帰途に着く。
新幹線の自由席は通路まで人がいっぱい。連休を楽しんだ人たちなんだろう。
今朝は早起きしたつもりだったけど、チェックアウトしたら、同じ階の客室はみんなもうベッドメイキングが始まっていた。まだ8:40ぐらいだったけど、同階の人たち(7~8室はあったな)は動きが早い!
雨はあがり、晴れ間が見えてきていた。昨日のこともふまえ、朝早くならコインロッカーも大丈夫だろう!と衣笠校前から205系統のバスに乗る。京都駅まで30分ほど。西大路通りをひた走る。朝からバスは混んでいた、というか、バスは全線、常に混んでいたような気が。
コインロッカーに無事、荷物を預けられた。行きたいところはたくさんあっても時間があまりないこともあり、龍安寺、仁和寺、妙心寺にのみ行こうと決めた。
嵯峨野線に乗って円町まで。嵯峨野線は、嵐山へ行く人でものすごく混み合っていた。
円町から西ノ京円町のバス停に徒歩で移動して、59系統のバスに乗る。妙心寺前で下車したら、京都学園中学・高校の学生さんと思しき子どもたちが、寺の中の道を通学路として使用している様子が見えた。いい環境で育ってるよね。
妙心寺はあまりに広いので、少しだけ見て、早々と龍安寺へ。3つのお寺の中で、一番行きたかったのがここ。『吾唯足知(われ、ただ足るを知る)』の銭形つくばいがあったり、15個の岩がどこからみても全部見えない石庭でも有名な禅寺だから、海外からの旅行者がたくさんいらっしゃっていた。
観光地の中では、比較的人は少ない方だろう。というのは、この北西部は東側などに比べると交通の便があまり良くないから。電車からのバスに、徒歩。
きぬかけの路を歩く。普通に生活道路だけど、名前が素敵だなあと思っていたら、2000年代になって公募で決定した名称らしい。思わず行ってみたくなるいい名前だと思う。現に私がそうだ。
御室仁和寺へ。中学のときに国語の古典作品で習った『仁和寺にある法師』を思い出した。(内容うろ覚え。。) ここが思いの他、美しかった!
うん、来て良かった。人もあんまり多くなかったし、何より広くて自然が美しくて、お庭が見える場所にしばらく座り、じっと風景をみていた。日本のお寺や庭園は、ゴテゴテしてなくて、とても落ち着くからいい。
仁和寺でおみくじをひいたら、大吉だったんだけどずいぶん辛口というかきっぱり口調のおみくじで思わず吹き出してしまった。
『待人』のところなんか「来ない、待つな」・・・もう包み隠さずハッキリと(-_-;)。これにはウケた。
そこに祀ってある方のキャラなのか。
ちなみに『しっかり心を込めて働いてると、願い事は全て叶う』と、ドラえもんどんじゃらのオールマイティのこまみたいなことが書いてあった。よし!・・・仕事がんばろう。てか私の願い事ってなんだろう、と歩きながら考えた。
『自由な時間が増えること。』
これ以上の望みはないかもなあ。かといって、じゃあ明日から仕事しなくていいよ~って突然なっても困るしなあ。人に接する仕事、性に合ってるし。
願い事、どう叶うのか、叶い方が問題だ。。。とかしょうもないことを考えながら、26系統 京都駅行きのバスを待った。
やっぱり、バスは混み合ってたけど、運転手さんがにこやかでのんびりした人で和んだ。下車する人へそれぞれ細やかな心配りがあった。足元お気をつけください、突然、自転車が横から来ることがあるから注意してください、など。神奈川ではこんな言葉がけ、聞いたことないもの。
心をこめて仕事するって、こういうことかぁ。。
京都駅に戻って13時過ぎ。まだ早いけど、かといってこれから新たにどこかに行くとなると、帰りが遅くなる。
職場で最近お世話になった先生にお土産を買いに行く。よーじやのものが良かったけど、好みもあるのでお菓子に。いろんな和菓子をバラで売ってくれるお店も京都駅にできていて、箱やカゴに詰めてくれる。オーダーメイドの詰め合わせができるのだ。自分でも欲しい!と思った和菓子をいくつか購入。このシステム、とってもいい。
駅ビルじゃなくて、道沿いでお茶したいなと思って、バスに乗ってるときに見えた、七条烏丸あたりのコーヒー専門店へ。人の行き交う姿をぼんやりみていたかった。
人間はより自由に常になりたくて、何かと戦ってきた歴史がある。
私のような個人の、ごくごく些細な人生の中でも、昨日よりももっと自由になりたくて、と、わけわからずに常にモガモガしている。
願いを叶えてくれるなら、私を自由にして欲しいけど、その『自由』を自分でも具体的にどういう状態のことなのか、定義できないところがもどかしい。
ただ、今まで興味のなかったこと、知らなかったことに関心を向けて、自分の世界を広げて行くことは、『自由』ということとどこかで繋がっているように思える。・・・要は問題は自分にあるのか。
『自由』はほっんと、難しい。
ところで、新幹線は指定席が取れなくて立ってたけど、ブログを書いてたら名古屋に着いていた。名古屋で少し空いて座れた。考えごとしてると、時間は風のごとく、飛んでいる。
そういえば京都駅でこういうものをみた。今回みたものの中で、これが最も『ある意味、京都らしい』と思った。
京都、だよね。
明日からまた仕事、がんばりますか!
新幹線の自由席は通路まで人がいっぱい。連休を楽しんだ人たちなんだろう。
今朝は早起きしたつもりだったけど、チェックアウトしたら、同じ階の客室はみんなもうベッドメイキングが始まっていた。まだ8:40ぐらいだったけど、同階の人たち(7~8室はあったな)は動きが早い!
雨はあがり、晴れ間が見えてきていた。昨日のこともふまえ、朝早くならコインロッカーも大丈夫だろう!と衣笠校前から205系統のバスに乗る。京都駅まで30分ほど。西大路通りをひた走る。朝からバスは混んでいた、というか、バスは全線、常に混んでいたような気が。
コインロッカーに無事、荷物を預けられた。行きたいところはたくさんあっても時間があまりないこともあり、龍安寺、仁和寺、妙心寺にのみ行こうと決めた。
嵯峨野線に乗って円町まで。嵯峨野線は、嵐山へ行く人でものすごく混み合っていた。
円町から西ノ京円町のバス停に徒歩で移動して、59系統のバスに乗る。妙心寺前で下車したら、京都学園中学・高校の学生さんと思しき子どもたちが、寺の中の道を通学路として使用している様子が見えた。いい環境で育ってるよね。
妙心寺はあまりに広いので、少しだけ見て、早々と龍安寺へ。3つのお寺の中で、一番行きたかったのがここ。『吾唯足知(われ、ただ足るを知る)』の銭形つくばいがあったり、15個の岩がどこからみても全部見えない石庭でも有名な禅寺だから、海外からの旅行者がたくさんいらっしゃっていた。
観光地の中では、比較的人は少ない方だろう。というのは、この北西部は東側などに比べると交通の便があまり良くないから。電車からのバスに、徒歩。
きぬかけの路を歩く。普通に生活道路だけど、名前が素敵だなあと思っていたら、2000年代になって公募で決定した名称らしい。思わず行ってみたくなるいい名前だと思う。現に私がそうだ。
御室仁和寺へ。中学のときに国語の古典作品で習った『仁和寺にある法師』を思い出した。(内容うろ覚え。。) ここが思いの他、美しかった!
うん、来て良かった。人もあんまり多くなかったし、何より広くて自然が美しくて、お庭が見える場所にしばらく座り、じっと風景をみていた。日本のお寺や庭園は、ゴテゴテしてなくて、とても落ち着くからいい。
仁和寺でおみくじをひいたら、大吉だったんだけどずいぶん辛口というかきっぱり口調のおみくじで思わず吹き出してしまった。
『待人』のところなんか「来ない、待つな」・・・もう包み隠さずハッキリと(-_-;)。これにはウケた。
そこに祀ってある方のキャラなのか。
ちなみに『しっかり心を込めて働いてると、願い事は全て叶う』と、ドラえもんどんじゃらのオールマイティのこまみたいなことが書いてあった。よし!・・・仕事がんばろう。てか私の願い事ってなんだろう、と歩きながら考えた。
『自由な時間が増えること。』
これ以上の望みはないかもなあ。かといって、じゃあ明日から仕事しなくていいよ~って突然なっても困るしなあ。人に接する仕事、性に合ってるし。
願い事、どう叶うのか、叶い方が問題だ。。。とかしょうもないことを考えながら、26系統 京都駅行きのバスを待った。
やっぱり、バスは混み合ってたけど、運転手さんがにこやかでのんびりした人で和んだ。下車する人へそれぞれ細やかな心配りがあった。足元お気をつけください、突然、自転車が横から来ることがあるから注意してください、など。神奈川ではこんな言葉がけ、聞いたことないもの。
心をこめて仕事するって、こういうことかぁ。。
京都駅に戻って13時過ぎ。まだ早いけど、かといってこれから新たにどこかに行くとなると、帰りが遅くなる。
職場で最近お世話になった先生にお土産を買いに行く。よーじやのものが良かったけど、好みもあるのでお菓子に。いろんな和菓子をバラで売ってくれるお店も京都駅にできていて、箱やカゴに詰めてくれる。オーダーメイドの詰め合わせができるのだ。自分でも欲しい!と思った和菓子をいくつか購入。このシステム、とってもいい。
駅ビルじゃなくて、道沿いでお茶したいなと思って、バスに乗ってるときに見えた、七条烏丸あたりのコーヒー専門店へ。人の行き交う姿をぼんやりみていたかった。
人間はより自由に常になりたくて、何かと戦ってきた歴史がある。
私のような個人の、ごくごく些細な人生の中でも、昨日よりももっと自由になりたくて、と、わけわからずに常にモガモガしている。
願いを叶えてくれるなら、私を自由にして欲しいけど、その『自由』を自分でも具体的にどういう状態のことなのか、定義できないところがもどかしい。
ただ、今まで興味のなかったこと、知らなかったことに関心を向けて、自分の世界を広げて行くことは、『自由』ということとどこかで繋がっているように思える。・・・要は問題は自分にあるのか。
『自由』はほっんと、難しい。
ところで、新幹線は指定席が取れなくて立ってたけど、ブログを書いてたら名古屋に着いていた。名古屋で少し空いて座れた。考えごとしてると、時間は風のごとく、飛んでいる。
そういえば京都駅でこういうものをみた。今回みたものの中で、これが最も『ある意味、京都らしい』と思った。
京都、だよね。
明日からまた仕事、がんばりますか!