ときに「正規の日本語として正しいのか?」と評されることのある特異語「困った(御方です)」は連体詞らしいです。
この用法は
・「難問を抱えてて困った人」みたいに「--ている人」という言い換えも互換できるタイプでもありませんし、
・「保育園探しで困った人」みたいに過去を表す用法でもない、同じ連体修飾の中でも少し毛色の違ったタイプであります。(特殊な連体修飾)
連体詞と呼ぶにはそれなりの理由がありそうで、
似たような構造の語として「おめでたい人」というのがありまして、これは先程の前2者のような状態性質のものに典型的に当てはめることはできませんが
典型用法の「困った」に比べて「困れず・困るとき・困れば」のような活用展開も可能な含みのあるものにはなり得ない特殊な「困った」であるということ(つまり活用が限られているということ)が認められます。
それに加えて名詞を修飾限定していくうちに本義からはなれて特殊化された語彙に変化していくという歴史的・経時的な移ろいが見られるということであります。
「おめでたい」もめでたいという額面通りの意味からずれが生じて皮肉ったニュアンスに特殊化されていますし「困った」にしてももっぱらそういう扱いの人というように性質づけに変容が起こっています。
このように専業化していくということによって活用ラインナップ空間から切り離されていく再構成のプロセスを加味すると連体詞ととらえる事にもうなづけるものがあります。
ここで三枝令子(2011)「感情を表す動詞「困る」が示すテンス・アスペクト」の論文中に重要な記述がありましたので引用してみます。
(引用)--
動作動詞の場合には、「作る時」「作る人」「作った時」「作った人」と、ル形、タ形とも接続が可能だが、
「困る」では、「困る人」「困る時」とは言えず、その感情が発動された「困った」によってはじめて「とき」「人」を修飾できる。
また、「困った人」には二通りの意味がありえる。
(18) 就職に困った人が相談に来た。
(19) 彼は、人の気持ちが読めない困った人だ。
すなわち「人」が「困った」の主格である場合と、対象の場合である。
後者の「外の関係」の場合には、「困った」が形容詞的役割を担うので、「困った会社」「困ったお客」のように独立して使うことが可能である。
--(引用終わり)
…ここで重要な視点が出てきますね。「困る」という動詞のもつ個別的な語彙はおいておくとしまして、被修飾名詞に到達するまでの焦点のとるべき道・ルートがまったく異なるということ甚だしいという新鮮な驚きであります。これは分裂といっていいくらいの事態であります。
「内の関係」「外の関係」の説明は後述するとしまして、まず以下の例をご覧ください。
・トイレに行けないコマーシャル
・クレジット情報入力しそうな人でした
これらの文には2通りの解釈があります。
ひとつは荒唐無稽で、コマーシャル君という概念人格が尿意を催し、行きたくても行けずに煩悶するという解釈です。もちろんこんなのはありませんね。
腑に落ちる解釈の方はコマーシャルを見ている我々視聴者がお茶の間においてトイレに行くのを忘れてしまうくらいの見どころあるコマーシャルだというのがどうやら順当であります。
どうやら第三者視点が持ち込まれていることに差異があるのでしょうか?もう少し解きほぐしてみます。
「クレジット情報入力しそうな人でした」こちらは眼前の人が風貌や話しぶりなどからの推測で「なにかクレジット情報を扱う」まがいのことを日常的にやっていそうな感じだと言ったところでしょうか。
しかしピンポイントでこんなニッチな連想を想起する、人への形容というのはあまり自然ではありません。
おそらく、何らかのオペレーターや営業担当者が入力業務をしておりそこでのお客様振り返りの話題のときに職場ででてきたフレーズと解釈するほうが現実的です。
第三者視点というのをキーワードにしてみたものの…うーん、いろいろWebで関連をあたってみましたが上手い言い回しがない…例えていうなら第三者というより「場」とのリンケージに着眼点がありそうな予感がします。
昨日食べた大福、あした来そうな人みたいに素直な連体修飾では被修飾名詞をより詳しく規定してやろう、属性を付加してやろうとの力学がはたらいております。
属性は内在しておりここで付加された新たな属性情報はその個物の内部情報として獲得します。
翻って「トイレに行けないコマーシャル」はどうでしょうか?
なんでしたら「食えない視聴者」「筆の進まない週末」「いらない子」なんてのでもいいです。
これらは素材をあれこれデコレーションするのとは違う別の観点、話し手の発話時の感情が示されている…話者観点コンテクストの介入というのが重要なキーになっているものだと推測します。
とまあ自分流の解釈に拘泥し続けるのも見苦しいので本来の筋に戻ってこの論文中にでてきた「内の関係」「外の関係」についてさらっとおさらいしておこうかと思います。
寺村秀夫によれば、日本語の連体修飾節構造は、修飾語と被修飾節との間に格関係が成立する「内の関係」と、
そのような関係が成立しない「外の関係」とに分類される…としています。
次のAは「内の関係」の例であり、Bは「外の関係」の例である。
A. 秋刀魚を焼く男 (男-焼く:主述関係)
B. 秋刀魚を焼く匂い (匂い-焼く:「主語-述語」関係も「連用修飾語-述語」関係も見いだせない)
これらを主語を頭にもってきて格関係のある別の文に書き換えができるか試みてみます。
A. 男が秋刀魚を焼く
B. (その)匂い □ 秋刀魚を焼く
となりAはガ格で転換できますがBには適切な格助詞をあてはめることができず非文となってしまいます。
つまりBの文ではどんな格関係も成り立たないものであります。この違いを区別し名称が与えられています。それが
Aは「内の関係」の連体修飾成分
Bは「外の関係」の連体修飾成分
ということであります。
ちなみに、被修飾名詞=修飾される側の名詞のことを「底」(てい)と呼びます。
一概には言えませんが、「内の関係」のときと「外の関係」で使われるときの底の語彙的振る舞い・性質にはある種の傾向が認められており、
「内の関係」のときの底の名詞は具体性の高い名詞が(写真、カレー、プレゼント)、
「外の関係」のときの底の名詞は抽象性の高い名詞がくる(噂、匂い、傾向、記憶、残り)
…ですが文脈によっては想定どおりにいかない例もままありますので参考程度にとどめておいてくださいね。
さて「外の関係」というものにつきましては以前過去記事で触れた「文末名詞」や「人魚構文」と着眼点に通底するものがあると勝手に受け取っているのでありますが、
たとえば被修飾名詞へのかかり方などにしましても描写で規定していくのではなくて先行する修飾成分を内容として編集的に組み入れる、またその結果としての底への結節という文法的・統語的編入に落ち着くという体をなすところが英語の関係代名詞みたいでトリッキーで趣き深いと感じる由でもあります。
ただちょっと疑問なところなのではありますが
「気のきいた言い回し」などにみられるフレーズを内/外の関係判定テストにかけてみたとき、杓子定規に当てはめて格関係で文転換できるかやってみますと
⇔言い回しが気のきいている(*)
となりちょっと違和感があるのでこれは格関係成り立たずBの「外の関係」構文である、と判定してしまうのはいささか早計であるかと思っています。
これをちょっといじれば
⇔言い回しが気がきいている(○)
となりイディオム中の細かな助詞を微調整してやれば格関係成り立つのでAの「内の構文」と判定できなくもない事態ではないのか(もちろん本来はBの外の構文の胸算用ではありますが)
…という不都合が出てきてしまいます。
用言部分が1チャンクの動詞ではなく助詞の種々付随するイディオムフレーズのときには連体修飾のとらえかたも精緻化が求められているのではないか?という疑問です。
まあそこまで追求するのは他のタスクもありますし余裕があったら深掘りしてみたい課題とさせていただきます。やはり日本語文法は沼ですね~アセアセ
なお今回の記事は迷いましたが連体修飾は形容詞カテゴリーの規定語とも深く関連するという観点からカテゴリ:「形容詞研究」に分類しましたのであしからずご了承ください。
以上、「予約の取れない大工」じゃなかった「うだつのあがらないブロガー」ぴとてつがお送りした言語トピックでした。
SNSや発言小町これポチ、Yahoo!ニュースやGitHub・Slack・各種プラグインなどさまざまな媒体・プラットフォームなどで日々行き交う「リアクションボタン」についてにわかに注目が集まっているようですね。
ユーザーにとってはコメント文をこさえるよりずっと気楽ですし、一見さんユーザーの受け手にとっても即反応をもらえる貴重なコミュニケーション装置であります。
今は業界もまだ試行錯誤の段階でありますがいろいろなリアクションを限られたボタン配列の制限の中、どれを採用していくのかに提供者側のセンスとニーズが見え隠れしていてなかなか面白いものであります。
感情をベースにしてスートを分化派生させていくのもあれば実際のコミュニケーションにおける齟齬をなくすための方策であったり、集約把握の省力化のために活用している例もあるでしょう。
また、一部の人たちには抵抗もあるかもしれませんがネガティブ評価に関するフィードバックも避けては通れない問題であります。
何にせよ場を提供する担い手側がこうしたユーザーからのリアクションを推進力にして良質なコミュニティを生成循環させるために、ときにはフィルターとして、またあるときにはコンテンツ誘因力として補助線的に機能させるものであります。
このようにリアクションボタンは担い手側の恣意的な思惑を実現する導線づくりそのものだと言えるといってもいいでしょう。
まあ小難しい事は抜きにして、私がブログをやっていてこうしたらいいのに…という理想のリアクションボタンを考案してみましたのでまずは御供覧ください。。。
【リアクションボタンこんなのがあればいいのに】
(♥寄り添い)/(♠刮目)/(♦暮らし活性)/(♣列挙補完)の4種類のボタンです。…いかがでしょうか?
みなさんもよく経験されているかと思いますが、悲しい出来事や「いいね」と返すのが適切でない投稿に間違っていいねを押してしまって後悔したことはありませんか?
…こんな失敗を繰り返さないためにネガティブでもポジティブでどちらでも受け取りようのある【寄り添い】というキーワードを設定してみました。
まず一番左の配置というのは脊髄反射でつい押してしまいがちですのでこちらの失敗を避けるというのが最優先です。
ヒャッホーと喜ぶべきところに寄り添いなんて堅苦しいではないかという異論もあるかと思いますがこれは慣れです。字面というよりも配置の条件反射が積み重なって学習がなされれば視覚的経験として定着していくものだろうと楽観視しております。
適用される場面としては、ほっこり・あるある・共感・祝福・やってるね・応援・哀憐・試練・お悔やみ・お気の毒…などがあると思います。
次に配置するボタンは【刮目】であります。こちらもネガティブ・ポジティブ両方に使えます。
当てはまりそうな展開としては、議論・視点・読み解き・構成・采配・決断・主張・接触・問題提起・考えさせられた・再評価/回帰・アイデア・発見・とんち・非対称な事実・良くも悪くも目立つ・逆張り・続きが見たい・経過観察・要注意…などがそれにあたるでしょう。
もともと刮目には「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」の格言のように[目をこすってよく見ること。注意してよく見ること。変化等に注目すること]というニュアンスをもっており、
「刮目」とはなかなかに緊張感のある強い言葉ですが日常使いとしてカジュアルにやわらげながら使っていきたいとの目論みもあります。
そして3番目は【暮らし活性】です。これは日常でも非日常でも構いません。共通しているのは経済活動(ささやかでも)を主眼に置いているところであります。
その他、足を運ぶ、時間をかける/割く、贈り物をする/もらう、通院入院保険健康づくりなどの金銭以外の労力、資源、配慮などを行使するものも仲間に入れるものであります。季節もの、軽めの時事問題もアリとします。
嫁姑問題・遺産相続・労使関係・投資副業メルカリヤフオクポイ活なども適用範囲をこの際見境なくぶち込んでしまいましょう。弔事不如意事なども決して排除するものではありません。体験談というものは貴重です。
【寄り添い】のときは気持ちに軸足を置いていましたが、こちらは内容のディティールに価値があると判断したときに評価したいリアクションであります。
サブスク観賞や読書レビューなどのように【刮目】論点のありそうなテーマもあるのですが、ライフスタイルとして楽しみを共有したいのであれば【暮らし活性】を選択するのも適切であるかもしれません。このへんは臨機応変にということで…。
反映シチュエーションとしましては、買いたい・真似たい・調べたい・リマインダ・地域・お茶の間・所属職場・季節感・天候・収穫栽培飼育狩猟釣果・ペット・ハウスキーピング・食・リサイクル・リユース・旬の話題・おトク・教訓・リーガル事・ハウツー・段取り・ホームセンター…などがあるでしょう。
最後、4番目のボタンは数合わせというのでなく今後のWebシーンに欠かせない新機軸の視点、【列挙補完】であります。
現代社会は列挙の時代であります。ネット上には「売れ筋商品○○選」「趣味垢創作垢プロフィール欄:ジャンル/作品名列挙」「(列挙何点か挙げ)『当てはまる人は○○』論法」「マーケティングやプロモーション手法:列挙したものの中から自然と選びたくなる心理」
…など列挙に関する情報が溢れかえっています。
ただ残念なことにGoogleなどの検索では単に列挙しただけのコンテンツはスパムとみなされてなかなか検索上位には上がってきません。
しかし私などのようにせっかちなユーザーは書き手の思い入れであるとかエピソードはいらないから単に情報としての列挙ユニットが知りたいというニーズもあるのではないでしょうか。
もちろん日常雑多雑談記事に列挙成分が混ぜ込んである場合は是や善しであります。先日の拙記事のように「マリトッツォ、姜葱醤、産直にんじんのおいしいジュース」のようにジャンル・フレームを取り払って列挙の名のもとに斬新な取り合わせを出現させるのも列挙の新しい使い方であると思います。
こういった検索でなかなか拾いきれない有用な列挙、または補完になったという情報価値を見逃さずに留めおき、アクセス容易にさせるための仕掛けがこの【列挙補完】というわけです。いろいろ使いどころの楽しみなリアクションであるかと思いますしスキマ需要は高いのではないかと見積もっておるところです。
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さて、ここからは余談ではありますが、「こんなRPGがあればいいな~」「戦闘はこうで…」「世界観はこうで…」「ワールドマップはこうで」といった妄想想像の産物、私が昔たわむれに書き記した「黒歴史ノート」においてちょいと関連しそうな記述があったのでこっぱずかしながら皆様に披露し、リアクションボタンとの関連について深掘りしていこうかと思います。
仮に「チーズおかか戦記」とでも名付けておきますがそこに出てくるファンタジー種族(ヒト型の者に限る)の分類として以下のタイプを立てました。
・ミノワ族
・ヤシャ族
・ミズホ族
・ハクラク族
なにやらカタカナでは書かれていますがこれは完全に日本オリエンテッドな命名で、厨二病よろしくわざと外来語っぽく表記しています。(中二病といっていますが結構いい歳になってから思いついています笑)
この表記のもとになった日本語項目の意味を久しぶりに再確認しておき、最初は順番も性質もまちまちでありましたが今回のリアクションボタンのボタン特性になぞらえられるように無理やり当てはめてみたところ意外となんとかなりそうでしたので今回採用した次第であります。
漢字表記での項目詳解と意味について↓にあらためてコピペしておきます。
1箕輪(黒歴史ノートでは箕童とされていた)
→中世に豪族の屋敷を中心とし、周囲に農民が居住して形成された集落。とあります。
そこから「共同体」というイメージを連想しました。
2夜叉
→古代インド神話に登場し、顔かたちが恐ろしく性質も猛悪なインドの鬼神を夜叉といいます。とあります。
釈迦の説法によって帰依してのちに仏教に取り入れられ護法善神となったといいます。荒ぶる神のイメージです。
3瑞穂
→瑞穂は、「みずみずしい稲の穂」を表す言葉であり、「みずほの国」は、実り豊かな国を意味する日本国の美称として用いられています。とあります。
農業に関するいとなみは生活そのものであります。豊かさのほかに暦やライフサイクルなどのイメージも農事と適合します。
4伯楽
→馬のよしあしをよく見分ける人。また、農家を巡回して牛馬を治療する人。転じて、人物を見抜く眼力のある人。とあります。
現代の目利きですね。すぐれた資質を持った人を見抜く力のある人物を「名伯楽」と呼んだりします。
つまりこういうことです。先のリアクションボタンに対応させてみると
(♥寄り添い) → ミノワ族
(♠刮目) → ヤシャ族
(♦暮らし活性) → ミズホ族
(♣列挙補完) → ハクラク族
…うまくまとまりました。
何が言いたいかというとバラつきのあるのをうまく取りまとめるためには、抽象化が必然となってくるということであります。
ただ都合よく包括できるようなそんなファジーな境界領域の単語というものはなかなか見つかりにくいのだということにぶつかってしまいます。
そこで編み出した苦肉の策が、シチュエーション領域の人格化であります。ええと、これはもちろんリアクションボタンの話しでありますよ。
額面通りにリアクションが擬人化キャラクターとなってあれこれ反応するというのではなくて、むしろこの記事に着目しているのはこの種族ですよー、というふうに種族というものをテコにして道具立てしていこうという効果を狙ったものであります。
キャラクターや種族であれば適用の整合性に悩まされることもぐっと減ります。だってそれはそういう人なのだから、で説明がつくからであります。
最近ではLINEスタンプやいらすとや素材、あるあるピクトグラムみたいに、「タイピカルな事をプロトタイプ類型化して一枚絵にまとめる」なんていうような抽象集約活動が台頭してきています。
抽象化の動きは視覚的(画像)やテキストに拘わらず、そしてまたキャラクターのビジュアルやシチュエーション・関係性の記号化も表面上は具象を身に纏っているかのように見えますがそこにははっきりと過去の積み上げからの類型化が潜んでおります。
抽象化能力は子供には理解するのが難しいと言われておりますが時代は令和、小学生からのプログラミング教育必修化などがすでに始まっておりむしろ抽象化思考がこの情報活用化時代に求められている必須能力なのだと言っても過言ではないでしょう。
その延長上としてわれわれが求める、求めないにかかわらず様々な抽象化の営みの円熟期にはこういったキャラクターを使った「人格に依る統合化での理解」が進んでいくものだと思われます。
ですのでせっかく作った(♥寄り添い)/(♠刮目)/(♦暮らし活性)/(♣列挙補完)の4タイプのお題目もただの通過点に過ぎずいずれはなんだかよくわからないキャラクターに置き換わってしまう日が来るのかもしれませんね。
でもそれでもいいんです。おかげで私の黒歴史ノートの一部もこうして日の目を見ることにもなりましたし。
徒花上等!リアクション高騰!
さてこの記事につく新しいリアクションボタンの反応具合はどうなるのでしょうか?
寄り添い?刮目!
できれば近い未来にあなたのくらしに届いていればいいなー、などと思う今日この頃であります。