儂、ほぼほぼ仕事を辞めて数年になる。
世間的には"悠々自適"と言われる生活をおくっていることになるのだろうけど、それもやっぱり"ほぼほぼ"って感じかな。
なにしろ、いわゆる"勤め人"じゃなかったから、○月○日でリタイアってわけでもなくて、今でもたま~に仕事してるから。
ただ、フツーに仕事してた時に比べれば自分の自由になる時間が増えたことは確か。そのせいもあるのか、最近よく思うことが2つある。
世間的には"悠々自適"と言われる生活をおくっていることになるのだろうけど、それもやっぱり"ほぼほぼ"って感じかな。
なにしろ、いわゆる"勤め人"じゃなかったから、○月○日でリタイアってわけでもなくて、今でもたま~に仕事してるから。
ただ、フツーに仕事してた時に比べれば自分の自由になる時間が増えたことは確か。そのせいもあるのか、最近よく思うことが2つある。
それは、"感謝"と"懺悔"。
"感謝"ということ。
今、儂がここにこうして生きていられるのは、まずは親をはじめご先祖様のお蔭。
さらに人をはじめとする生物、そして無生物や出来事等々も含め、生まれてからこれまでに儂に関わってくれたありとあらゆるもののお蔭だとも思ってる。
それらの中には、儂にとって"良い"ことをもたらしたものもあったし、"悪い"ことをもたらしたものもあった。
それらの中には、儂にとって"良い"ことをもたらしたものもあったし、"悪い"ことをもたらしたものもあった。
でも、今はそのどちらにも感謝したい。どちらにも「ありがとう」と言いたい。
実は儂、うちのトカゲ達にさえも日々感謝してる。
あの子達を見ていると癒されることも多い。
でもそれだけじゃなくて、いろいろ教えられること、気づかされることもあるんだよ。
霊長類の頂点に立つ(かどうかは儂的には疑問だけどw)人間が、たかが爬虫類に教わることなんかないと思うかもしれないけど、そんなことないんだな~。
少なくともあの子達の方が人間よりも煩悩がない。
少なくともあの子達の方が人間よりも煩悩がない。
良いとか悪いとかきれいとかきたいないとか、そういったことを分別することなく、自由で平等に生きていると思う。
また、多分過去のことも未来のことも考えずに、今だけを一生懸命生きていると思う。
これらって、仏教では大切なことだと思うけど、人間にはなかなか難しい。
今までも、今現在も、そしてこれからも、儂とご縁を結んでくれるものにはすべて感謝する。
"懺悔"ということ。
"懺悔"は、普通は「ざんげ」と読むことが多いと思うけど、仏教では「さんげ」と読む。でも、意味的には大差ないんじゃないかな。
ネットで検索するといろいろ難しげなことも書いてあるけど、要は「あんなこともこんなこともして悪かった」と思うことかな。
仏教語でいうと悪業ということになるんだろうけど、還暦を過ぎる位の年齢になれば、そりゃあこれまでいろいろたくさん悪いことをしてきてるさ。
ネットで検索するといろいろ難しげなことも書いてあるけど、要は「あんなこともこんなこともして悪かった」と思うことかな。
仏教語でいうと悪業ということになるんだろうけど、還暦を過ぎる位の年齢になれば、そりゃあこれまでいろいろたくさん悪いことをしてきてるさ。
そもそも、生きていくためには他の命を頂かなければならないので、これ一つとってもアウト!ってことだよね。
食べるためならまだしも、儂の場合は専門が薬なので、当然のようにこれまで動物実験なんていうものもして、その命を奪ってきてるし。
それ以外にも数え切れるわけがないほどの悪業を積み重ねてきてる。
そういった諸々の悪業を仏さまの前で素直に話すと、やっぱり何か少しだけ救われたような気になる。
そういった諸々の悪業を仏さまの前で素直に話すと、やっぱり何か少しだけ救われたような気になる。
もちろん仏さまが許してくれたとか罪を消してくれたとか、そんなことはまったく思わない(そもそもそんなわけないw)よ。
懺悔をすることによって、自分自身の気持ちに一つのけじめをつけることができるんだろうと思う。(あ、要するに自己満足かw)
感謝も懺悔も、本当はフツーに仕事をしていた時から、そういう気持ちだけでも持つことができていれば、儂の人生、少しは変わったかもな~と思ったりする。
ちなみに、人は何かに感謝する時、「ありがとう」と言う。実はこの「ありがとう」という言葉は元々仏教からきたものらしい。
仏教に「三帰依文」というのがある。厳密には宗派によるんだろうけど、その中に、
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。」
という文句がある。
仏教に「三帰依文」というのがある。厳密には宗派によるんだろうけど、その中に、
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。」
という文句がある。
どういう意味かっていうと、人間として生まれるのはとても難しい、仏さまの教えに遇うことはとても難しいということ。
つまりどちらも、めったにないこと=とても"有り難い"ということで、"ありがとう"はここから来ているとか。まあ、「諸説あります」ということかもしれないけどw。
つまりどちらも、めったにないこと=とても"有り難い"ということで、"ありがとう"はここから来ているとか。まあ、「諸説あります」ということかもしれないけどw。
P.S.(2019.12.17追記)
これって、「平穏だからできる。不穏な時にはそれどころじゃない。 」っていうことは間違いなくあると思う。
何か困難に直面してる時とか、あるいは病気で辛い時なんかに、感謝だの懺悔だのと言ってられないよねえ。
でも、そこを頑張ってみることもまた大事なことだから、精進しようと思ってるわけ。