うちにはテレビがない。
いつからないかははっきりと覚えてないけど、東日本大震災の頃は確かあった。
震災後、しばらくCMがずっとACばかりで、「ぽぽぽぽーん」が不気味だった記憶はある。
実家に帰ると常にテレビはついている。誰も見てなくてもついている。
もはや生活音の一部なんだと思う。
なんていうか、テレビから人の気配がするから安心するんだとも思う。
テレビがない暮らしってどんなの?
とよく聞かれるけど、なければないで全然なんてことない。
映像を見たければYouTubeがある。なんならオーディブルも月額会員だ。
人の気配が欲しいなと思うときは、見てなくてもラジオのようにYouTubeを流す。
そのときは大体いつも料理動画か、船・電車での旅の動画を流している。
ちなみに今、これを書きながら料理をしている人のライブ配信を聴いているけど、好きな本の話をしていて、私も割と好きな作家さん(吉本ばなな、重松清、小川洋子、伊藤計劃とか)の名前がガシガシ出てくるので驚いている。
やっぱり似たものが寄るんだなと思いつつ。
自分の生活を丁寧にしていたり、自由な風通しの良い心で旅していたりする人は大体皆いい空気を発している。こういう番組を提供してくれている人たちは、動画を通して自分の好きなことを大事にして生きている姿で私に幸せな気持ちを与えてくれていて、更に人類に対してめちゃくちゃいいことをしているなと思う。
昨日、とても不思議な夢を見た。
夢というのは、見る時と見ない時の波が結構激しくある。
今は見る時期に入っているようだけど、明らかに普段の生活の情報を脳が一生懸命処理しているんだな、という夢が多い中、昨日の夢はなんだか異質だった。
ものすごく人類に対して貢献する仕事(環境保全とか)の仕事をしている人のプレゼンを聴いて、この会社の社員になるべきかなと私は思って悩んでいる。
ここに入らないと、なんだか自分は生きている価値がないんじゃないか、とも思っている。
すると、どこから金色の懐中時計が飛んできて、私の手に巻きつき、引っ張るように飛んでいく(?!)のだ。私は金色の懐中時計に引っ張られていくのだけど、夜、もう今はなくなってしまった道(実家の近くにあった)を通っていることに気がつく。
そこで目が覚めた。
時計はそれこそ「時間を管理する意識」という意味をもつらしいと夢占いのサイトには書いてあった。懐中時計とか金色っていうのも何か意味があるんだろうけどわからない。なんとなく今の自分の課題というか悩みとその解決策が凝縮されている気がしてならなかった。
やりたいことがいくつかあるけど、それが人の役に立っているとはとても思えなくて、自分の存在意義がないような気がしていた。それかなあ・・・。
学校の教員をバリバリしていた時は、「人の役に立っている」という感覚はあったけど、今はない。
でもよく考えてみたら、昔の私は自分のやりたいことを我慢して、自分の時間を切り売りして誰かのために働くことで「人の役に立っている」と思い込んでいたのかもしれない。今は自分のやりたいことばっかりやっていることに罪悪感があるのかもしれない。
YouTubeの動画の人たちは、自分のやりたいことを精一杯やっていて、それを楽しんでいる。私はそれをみて、元気をもらったり安心感をもらったりしている。
とすると、もしかして、自分のやりたいことを精一杯することで、誰かに幸せな気持ちをプレゼントすることができるのかもしれない。
時計は「やりたいことがあるのなら、残りの人生の時間管理を意識しなさい!」ということなのかもしれない。ダラダラやるな!人生は短いぞ!ということ。
・ジェスチャードローイング(人の動きをとらえて全身を描く練習)
本質を捉えた少ない線描で、動きの魅力を伝えたい。
・個人でのイラスト制作 表現の幅を広げ、仕事に繋げたい。
・ビーズ刺繍での試作 もっと上手になりたい。願わくば作品を販売したい。
・太極拳の日々の練習。体の意識を高めて、楽に健康に生きられる心身をつくりたい。
・美術系のワークショップ 美術の面白さを伝えたい。
この5つが今やりたいこと。
時間管理の意識をもって、しっかり自分のやりたいことをやっていきなさい、ということなのかな。
そうすれば私も誰かに何かいいものをプレゼントできる存在になれるのかもしれない。
そういうことかなあ。
金色の懐中時計、本当に現れて私の手を引っ張ってくれると嬉しいけど、時間管理は自分でするもの。
時間割でも作るかな(!)。