彙関係について適切な理解が進んでいれば文法的機能助詞としての「か」はひとまずはっきりと輪郭が浮き出ていくものですしそれとの相乗効果で他方べたの文字列「か」(これはつまり「化」「価」「課」に変換されるであろうチャンク)が体言的あるいはサ変動詞語幹としての機能をもつものだと従前にわかったうえで変換していくのは構造的にもよく考えられた振る舞いになるものかと思います。
難しいところはともかく、語尾が「か」だとややもすればなんでも「--化」してしまう誤変換に悩まされることがなくなるのは非常にありがたい事だと思います。
このような利点を生かつつさまざまな「か」の用法の構造的解析にも当座の道筋がつけば「か」の使い出も自在になってくるのでそこを目指して今回出た各用法を見直し・ブラッシュアップしていければ良いなと思います。
前回、別口入力[な]においての「[な]ら」の持て余し感やさまざまな接続について考察していきましたが今回はその議論の発端ともいうべき別口入力[だ]についていろんな角度から分析してみたいと思います。
「だ」は通常末端部に配置され叙述の収束感をともなったキメ感をもったパーツだと思うのですが、単に終止形でわかりやすい「だ」の場合だけでなく未然形「だろ」(う)や連用形「だっ」(た)の変化形においてもほぼ言いかけであるのでここから急展開して叙述がひっくり返るようなこともないので既定感は出ているパーツだと思います。
(形容動詞連体形「な」だと「静かなヘビメタ」や「罰当たりなお坊さん」みたいに「な」の後に続く語によっては意外な展開が待ち構えていたりします。)
さらには形容動詞仮定形「[な]ら」のときのような宙づりになったような別口入力の持て余し感があるというのも一応のキメ感を持った「だろ」や「だっ」に比べると違和感が幾分強いような気がします。
なので文字列並びから感じる違和感についてはそう掘り下げどころもないのですが「だ」や「です」まわりの接続のしかたにはいろいろ面白い例も中にはみられるので物見遊山的にいろいろ拾っていこうかと思います。
まず名詞述語文のように見えて実は純名詞としてではなくなにがしかの様態属性を含むニュアンスとして名詞が使われているもの、かといってイ形容詞でもナ形容詞でもないものの例です。
「0行進だ」「ごあいさつだな」
これは0行進はともかくとして「ごあいさつ」のほうは文字通りの挨拶を指しているのではなく相手の非礼な態度へ皮肉交じりに切り返す感情的モーメントのついた言葉で名詞としての使われ方はしていません。
イ形容詞やナ形容詞でもない品詞不明のこの語は以前少し触れた第三形容詞とも関係がありそうですがとにもかくにも助動詞としての「だ」にはこういったモーメントのある語を受け止める器が備わっている機能があるのだといえます。
そしてちょっと話が飛びますが「だ」「です」には終助詞が結びついて連語的に連なる終助詞になるものも多数あります。これは前記事の「な」がもっぱら連語的終助詞の終端部になるのと比較して、「だ」の場合は終端部とならずに経過部分として配置されるのとは対照的です。
例としては以下のものです。
「だよ(ね)」「だわ(ね)」「だわ(な)」「だわ(さ)」「だこと」「ですこと」
これらは「だ」+終助詞「わ」などがつながったものですが個別の辞というよりも「だわ」で一体化した連語ととらえることができます。どの語尾部分においても「だ」「です」は終端途中の経過部分になっています。
終助詞はさまざまありますが特に方言や漫画のキャラクターなどの固有の終助詞が特徴的です。
「よ」「わね」には「です」に変えてもつながりますが、「ですわな」や「ですわさ」はちょっとみられません。「だ」の方が比較的バリエーションが広いように思えます。
前述した「ごあいさつだな」に似たような使い方の終助詞がらみの「だ」では
「ヒャッハーだぜ!」「プンプンだぞ♡」「プロの仕業ですな」
みたいなものもあります。こちらもイ形容詞やナ形容詞ではない広義の形容詞が使われている例です。さらに
「怪物ランドのプリンスだい」「何ニヤニヤしているんだい」
では(主に子供が)語気を強めて言う調子をもつ用例や親しさのある仲での疑問の用例などをもつ終助詞「い」とくっついた「だい」もありますが、こちらも一体化して個別の終助詞とみなすことができます。
さらに普段目にするもののよく観察すると珍しい接続のものとしては
「いっそだな」「ほぼだな」「せめてだな」「ややもするとだな」「今さらだな」「まだまだだね」
のような広義の形容詞でもない副詞相当の語に「だな」「だね」がつく例も成立しています。またいくつかのものは間投助詞的に使われているのもあります。
[だ][な]は別口入力が連続して起こる例ですが末尾の[な]は形容動詞活用語尾の「な」ではなく終助詞の「な」ですのでここではあまり重要視はしないのですが別口入力の連続する他の例といたしましては
「見たいのだか見たくないのだか」「何やってんだか」「絶対買うんだって」
などの例があります。左から順に「選言を示す並立助詞の『か』」、「詠嘆・感動の終助詞『か』」、「『っ』+引用の格助詞『て』」の用法です。
いろいろ用法が出てきたと思いますが、比較的御しやすい終助詞はおいておくとして構文中での機能の鮮明ないくつかの語については構文解析上のさまざまな手立て――例えば直前の接続品詞は何か、後続で考えられる接続品詞は何か、また品詞・クラスによらず語彙的な観点も考慮するのか…を分析するプロセス基盤の整備をしなくてはいけません。
連接コストの勘定計算のこまごました処理以前に、この「か」で短文の切れ目になっているのかそうでないのか叙述の相当部分なのか今はその前フリなのかといった文の機能構造のどの部分なのかを全体像から把握していくうえでも別口入力パーツという特徴値をうまく位置づけていくデータさばきが求められていくのではないでしょうか。
「だ」は叙述の基点ともいえるパーツですのでそういった勘所も重要になってきます。
さらに「だ」を並列・列挙的に用いる例として
「OK!だダイジョブネだ言ってても」
のようなものもあります。「だ」は「だの」で置き換え可能ですが否定的な文脈で、どこか軽視しつつの列挙になっているニュアンスが感じられます。
あとは
「寝なきゃだよね」「待ったなしだ」
のように独立した句を受けての「だ」というのも列挙ではないものの似たような範疇のものだと思います。
「だ」は「はだ」「をだ」のようにつながることは少ないのですが「普段はだ」や「タバコをだ」のように指示対象を明瞭化するために会話調において使われることもあります。
複合して実質ひとかたまりの接続助詞となっている「だから」や「だが」も「電車でだから」や「自宅へだが」のようにこちらも接続の自由度が保たれています。
ちょっと話がそれますが、キー配列の話になるのですけれども、よく使われる「だと」の打鍵ストロークに関して言えば手前左の別口入力ゾーンに「だ」も「と」も共に位置しているので押しづらい配置となっているのは頭の痛いところです。
いずれ分析して再検討していかなければならない課題かと思いますがここでは深くはつっこみませんのであしからず。
あとはもともとの語形から短縮された形態で「やだ」や「まだ」のようなものがありますがこちらはそれぞれ「嫌だ」「未だ」が縮まって慣用化されたものです。
このようなものまでや[だ]あるいはま[だ]とするのはさすがに野暮というものですのでこちらはべたの文字列で入力していけばよいかと思います。
脱線ついでに志村けんの往年のギャグ「だっふんだ」は「だ」で終止しているある種の叙述なのかそもそも品詞は何なのか疑問のつきないフレーズではありますが、これについてはネット各所で意味・由来に関してすでに語られておりました。
それによると、「だっふんだ」は、落語家の桂枝雀の高座で「偉い人がくしゃみをする様」が「だっふんだ」と聞こえたのが面白かったので拝借したことが述べられていた…とwikipediaにはあります。
なので「だ」の叙述文ではなく、品詞としてはうなり声や掛け声と同じ類なので、強いて分類するとすれば「感動詞」ではないかと思います。
「だっふんだ」の文法的意味合いを知りたい方がはたしてこの日本にどれくらいいるのかわかりませんが、「変なおじさん」にも驚いてもらえるような記事だとうれしいのですが…。
さてオチもついたところであと1点だけあげさせてもらいますと、「だ」にはなく「です」にだけあらわれる表現として
「つらいです」「青いです」「悔しいです」
のように、形容詞+です のカタチがどうもおかしいということでしばしば議論にのぼる場面がみられますが、結論から言えば、これはアリだそうです。
昭和27年(1952年)の国語審議会において「これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方--たとえば、「大きいです」「小さいです」などは、平明・簡素な形として認めてよい。」と許容する方針が打ち出されています。
「美しゅうございます」では仰々しすぎるのですが、です・ます調の丁寧体においてはうまくなじむ形容詞表現がなかったのでいわば苦肉の策的に生み出されたものとしてこのような表現になったそうです。(動詞・名詞・形容動詞の丁寧体は問題なかった)
これだけですとなんですので、他に変わった「+です」の使われ方はないかとバリエーションを収集してみましたが、以下のような例はどうでしょうか。果たして許容されうるものであるかはわかりませんが。
「行くですぅ」「スマンです」「はよしろです」「どこへやらです」「おセンチです」「ふんだんです」「至れり尽くせりです」「明日は我が身です」「見ず知らずです」
今のSNS界隈だったら大体ありえそうな例ですが形容詞以外に範囲を広げて「広義の形容詞」や「慣用句」にも「です」がつくのがちょっと逸脱的ではありますがこれはこれで成り立っているような気がします。
はたして日本語の未来はどうなっていくのか一抹の不安もありますが「だ」や「です」には強烈な叙述構成力が備わっておりますし上記のような違和感のある使われ方も「だ」「です」の潜在力を引き出そうという狙いゆえの進化だと思いますのでそういった言葉の使われ方には時代時代の遊び心からきた魔改造だと言える面もあるかと思います。
文章を書く人の文の数だけその人だけの文章が存在するという見方もありますが、どこかで生まれた個性的な言い回しを別のどこかで多くの人たちが共有していくことで言葉も定着していくものなので月並みな言い方になりますがやはり
「言葉は生き物である」
というこのなのでしょうね。
ということで今回はあまり脈絡もなく話を進めてしまい、肝心の別口入力についてもそれほど深い考察はなかったのですが、「だ」や「です」の普段気づかないような新しい一面をざっと紹介することができてブログ主ぴとてつといたしましてもそれなりに満足しています。
ことばの話をするのには言葉が尽きない――と、いうところでしょうか。また機会があったら別の言葉で懲りずに脱線トークをしてみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。
「だ」は通常末端部に配置され叙述の収束感をともなったキメ感をもったパーツだと思うのですが、単に終止形でわかりやすい「だ」の場合だけでなく未然形「だろ」(う)や連用形「だっ」(た)の変化形においてもほぼ言いかけであるのでここから急展開して叙述がひっくり返るようなこともないので既定感は出ているパーツだと思います。
(形容動詞連体形「な」だと「静かなヘビメタ」や「罰当たりなお坊さん」みたいに「な」の後に続く語によっては意外な展開が待ち構えていたりします。)
さらには形容動詞仮定形「[な]ら」のときのような宙づりになったような別口入力の持て余し感があるというのも一応のキメ感を持った「だろ」や「だっ」に比べると違和感が幾分強いような気がします。
なので文字列並びから感じる違和感についてはそう掘り下げどころもないのですが「だ」や「です」まわりの接続のしかたにはいろいろ面白い例も中にはみられるので物見遊山的にいろいろ拾っていこうかと思います。
まず名詞述語文のように見えて実は純名詞としてではなくなにがしかの様態属性を含むニュアンスとして名詞が使われているもの、かといってイ形容詞でもナ形容詞でもないものの例です。
「0行進だ」「ごあいさつだな」
これは0行進はともかくとして「ごあいさつ」のほうは文字通りの挨拶を指しているのではなく相手の非礼な態度へ皮肉交じりに切り返す感情的モーメントのついた言葉で名詞としての使われ方はしていません。
イ形容詞やナ形容詞でもない品詞不明のこの語は以前少し触れた第三形容詞とも関係がありそうですがとにもかくにも助動詞としての「だ」にはこういったモーメントのある語を受け止める器が備わっている機能があるのだといえます。
そしてちょっと話が飛びますが「だ」「です」には終助詞が結びついて連語的に連なる終助詞になるものも多数あります。これは前記事の「な」がもっぱら連語的終助詞の終端部になるのと比較して、「だ」の場合は終端部とならずに経過部分として配置されるのとは対照的です。
例としては以下のものです。
「だよ(ね)」「だわ(ね)」「だわ(な)」「だわ(さ)」「だこと」「ですこと」
これらは「だ」+終助詞「わ」などがつながったものですが個別の辞というよりも「だわ」で一体化した連語ととらえることができます。どの語尾部分においても「だ」「です」は終端途中の経過部分になっています。
終助詞はさまざまありますが特に方言や漫画のキャラクターなどの固有の終助詞が特徴的です。
「よ」「わね」には「です」に変えてもつながりますが、「ですわな」や「ですわさ」はちょっとみられません。「だ」の方が比較的バリエーションが広いように思えます。
前述した「ごあいさつだな」に似たような使い方の終助詞がらみの「だ」では
「ヒャッハーだぜ!」「プンプンだぞ♡」「プロの仕業ですな」
みたいなものもあります。こちらもイ形容詞やナ形容詞ではない広義の形容詞が使われている例です。さらに
「怪物ランドのプリンスだい」「何ニヤニヤしているんだい」
では(主に子供が)語気を強めて言う調子をもつ用例や親しさのある仲での疑問の用例などをもつ終助詞「い」とくっついた「だい」もありますが、こちらも一体化して個別の終助詞とみなすことができます。
さらに普段目にするもののよく観察すると珍しい接続のものとしては
「いっそだな」「ほぼだな」「せめてだな」「ややもするとだな」「今さらだな」「まだまだだね」
のような広義の形容詞でもない副詞相当の語に「だな」「だね」がつく例も成立しています。またいくつかのものは間投助詞的に使われているのもあります。
[だ][な]は別口入力が連続して起こる例ですが末尾の[な]は形容動詞活用語尾の「な」ではなく終助詞の「な」ですのでここではあまり重要視はしないのですが別口入力の連続する他の例といたしましては
「見たいのだか見たくないのだか」「何やってんだか」「絶対買うんだって」
などの例があります。左から順に「選言を示す並立助詞の『か』」、「詠嘆・感動の終助詞『か』」、「『っ』+引用の格助詞『て』」の用法です。
いろいろ用法が出てきたと思いますが、比較的御しやすい終助詞はおいておくとして構文中での機能の鮮明ないくつかの語については構文解析上のさまざまな手立て――例えば直前の接続品詞は何か、後続で考えられる接続品詞は何か、また品詞・クラスによらず語彙的な観点も考慮するのか…を分析するプロセス基盤の整備をしなくてはいけません。
連接コストの勘定計算のこまごました処理以前に、この「か」で短文の切れ目になっているのかそうでないのか叙述の相当部分なのか今はその前フリなのかといった文の機能構造のどの部分なのかを全体像から把握していくうえでも別口入力パーツという特徴値をうまく位置づけていくデータさばきが求められていくのではないでしょうか。
「だ」は叙述の基点ともいえるパーツですのでそういった勘所も重要になってきます。
さらに「だ」を並列・列挙的に用いる例として
「OK!だダイジョブネだ言ってても」
のようなものもあります。「だ」は「だの」で置き換え可能ですが否定的な文脈で、どこか軽視しつつの列挙になっているニュアンスが感じられます。
あとは
「寝なきゃだよね」「待ったなしだ」
のように独立した句を受けての「だ」というのも列挙ではないものの似たような範疇のものだと思います。
「だ」は「はだ」「をだ」のようにつながることは少ないのですが「普段はだ」や「タバコをだ」のように指示対象を明瞭化するために会話調において使われることもあります。
複合して実質ひとかたまりの接続助詞となっている「だから」や「だが」も「電車でだから」や「自宅へだが」のようにこちらも接続の自由度が保たれています。
ちょっと話がそれますが、キー配列の話になるのですけれども、よく使われる「だと」の打鍵ストロークに関して言えば手前左の別口入力ゾーンに「だ」も「と」も共に位置しているので押しづらい配置となっているのは頭の痛いところです。
いずれ分析して再検討していかなければならない課題かと思いますがここでは深くはつっこみませんのであしからず。
あとはもともとの語形から短縮された形態で「やだ」や「まだ」のようなものがありますがこちらはそれぞれ「嫌だ」「未だ」が縮まって慣用化されたものです。
このようなものまでや[だ]あるいはま[だ]とするのはさすがに野暮というものですのでこちらはべたの文字列で入力していけばよいかと思います。
脱線ついでに志村けんの往年のギャグ「だっふんだ」は「だ」で終止しているある種の叙述なのかそもそも品詞は何なのか疑問のつきないフレーズではありますが、これについてはネット各所で意味・由来に関してすでに語られておりました。
それによると、「だっふんだ」は、落語家の桂枝雀の高座で「偉い人がくしゃみをする様」が「だっふんだ」と聞こえたのが面白かったので拝借したことが述べられていた…とwikipediaにはあります。
なので「だ」の叙述文ではなく、品詞としてはうなり声や掛け声と同じ類なので、強いて分類するとすれば「感動詞」ではないかと思います。
「だっふんだ」の文法的意味合いを知りたい方がはたしてこの日本にどれくらいいるのかわかりませんが、「変なおじさん」にも驚いてもらえるような記事だとうれしいのですが…。
さてオチもついたところであと1点だけあげさせてもらいますと、「だ」にはなく「です」にだけあらわれる表現として
「つらいです」「青いです」「悔しいです」
のように、形容詞+です のカタチがどうもおかしいということでしばしば議論にのぼる場面がみられますが、結論から言えば、これはアリだそうです。
昭和27年(1952年)の国語審議会において「これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方--たとえば、「大きいです」「小さいです」などは、平明・簡素な形として認めてよい。」と許容する方針が打ち出されています。
「美しゅうございます」では仰々しすぎるのですが、です・ます調の丁寧体においてはうまくなじむ形容詞表現がなかったのでいわば苦肉の策的に生み出されたものとしてこのような表現になったそうです。(動詞・名詞・形容動詞の丁寧体は問題なかった)
これだけですとなんですので、他に変わった「+です」の使われ方はないかとバリエーションを収集してみましたが、以下のような例はどうでしょうか。果たして許容されうるものであるかはわかりませんが。
「行くですぅ」「スマンです」「はよしろです」「どこへやらです」「おセンチです」「ふんだんです」「至れり尽くせりです」「明日は我が身です」「見ず知らずです」
今のSNS界隈だったら大体ありえそうな例ですが形容詞以外に範囲を広げて「広義の形容詞」や「慣用句」にも「です」がつくのがちょっと逸脱的ではありますがこれはこれで成り立っているような気がします。
はたして日本語の未来はどうなっていくのか一抹の不安もありますが「だ」や「です」には強烈な叙述構成力が備わっておりますし上記のような違和感のある使われ方も「だ」「です」の潜在力を引き出そうという狙いゆえの進化だと思いますのでそういった言葉の使われ方には時代時代の遊び心からきた魔改造だと言える面もあるかと思います。
文章を書く人の文の数だけその人だけの文章が存在するという見方もありますが、どこかで生まれた個性的な言い回しを別のどこかで多くの人たちが共有していくことで言葉も定着していくものなので月並みな言い方になりますがやはり
「言葉は生き物である」
というこのなのでしょうね。
ということで今回はあまり脈絡もなく話を進めてしまい、肝心の別口入力についてもそれほど深い考察はなかったのですが、「だ」や「です」の普段気づかないような新しい一面をざっと紹介することができてブログ主ぴとてつといたしましてもそれなりに満足しています。
ことばの話をするのには言葉が尽きない――と、いうところでしょうか。また機会があったら別の言葉で懲りずに脱線トークをしてみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。
今更気づいてしまって何なんですが、別口入力[な]に後続する仮定形「なら」の扱いについて魚の骨が喉に引っかかったような違和感がありましたので記事にしたいと思います。
今のところ基本コンセプトにおいては、別口入力[な]の用法は形容動詞の連体形-となっており特に触れてはきませんでしたが、改定コンセプトにおいて別口入力[だ]の用法が1.断定の助動詞(終止形) 2.形容動詞(終止形)の活用語尾 に加えて
「だ」(ろう) - (未然形)
「だ」(った) - (過去形)/
「だ」(っけ) -(確認の終助詞)/
「だ」(っ[て]) - (引用の格助詞)
「だ」(ぜ) - (終止形+終助詞)
…等の活用接続バリエーションに対応して改めて用法の範囲を拡大しています。これに対して「だ」の伴走者たる「な」は同様の関連が深いにもかかわらずこちらについての拡張はまだ手つかずでありました。
これには、見落としがちでしたが仮定形の「なら」が断定の助動詞/形容動詞 両者に存在しておりこちらの場合についてはなんとなく別口入力で入力するのかな…と思わせつつはっきりとは言及していませんでした。
少しぎこちないのですが、以下のように入力します。
「なら」→[な]ら
…[な]は連体形のときの個別感のあるパーツ然としていた時のイメージが強すぎて、この仮定形のように一連の流れに埋没した「なら」をいちいち[な]らと欠片で入力するのにうまく入っていけない抵抗感があります。
別口入力関連ではこれと同様の例に「便利キー[し]」のときの命令形 [し]ろ や、別口入力[だ]のときに終助詞と一体化している[だ]よ などの分離感のないものを無理やりマーキングすることに通じる違和感と根っこは同じです。
ただこれは「真なら」という場合には[な]必須で、「芯なら」という名詞由来のものなら[な]を省略したべたの入力とする…のような使い分けもできるかもしれませんがあるいはファジー的にして基本的に省略するしないがどちらでも良きに計らって解釈するというのは良さそうな処置ではありますが気安く濫用し過ぎるのもあまり好ましい事ではないかと思います。
定義の段階からこの調子では腰砕けですのではじめの一歩においては背筋を伸ばす意味でこの「なら」のようなときでも厳密に[な]ら と入力するのを推奨したいと思います。
感覚的には慣れが必要かもしれませんが適切な文解釈のためにもひとつの構えとしてもっておきたいところですのでどうそご理解のほどお願いいたします。
また、「な」は形容動詞連体形として一般名詞の前に配置される典型的な用法もありますが、準体助詞「の」と結びついた場合でも連体形として形式上機能しています。入力例として以下のような例があります。
「な」([の][か])
「な」([の][で])
「な」([の][に])
「な」([の][だ])
「な」([の][が])
「な」([の][は])
「な」([の][を])
「な」([の][と])
「な」([の][も])
「な」([の][や])
「な」([の]さ)
「な」([の]よ) 等
こちらに関しても中途半端に「なの」だけべた入力で[だ]を別口入力するといったイレギュラーな入力はかえって混乱を増してしまうのでこちらも律儀に[な][の][だ]とひとつづつ入力していくのを推奨します。
ただ、砕けた言い方の「-なんだ」「-なんで」のときは全べたの入力でも許すこととします。この辺のさじ加減は難しいところですが具体的な開発段階が持ち上がったところで調整していけば良い事かと思います。
さらに「な」が末端にきて終助詞として機能するときもあります。その場合は従来の<断定の助動詞/形容動詞の連体形>とはまた別の用法になりますがこちらについても対応していわば両建ての構えをとります。
終助詞の「な」には感動/詠嘆・禁止・願望・念押し・命令/忠告といったさまざまな用法がありますがこれらすべての終助詞を別口入力[な]で取り回していきます。
ただし「な」が間延びした「なぁ」や「なー」などは字面の通りにべたで入力しても良いものとします。
さらに通常の動詞や形容詞・形容動詞のほかへの接続としては
「感謝だな」「閉店ですな」「盲点やな」「皆無じゃな」
のようにコピュラ動詞「だ」「です」(会話調のものとしては「や」や「じゃ」も)の末尾につく「な」もあります。
さらに「な」は名詞・形容詞・形容動詞そして一般動詞・ル形動詞・コピュラ動詞のあとに接続して終助詞ニュアンスをつけるばかりでなく、
別口入力助詞や別口入力パーツ[て][し]のあとについてニュアンスを付加する例も見られます。
(例):「お前がな」「お前もな」「お前とはな」「お前でもな」「普段はな」「電話をな」「達者でな」「ビンボーのくせにな」「ポチッとな」「鳥取のな」「デートへな」「大丈夫かな」「あと証拠とな」「頑張ってな」「用意しな」
これら助詞+な のカタチは末端部にあらわれてそれぞれの調子をもつ/整える はたらきをしています。
「な」の"終助詞力"は高くこれ以外にも様々な文法要素に接続して「な」をたった一つつけただけでさまざまな含意を相手に示すニュアンスをしっかりと出せるだけの力を持ったパーツとなっています。上記以外での接続要素としては、以下のようなものがあります。
(例):「よりな」「からな」「までな」「すらな」「けどな」
もっとより深く掘り下げていくと、「『それがどーした?!』ってな」で使われている[て][な]の[て]は引用の[て]であり語尾も終助詞的な「な」というよりは「…ってな具合に」と続くように名詞の前にきて連体修飾している色彩が強いので、本来の連体形の「な」の使用感覚に近いものがあります。
それはもとより「ような」「そうな」「みたいな」のような基本的言い回しについても見解を示していませんでしたが、同様のの使われ方の別口入力[に]の場合の接続例:「そうに」「ように」の場合も[に]の別口入力をともなっていくと定めているので「な」でも同じ類として別口入力を付随させる方針とします。
ただし既述になりますが「こんな」「どんな」「おかしな」「いろんな」「ろくな」等の一部の連体詞は[な]の別口入力はせずにひと続きのべた文字列としてタイピングしていくことは念押ししたいと思います。
連体詞と「な」の関係はとても微妙で「な」のつく連体詞も散見されているものの「ひょんな」や「異な」では[な]をあえて付随させたいものもありその定義がしっかり確立できてはおりませんがこれについてはまたの機会でいずれ議論していこうかと思いますのでここでの言及は避けたいと思います。
あと言及していない「な」の用法としては間投助詞の「な」(なー)があります。例えば「見たらな、歩いてな…」のように調子を整えるために句末に挿入される「な」です。こちらに関しては文解析上特に困難な点もないので入力においても適宜マーキングしていけばよいでしょう。
ここまで「な」についていろいろ論じてきましたが同じような頻出助詞の「ね」のほうは特に別口入力が用意されているわけでもなくべたで入力していくことになります。
「ね」に限らず日本語では終助詞の種類が役割語としてもキャラクター性の創作要素としてもいくらでも考えつくほど計り知れない面があるので終助詞の全てを別口入力していくというのはあまり現実的ではありません。ただ場合によっては構文解釈に支障をきたすような誤変換誘発語尾もありますのでこの辺はもっとデータを蓄積して対処していきたいところです。
最後にちょっと大きな難題が残っていまして対応を計りかねているのですが、それは古文・古典の言い回し全般に関するものの表現を一体どうしていこうかという問題です。
古典で使われる「な」には以下のような例があります。
・「花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに」(小倉百人一首 小野小町)では詠嘆の終助詞「な」が使われています。
・「君があたり見つつも居らむ生駒山 雲な隠しそ雨は降るとも」(伊勢物語 筒井筒・新古今和歌集)では陳述の副詞「な」が「そ」へ呼応する流れでやんわりとした禁止の意をもちます。
・「てしがな」「にしがな」「もがな」もこれ全体でひとつの単語(願望を表す終助詞)となります。
どれも重要な働きを持つ「な」の使われ方ですが、ペンタクラスタキーボードにおいて古典表現の細かなバリエーションに逐一対応していくというのはかなり難しいでしょう。
仮に「うつりなけり[な]」と入力してマーキングしたとしてもコンピューターは構文の意味構造を把握したうえで配置されたとは認識せずに、単に連体修飾や間投助詞であるかのように見当違いの解釈のままマーキングがおこなわれますが区切り目であることは認識しますので図らずも結果オーライでチャンク分解がおこなわれる結果となるかも知れません。
「雲[な]隠し(そ)」については特殊で今まででてこなかった呼応で結ぶ副詞だというのですからコンピュータにとっても思いもしない、認識しようもない用法でありますので対応するのは難しいでしょうが初回は煩わしいかと思いますが手直しして頂いてその後の学習や登録に委ねるしかないようです。
現代において編集自在の古文を創作的に駆使するというのはあまり考えにくいですし、引用・解説的に使われるのがほとんどでしょうから対処策としては単純に有名どころの言い回しの古文を個別的・機械的にデータをはじめから入れておけばなんとかなるかな、とも思います。
文法的意味合いを理解していないままではありますがなんとかその場しのぎに変換はできるのではないでしょうか。
…と、まあこのように消極的な姿勢で申し訳ないのですが、現代語においても方言や口語スラングに十全に対応しきれていない今の状況では古典表現にまできめ細かく対応していくのは難しいかと思います。
ですので頻出語だけ辞書語彙を厚くしていくということでここはお茶を濁したいかと思います。
「てしがな」「にしがな」「もがな」についても辞書対応ということで「言わずもがな」あたりの定番表現ももちろん入れておいた方がいいです。それほど気にすることの事ではないかもしれませんが、モダンガール(モ・ガ)という語があるので「-な」の適用に引っかかって「モガな」という語がひねくり出されないとも言えませんので「もがな」が辞書にあることに越したことはありません。一応、念のため。
というわけで「な」の別口入力適用範囲を拡大していったわけですが文法的・構文解釈に関わる影響もさることながら仮定形「[な]ら」の持て余し感や律儀に[な][の][だ]と別個に入力していくというちょっとしたクセのようなものであるとか、ユーザーの感覚に抵抗感のありそうな改定も含まれた内容となりました。
もちろん感覚が受け入れられずに「なら」「なのだ」をべたで入力していきたいというユーザーもおられるでしょうからべたの入力であっても特異な変換をせずに柔軟に解釈していく余地というのも残しておかなければいけないなと思います。
「な」の違和感については慣用的・習熟的に対処していくんだと地道に周知していけばきっと受け入れられるのだと信じて、別口入力自体のもつ元来の性質、賦性(ふせい)をより活かしていく運用ができることを目指していきたいと思います。
今のところ基本コンセプトにおいては、別口入力[な]の用法は形容動詞の連体形-となっており特に触れてはきませんでしたが、改定コンセプトにおいて別口入力[だ]の用法が1.断定の助動詞(終止形) 2.形容動詞(終止形)の活用語尾 に加えて
「だ」(ろう) - (未然形)
「だ」(った) - (過去形)/
「だ」(っけ) -(確認の終助詞)/
「だ」(っ[て]) - (引用の格助詞)
「だ」(ぜ) - (終止形+終助詞)
…等の活用接続バリエーションに対応して改めて用法の範囲を拡大しています。これに対して「だ」の伴走者たる「な」は同様の関連が深いにもかかわらずこちらについての拡張はまだ手つかずでありました。
これには、見落としがちでしたが仮定形の「なら」が断定の助動詞/形容動詞 両者に存在しておりこちらの場合についてはなんとなく別口入力で入力するのかな…と思わせつつはっきりとは言及していませんでした。
少しぎこちないのですが、以下のように入力します。
「なら」→[な]ら
…[な]は連体形のときの個別感のあるパーツ然としていた時のイメージが強すぎて、この仮定形のように一連の流れに埋没した「なら」をいちいち[な]らと欠片で入力するのにうまく入っていけない抵抗感があります。
別口入力関連ではこれと同様の例に「便利キー[し]」のときの命令形 [し]ろ や、別口入力[だ]のときに終助詞と一体化している[だ]よ などの分離感のないものを無理やりマーキングすることに通じる違和感と根っこは同じです。
ただこれは「真なら」という場合には[な]必須で、「芯なら」という名詞由来のものなら[な]を省略したべたの入力とする…のような使い分けもできるかもしれませんがあるいはファジー的にして基本的に省略するしないがどちらでも良きに計らって解釈するというのは良さそうな処置ではありますが気安く濫用し過ぎるのもあまり好ましい事ではないかと思います。
定義の段階からこの調子では腰砕けですのではじめの一歩においては背筋を伸ばす意味でこの「なら」のようなときでも厳密に[な]ら と入力するのを推奨したいと思います。
感覚的には慣れが必要かもしれませんが適切な文解釈のためにもひとつの構えとしてもっておきたいところですのでどうそご理解のほどお願いいたします。
また、「な」は形容動詞連体形として一般名詞の前に配置される典型的な用法もありますが、準体助詞「の」と結びついた場合でも連体形として形式上機能しています。入力例として以下のような例があります。
「な」([の][か])
「な」([の][で])
「な」([の][に])
「な」([の][だ])
「な」([の][が])
「な」([の][は])
「な」([の][を])
「な」([の][と])
「な」([の][も])
「な」([の][や])
「な」([の]さ)
「な」([の]よ) 等
こちらに関しても中途半端に「なの」だけべた入力で[だ]を別口入力するといったイレギュラーな入力はかえって混乱を増してしまうのでこちらも律儀に[な][の][だ]とひとつづつ入力していくのを推奨します。
ただ、砕けた言い方の「-なんだ」「-なんで」のときは全べたの入力でも許すこととします。この辺のさじ加減は難しいところですが具体的な開発段階が持ち上がったところで調整していけば良い事かと思います。
さらに「な」が末端にきて終助詞として機能するときもあります。その場合は従来の<断定の助動詞/形容動詞の連体形>とはまた別の用法になりますがこちらについても対応していわば両建ての構えをとります。
終助詞の「な」には感動/詠嘆・禁止・願望・念押し・命令/忠告といったさまざまな用法がありますがこれらすべての終助詞を別口入力[な]で取り回していきます。
ただし「な」が間延びした「なぁ」や「なー」などは字面の通りにべたで入力しても良いものとします。
さらに通常の動詞や形容詞・形容動詞のほかへの接続としては
「感謝だな」「閉店ですな」「盲点やな」「皆無じゃな」
のようにコピュラ動詞「だ」「です」(会話調のものとしては「や」や「じゃ」も)の末尾につく「な」もあります。
さらに「な」は名詞・形容詞・形容動詞そして一般動詞・ル形動詞・コピュラ動詞のあとに接続して終助詞ニュアンスをつけるばかりでなく、
別口入力助詞や別口入力パーツ[て][し]のあとについてニュアンスを付加する例も見られます。
(例):「お前がな」「お前もな」「お前とはな」「お前でもな」「普段はな」「電話をな」「達者でな」「ビンボーのくせにな」「ポチッとな」「鳥取のな」「デートへな」「大丈夫かな」「あと証拠とな」「頑張ってな」「用意しな」
これら助詞+な のカタチは末端部にあらわれてそれぞれの調子をもつ/整える はたらきをしています。
「な」の"終助詞力"は高くこれ以外にも様々な文法要素に接続して「な」をたった一つつけただけでさまざまな含意を相手に示すニュアンスをしっかりと出せるだけの力を持ったパーツとなっています。上記以外での接続要素としては、以下のようなものがあります。
(例):「よりな」「からな」「までな」「すらな」「けどな」
もっとより深く掘り下げていくと、「『それがどーした?!』ってな」で使われている[て][な]の[て]は引用の[て]であり語尾も終助詞的な「な」というよりは「…ってな具合に」と続くように名詞の前にきて連体修飾している色彩が強いので、本来の連体形の「な」の使用感覚に近いものがあります。
それはもとより「ような」「そうな」「みたいな」のような基本的言い回しについても見解を示していませんでしたが、同様のの使われ方の別口入力[に]の場合の接続例:「そうに」「ように」の場合も[に]の別口入力をともなっていくと定めているので「な」でも同じ類として別口入力を付随させる方針とします。
ただし既述になりますが「こんな」「どんな」「おかしな」「いろんな」「ろくな」等の一部の連体詞は[な]の別口入力はせずにひと続きのべた文字列としてタイピングしていくことは念押ししたいと思います。
連体詞と「な」の関係はとても微妙で「な」のつく連体詞も散見されているものの「ひょんな」や「異な」では[な]をあえて付随させたいものもありその定義がしっかり確立できてはおりませんがこれについてはまたの機会でいずれ議論していこうかと思いますのでここでの言及は避けたいと思います。
あと言及していない「な」の用法としては間投助詞の「な」(なー)があります。例えば「見たらな、歩いてな…」のように調子を整えるために句末に挿入される「な」です。こちらに関しては文解析上特に困難な点もないので入力においても適宜マーキングしていけばよいでしょう。
ここまで「な」についていろいろ論じてきましたが同じような頻出助詞の「ね」のほうは特に別口入力が用意されているわけでもなくべたで入力していくことになります。
「ね」に限らず日本語では終助詞の種類が役割語としてもキャラクター性の創作要素としてもいくらでも考えつくほど計り知れない面があるので終助詞の全てを別口入力していくというのはあまり現実的ではありません。ただ場合によっては構文解釈に支障をきたすような誤変換誘発語尾もありますのでこの辺はもっとデータを蓄積して対処していきたいところです。
最後にちょっと大きな難題が残っていまして対応を計りかねているのですが、それは古文・古典の言い回し全般に関するものの表現を一体どうしていこうかという問題です。
古典で使われる「な」には以下のような例があります。
・「花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに」(小倉百人一首 小野小町)では詠嘆の終助詞「な」が使われています。
・「君があたり見つつも居らむ生駒山 雲な隠しそ雨は降るとも」(伊勢物語 筒井筒・新古今和歌集)では陳述の副詞「な」が「そ」へ呼応する流れでやんわりとした禁止の意をもちます。
・「てしがな」「にしがな」「もがな」もこれ全体でひとつの単語(願望を表す終助詞)となります。
どれも重要な働きを持つ「な」の使われ方ですが、ペンタクラスタキーボードにおいて古典表現の細かなバリエーションに逐一対応していくというのはかなり難しいでしょう。
仮に「うつりなけり[な]」と入力してマーキングしたとしてもコンピューターは構文の意味構造を把握したうえで配置されたとは認識せずに、単に連体修飾や間投助詞であるかのように見当違いの解釈のままマーキングがおこなわれますが区切り目であることは認識しますので図らずも結果オーライでチャンク分解がおこなわれる結果となるかも知れません。
「雲[な]隠し(そ)」については特殊で今まででてこなかった呼応で結ぶ副詞だというのですからコンピュータにとっても思いもしない、認識しようもない用法でありますので対応するのは難しいでしょうが初回は煩わしいかと思いますが手直しして頂いてその後の学習や登録に委ねるしかないようです。
現代において編集自在の古文を創作的に駆使するというのはあまり考えにくいですし、引用・解説的に使われるのがほとんどでしょうから対処策としては単純に有名どころの言い回しの古文を個別的・機械的にデータをはじめから入れておけばなんとかなるかな、とも思います。
文法的意味合いを理解していないままではありますがなんとかその場しのぎに変換はできるのではないでしょうか。
…と、まあこのように消極的な姿勢で申し訳ないのですが、現代語においても方言や口語スラングに十全に対応しきれていない今の状況では古典表現にまできめ細かく対応していくのは難しいかと思います。
ですので頻出語だけ辞書語彙を厚くしていくということでここはお茶を濁したいかと思います。
「てしがな」「にしがな」「もがな」についても辞書対応ということで「言わずもがな」あたりの定番表現ももちろん入れておいた方がいいです。それほど気にすることの事ではないかもしれませんが、モダンガール(モ・ガ)という語があるので「-な」の適用に引っかかって「モガな」という語がひねくり出されないとも言えませんので「もがな」が辞書にあることに越したことはありません。一応、念のため。
というわけで「な」の別口入力適用範囲を拡大していったわけですが文法的・構文解釈に関わる影響もさることながら仮定形「[な]ら」の持て余し感や律儀に[な][の][だ]と別個に入力していくというちょっとしたクセのようなものであるとか、ユーザーの感覚に抵抗感のありそうな改定も含まれた内容となりました。
もちろん感覚が受け入れられずに「なら」「なのだ」をべたで入力していきたいというユーザーもおられるでしょうからべたの入力であっても特異な変換をせずに柔軟に解釈していく余地というのも残しておかなければいけないなと思います。
「な」の違和感については慣用的・習熟的に対処していくんだと地道に周知していけばきっと受け入れられるのだと信じて、別口入力自体のもつ元来の性質、賦性(ふせい)をより活かしていく運用ができることを目指していきたいと思います。