パエ-リャ

木製カトラリ-

ボホ-ル紀行 (31)

2016-07-06 12:59:13 | Weblog

セビリヤ探索の後、ロボックのホテルに戻り、預けてあったバックパックを回収してタグビラランに戻った。


実はその日の朝、カ-ドでチェックアウトしようとした際にインタ-ネットが繋がらないためカ-ド決済ができないと言われて、泣く泣くバイクで橋の近くの両替屋に走り、3万円ほどの決済をすることができたが、ボホ-ル島の滞在中のすべての期間インタ-ネットが使えない状態は続いていた。


ホテルには光ファイバ-によるインタ-ネットへの有線接続はなく、受付のパソコンが何らかの方法でSIM的にインタ-ネットへ無線接続していて、その信号を更に各部屋にWIFIで分配接続していると推測された。一種の大がかりなテザリングと同じことだ。


と言うのはホテルのテザリングに頼らず、自分のスマホで直接テザリングを試みても、近くの基地局からの電波が正常に届かないために極めて不安定で、瞬間的につながってもすぐ切れてしまう事で明らかだった。

つまり、この滞在期間中、ボホ-ルの、場所にもよるだろうが、スマホでの信号直接受信そのものも不安定だったことになるので、チョコレ-トヒルの後の時間帯にGPSの信号が非常に不安定だったことの説明にもなっていた。


受付の女の子にタグビラランで泊まる予定のホテルの話をしたら場所を知っていたので、簡単な地図を描いてもらってロアイの分岐点から海岸沿いの道を市内に向かって走った。前日も走ったコ-スなので、ある程度の目途はついていたが、大きな教会だけが目印で、結局何人かの人に確認して到着することが出来たのはとてもうれしかった。


この日はその後すぐにフェリ-ターミナルの付け根にあるレンタルバイク屋にバイクの返却に向かったが、地図で判断した市内の繁華街の最適な交差点を恐怖のため左折できなくて、交通量が少なくなる交差点まで直進する他はなかった。そのため、覚悟を決めて他のバイクや車のように、めちゃくちゃな運転でがむしゃらに進んだ。そうしないと、逆に危険だったからだ。

ホテルに向かう時にはそれ程の恐怖を感じなかった。

                        

地図にあるように、教会方面へは一方通行がある十字路を左折しないと行けないが、その時には反対方向からくる車とは交差しなくて済むので、信号がなくても何とか右方向から来る流れに乗って左折することは可能だった。青色の線に沿って進めば良いだけだった。

ところが、バイクを返すフェリ-タ-ミナルに行くには、その一つ先の交差点を左折するのが一番

最短距離で、望ましかった。  でも、そこは信号のない普通の十字路で、すべての方向に一斉にバイクや車が動くので、とても怖くて左折は出来なかった。バイクの場合は首を頻繁に左右に振れば、周りの状況は掴めるが、それでも怖かった。

車を運転していたら、単純に不可能だったろう。視界が限られているからだ。なので、右側通行の国では、特に発展途上国では車での左折はよほどのことがない限り、しないのが無難だと思う。多少時間の無駄でも、交通量の少ない場所まで直進してから左折する必要がある。

思えば、インドネシアのタラカンの町にも信号はなかった。十字路もさることながら、通常の対面交通を任意の場所で横切る度胸と技術は信じがたかった。日本であれば確実に衝突するタイミングで、何故か奇跡的にお互いが理解しあえる状況が瞬間的に作り出されてしまうからだ。

曲がりたい場所が、モーゼにより海が裂けるかのように開いて通れるようになるのだから。奇跡としか言いようのない、感動的な場面ですらあった。