パエ-リャ

木製カトラリ-

ボホ-ル紀行 (28)

2016-07-03 05:46:59 | Weblog

 道は、無風、無音、無人、灼熱のまま白く輝きながら、

    ゆったりと続いている。

思えば、今まで、様々な場所に身を置いてきた。シルクロ-ドも実際に足で踏みしめてみて、降りしきる小雪の中を土漠の向こうに黙々と消えていく隊商の姿や、パルティアの軍勢が、武器を煌めかせながら灼熱の大地を西に行軍する様子も見てきた。それはそれで、感動で心を揺さぶられる光景だった。

でも、フィリピンのそこでは、その場にいるだけで、嬉しくて、懐かしくて、泣きたくなるような何かを感じていたと思う。通常の平衡状態からの逸脱とは大幅に異なる何か、それは恐らく、単なる傍観者ではない、周りが極めて近くにあるための、周りとの圧倒的な一体感だったのでないだろうか。

土漠で目撃したものは、雪の残るかぼちゃ畑の眼下、1kmも2kmも先にあって、所詮、自分は傍観者でしかなかったけれど、ここでは進んでも進んでも目の前に見えて、手の届く範囲はすべて無人の白い世界だったからだ。ずっとそのままでいたいと思わせる何かが、そこにはあった。冷静に考えれば、唯の無人の山道でしかないのに、今画像を見ても、少しだけ心の平衡状態が崩れてしまう何かがあったのだと思う。

この道は、かなりの高低差のある坂道が多く、急ブレ-キをかけるとスリップや転倒の恐れがあるので、下り坂は極めて慎重に恐る恐る進むため、幸せな時間はかなり長かったけれども、少しずつ様相が変わり始めたのは気が付いていた。

道端にタキギの束が無造作に置いてあるのも不思議だった。

              誰 が、何の目的でそこにかなり大きな束を置いたのか。見回しても人家はなかったからだ。更に不思議だったのは、道端に搬出を控えた南洋材などもみられる事で、

     この南洋材は自分が時々購入するものと全く同じなのは一目でわかった。

製材されてはいるがプレ-ンがけされてはいない、日本では大きな小売店で立てかけたまま売られている状態のものが、道路際にそのまま放置されている。深く考えなければ不思議ではない。でも、10cmほどの厚みの板材が、周りに製材所があるわけでもないのに、何故積み上げてあるのだろうか。他から運び込まれた訳ではないことは直ぐにわかる。すぐ近くに切り倒した痕跡があるからだ。 この画像がその現場だ。

この画像のような直径を持つ原木は普通は直径が1mもあるような大型の丸鋸で加工することは、義理の父親の工場での経験で知っている。 とんでもない、どでかいドイツ製の機械がうなりをあげながら板に挽いていくのだから。とても通常のチェ-ンソ-で製材できるとは思えない。

バス停らしき小屋もあったし、 その直近の枝道も理解できる。 見える範囲に人家がないことを除けば。でも鄙には稀なとしか形容の仕方がないほどの豪華な一軒家が現れた時にはとても驚いた。

      人がいたからだ。然も、庭木の手入れまでしていて、それらはすべて村の中心部が近いことを明示していた。

マラッカ海峡を見たくて、車をチャ-タ-して半島マレ-シアの田舎を延々と走ったことがある。その時の途中での最大の印象は、庭木を植えて面倒を見るようなことは、熱帯地方ではやらないんだ、ということだったが、フィリピンでは比較的普通に見かけたので、こんな山の中でも変ではなかったが、それでも違和感はあった。

更に先に進むと、もしかしたら首狩り族が住んでいるのかもしれないという僅かな危惧も明確に否定する、とても大きな、そしておそらくこの案内表示の規模から推察して、極めて重要な、分岐点の道案内表示の出現により解消したし、

     その更に先に望見できたロボック川の上流部分は、私のセンドロルミノ-ソの終わりを告げるものだった。

今にして思えば、そこで引き返しても良かったのかも知れない。失楽園の最後の場面のように。。。