最近ニュースを読んでいたら以下のタイトルが飛び込んできました↓
ソフトバンク移籍の又吉、まさかの在来線で球場入り … 有名な、「まさかの」文ですね。
でもこれはいいんです。「まさかの」は連体詞、あるいは格助詞「の」を伴い連体修飾語になるもの、なので特に違和感はありません。
要は"体言"で締める修飾用法の枠内に収まっているのですからこの場合「まさかの在来線」というフォーカスは体言である在来線にかかっているわけであります。
でも次の例ではどうでしょう?
・まさかの義勇さん自引きできた
・まさかのプーさんとテディベア隣同士でした
…ちょっと違和感ありませんか?
まさかののかかるターゲットというものが、「義勇さん自引き」というイディオムのひとかたまりにかかっていて、どことなく「まさかの義勇さん(連体接続)」ではなく「まさかの自引き(連用接続)」のほうに重きを置いているように感じませんか?
「プーさんとテディベア」の並列体言というのはどうでしょう、この場合も「隣同士」という位相の強調という側面が強くて、並列2要素は単に叙述の素材としてのプレゼンスしか持たない構造のように感じられます。
そして以下の例を見ますと完全に連用修飾=副詞と同等のはたらきをしているかのように見受けられもはや連体修飾の片鱗は失われているように思えます。
・仕事がまさかの終わらなくて(否定)
・まさかの録画できてなくて(未遂)
・手塚治虫先生まさかのピアノも弾けるんですね(可能)
・まさかの振り付け覚えて下さりありがたいです(尊敬)
・浮気現場に居合わせたギャルはまさかの昼間配達に来ていたらしくて(タイミング一致/伝聞)
・まさかの息子が知り合いの業者さんに頼んで設置完了(委任)
…見てみてください、この結果。
ほかにもいろいろありそうですが全体的に否定未遂可能尊敬等々、ニュアンスづけのきいた叙述で結んだ方が文の収まりがよく頻用される傾向があるかと思います。
もちろん「まさかの順当」「まさかの平然」みたいに無理やり意外性を排除した動詞を使ってこじつけることもできなくはないのですが、ニュアンスづけのない、一物仕立ての動詞をつかってあらわそうとするときには
「まさかの移籍」「まさかのご指名」みたいに大抵は意外性を想起させやすい動詞とセットになることが多いです。
また、連体修飾は体言を修飾するものという固定観念のようなものがありますが、
「まさかの嫉妬」「まさかの迂闊」「まさかの才能開花」「まさかの未勝利」
のように動作性の名詞などは名目こそ体言の扱いでありますが機能素性はむしろ叙述を担っており、漢語の悪癖として品詞境界の輪郭をぼやかしたままワンパッケージで配置されると名詞然とした存在感をもってしまう(カセット効果とは別の話)
そういう、「漢語のご都合主義(日本的受容のされ方において)」みたいなものがやがて一般のイディオムにも何か「許容感」みたいなものを生み出す素地となって、巡り巡って破格の用法を獲得した背景になっているのではないでしょうか。
あとは「鍋の写真上手く撮れる人は金持ち説」「国連のほうから来ました詐欺」みたいに、単に接尾語が単純語に接続する用法をさらに拡張して句や文にかかるスタイル(文の包摂)とちょうど逆のパターン、
接頭辞+句や節 みたいにダイナミックに拡張された用法(この場合は正確には接頭辞ではなく予告詞みたいなものですが)ととらえることも面白そうです。(文の導入辞)
さらには間投詞であるとか談話標識であるとか「あのー」「うわっ」みたいな発声的なものから少し拡張して、意外性フレーズの導入標識として挿入的に挟む、ちょっとした含意性の具体語彙輪郭を持つ談話機能とでも言った方が良いものという見方もあるかもしれません。
いずれにしましてもtwitterで近年のツイートを掘ってみたところすでに6-7年くらい前からちらほら指摘されているようで、こういった事例(まさかの)はまだアカデミック的に分析してある論文というのをまだ知りませんので今後の動向に注目していきたいかと思います。
以上、まさかのオンパレードすぎるミニ考察&事例収集でした。
造語成分として「そのことを行う人、またはもの」をあらわすパーツである「子(し)」。
この時期になると投書俳句などで「受験子」という季語が出てくることも恒例となっておりますね。
また、「拡張子」という語に初めて出会ったときも何でこんなよくわからない言い回しを使うのか首をかしげたものであります。
(昔のコンピューター環境では一文字たりとも貴重な容量であったのでファイル名も識別するのにわざわざ"3文字も"つけ足して識別特定性を付与して拡張したんだぞ…というニュアンスらしいです:filename extensionの翻訳語です)
そんな得体が知れない使われ方の多い「子」でありますが大きく分けて人物の用と無生物の用に分けられるかと思います。
にわか分析で恐縮なのですが、今回は2系統の「子」のつく語の分類とおまけとして勝手造語も少しつけ足して列挙してみました。収集事例もそこそこあります。
なお今回は孔子や墨子などの尊称であったり
帽子や椅子などの語気詞(漢語単音だと収まりが悪いため調子を整えるために付加される辞)などの周辺例は趣旨とは少し外れるため割愛させていただきます。
拙い俗見ではありますが検索でたどり着いた方には来訪ついでにでも、宜しければ是非ご覧になって下さい。
【機能・とりもちに関するもの】
・機構背景とその実効[要素/因子]的なカテゴリ:演算子・拡張子・識別子・中間子・配偶子・遺伝子・電気双極子
・部品/器具/素子的なカテゴリ:水晶振動子・セラミック発信子・方解石偏光子
【人物・展示観賞物に関するもの】
・行為者のカテゴリ:投書子・読書子・受験子・寒泳子・帰省子・開設子・批評子
・範疇人の片鱗化/矮小化/謙譲ニュアンスを含む:編集子
・「こ」と読むのか「し」と読むのか定かでないカテゴリ:女装子・自メイク子・コーディネート子・スパチャ子
【あったらいいな・こんな造語】
啓蒙子?・俎上子?・試食販売子?・ブース子?・懸念子?・呼応子?・寄稿子?・対応子?・誘引子?・オーダー子?・見聞子?・自動運転子?・しりとり子?
以上がざっと挙げてみた事例であります。
造語に関して言えば、人物用例の語はわりとすんなり列挙できたのですが、抽象概念のほうの(無生物)例はなかなか浮かびにくく、稀少性が高いのかな…との観を持つに至る結果となりました。
ひょっとしたら概念的な構築体系において「--子」を媒介とする術語の着想ができたとするなら、なかなか面白いカラクリが出来上がるのではないか、新分野のヒントになる可能性を感じますのでこのあたりを掘っていけば良いのかもしれませんね。
結局、「子」の意味するところの総体的なイメージというものが自分の中でまだ完全につかみきれていないのもあるのかもというのが一因かな?(特に非生物のほう)
例えば「検索子」って言ったときのニュアンスと「検索ワード」って言ったときのニュアンスの違いというものがうまく説明できないというのもそれですね。
「子」を使うときには何かメカニズム的な営みが背景にあって、その媒介物というカタチをとってポインタ的につまみあげたいときに使うものであって、あくまで背景事情を暗に匂わせているところに軸足が置かれているような気がします。
…と、まあ、すべての理解は現在進行形ですのでこうしてフェイズフェイズでわかっている部分だけでも順次カタチにしていくスタイルで
ちょっと稚拙なところもありますが小考察を今後も懲りずに綴っていこうかと思います。
今回の記事は造語成分、ほぼ同義の接辞との関連が深そうでありますので「接頭語・接尾語の変換」にしておきます。
御精読、ありがとうございました。