「ぼあちゃんのこと #1」の続きです。
#1では、主に健康や病気に関わることを書きましたが、今回は、普段の生活のことを書いてみようと思います。
#1と同様に、以下の記号によって「本当である可能性」(あくまでも私の主観です)の5段階評価を付加します。
[◎]:75%≦
[〇]:50%<~<75%
[?]:五分五分
[△]:25%≦~<50%
[X]:<25%
[〇]:50%<~<75%
[?]:五分五分
[△]:25%≦~<50%
[X]:<25%
【ご飯のこと】
ご飯のことと言っても、食べていた物のことではありません。食べていた物については、ダイエットをしていた関係で量が少なかったことと、我が家に来てすぐの期間を除いて人工フードはほとんどあげていなかったこと以外は、他のフトアゴとそれほど変わっていなかったと思います。
印象に残っているのは、「ご飯の時間」と「ご飯の場所」、そして「ご飯に見える物」のことです。
- ご飯の時間
あの子は、ご飯の時間を覚えていたのではないかと思っています。もちろん何時何分という意味ではありませんが、「だいたいこの頃にご飯」という程度には覚えていたと思います[〇]。実際には単に毎日同じ頃にお腹が空いていただけかもしれませんが、ひょっとすると体内時計のようなものも関係していたのかもしれないとも思います[?]。
例えば、朝からベランダのケージに出て日向ぼっこをしている時には、いつもご飯をあげている位の時間になると、「そろそろご飯でしょ?」といった感じで、自分から部屋に戻って来ていま。また、"居間"のコルクにいる時には、その位の時間になると「ご飯まだかしら?」といった感じで動き始めることが多かったのです。
そしてそれらの後は、大概、あきらかにご飯を探してるような仕草で部屋の中をウロウロしていました。 - ご飯の場所
野菜をあげる場合はママがキッチンでその準備をしていたのですが、あの子はそれを覚えていた、つまり「キッチンはご飯が出て来る所、ご飯がある所」と認識していたのではないかと思っています[〇]。
飼育日誌ではよく「ご飯待機」と書いていましたが、前述のようにウロウロし始めると、そのうちケージのスロープを途中まで上り、いかにも「ご飯まだかしら」といった感じでキッチンの方を向いたり、時には覗き込むような仕草をしていました。さらに、キッチンに入ってママに抱き上げられて外に連れ出されたり、キッチンの前で我慢して待っているように見えることが何度もありました。
↑ どちらも「ご飯まだかしら」の時の写真です。
なお、キッチンは原則立入禁止(byママ)でしたが、ご飯の時だけではなく、よく侵入してはママに強制排除されていました。キッチンに入る時はわりと躊躇している様子も見られましたし、ママがキッチンにいる時には、キッチンの手前まで来て立ち止まっていたこともありました。あの子も多分、キッチンは入れない場所だと認識していたのではないかと思っています[〇]。
また、コオロギをあげる場合には、ペットサークルを広げてその中にあの子とコオロギを入れ、狩りをさせていました。しばらくこれを繰り返していたら、そのうちにペットサークルを広げたけで、さらには持って来て見せただけでも、「コオロギ!」という感じで駆け寄ってくるようになりました。ただしこれは必ず毎回というわけではなかったので、覚えたとまで言えるかどうかはわかりません。でも、少なくとも何らかの認識はできていたのだと思います[◎]。 - ご飯に見える物
あの子は、「自分にとってご飯に見える物」を見つけると、いつでも食べようとしましたし、実際に食べてしまったこともあります。
この写真は、あの子が食べようとした物の一例です。特に、緑色や黄色の物、キラキラ光る物、紐や電源コードのような長細い物等がお気に入りだったようです。
ここに写っている物はすべて一口では食べれられない物ばかりなのでまだ良いのですが、この時は実際に食べてしまいました。
そのため、これ以後、床はもちろんあの子が食べれそうな範囲にある小さい物にはかなり気を遣っていました。おかげで、あの子がいた時は部屋の床がいつでも掃除が行き届いていてきれいになっていたのですが、今は、ゴミがたくさん落ちていますw。
フトアゴの誤飲・誤食のことはネットにも書かれていますし、獣医の先生にこの話をした時に、「食べちゃうと大変なことになるので十分気をつけて」と普通に言われたので、こういう習性はそれほど珍しいことではないのだと思います。
ただ、ここまでなんでも食べようとする子は、もしかしたらそれほど多くはないのかなと思います[?]。少なくとも、えびへーはこういうことはほとんどしなかったですし、ムスメの家のもみじも、多少こういう傾向があるようですが、これ程ではないようです。
それから、2021年の年末に調子を落とす少し前から、特に白色の電源コードを狙うようにして齧るような時期がありました。もしかすると、これは亡くなる原因になった病気(かどうかはわからないのですが)と何らかの関係があったのかもしれません[?]。
【コミュニケーションのこと】
一般的にフトアゴは社会性のある生物と言われていますが、そのあたりのことについて、私が感じていたことを書いてみます。
まず、ママや私を仲間とまで思っていたかどうかはちょっと疑問ですが、少なくとも一緒に生活している生き物という認識はあったのではないかと思います[◎]。
そして、「フトアゴは人間に懐くか」ということについて、ネットでもいろいろなことが書かれていると思います。私は、慣れることは確かだと思います[◎]が、懐くかどうかは相手によって違うのではないかと思っています[〇]。
あの子は、ママには懐いていたと思いますが、私には懐いていなかったと思います[◎]。
ママが抱っこしている時に私が代わろうとすると、後ずさりしたりママにしがみついたりして抵抗することが何度もありました。まるで、お母さんに抱っこされている赤ちゃんが、別の人の抱っこに代わった時に、ママの方に手を伸ばして「ママ~」と泣いているような感じでした。と、これはちょっとオーバーですがw、私のイメージはそんな感じでした。
でも、私からママの抱っこに代わる時に、こういうことはほぼありませんでした。
ママのことは「ご飯をくれる生き物」と認識していたと思う[◎]ので、それがママに懐いていた(と思われる)一番の理由ではないかと思います[〇]。
それに対して私のことは、時々手や足が当たったり尻尾を踏んだりしたことがあった(故意ではありませんw)ので、「時々襲って来る生き物」という認識だったと思います[◎]。それでも、自分の命を脅かすほどの相手でもなく、たまにご飯もくれるので、「同居できる生き物」と認識していたと思います[◎]。
前述したご飯のことでも、「ご飯待機」や「そろそろご飯でしょ」というのは、あの子と私達のコミュニケーションの一つだと思います。さらに、私達がご飯を食べていると、「自分達ばっかり何食べてるのよ~」とか「私のご飯はないの~?」という感じ[〇]で、じっとこちらを見ていることが何度もありました。もみじもこういう仕草をするようです。
また、あの子は時々廊下を"タッタッタッター"していたのですが、廊下に出る時に扉が閉まっていると、「開けて」という感じで扉を見上げ、同時に私の方を見ていました。さらに、廊下を"タッタッタッター"する時には滑り止めのシートを敷いていたのですが、私がそれを敷くまで待っていることもありました。これもある種のコミュニケーションだと思います[◎]し、こういうことを覚えていたのだと思います[〇]。
【ウロウロのこと】
あの子は放し飼いだったので、家中をウロウロ歩き回ることも少なくありませんでした。
このウロウロの目的は、大きく分けて3つあったのではないかと思っています[?]。
一つはご飯探しのためのウロウロ[◎]。これは比較的わかりやすく、そろそろご飯という時間になるとおもむろに動き出し、前述のような「ご飯らしき物」を物色し、時には噛みつきながら、歩き回っていました。もちろんキッチンに侵入する目的の一つもこれだったと思います[◎]。
二つ目の目的は、この家で自分が動き回れる範囲、つまり自分の縄張りを確認するためのもの[◎]。「この先に何があるのかしら? 誰かいるのかしら?」などといったことを知りたがってるように思える時が何度もありました。例えば、ベッドの下や家具の隙間を覗く時は、頭を下げてうかがうような仕草を見せることがありました。さらに、向こう側が空間になっているところ、例えば、トイレやクローゼット、あるいは玄関の扉の前や、和室("禁断の部屋")の襖の前とかでは、必ずと言っていいほど立ち止まり、やはり頭を下げて、扉や襖の向こう側をうかがうようにしていることが多かったのです。場所だけではなく、敵や自分の害になるようなものがいないかといったことも、併せて確認していたのかもしれません[〇]。もしかしたら、逆に仲間(男の子)を探していたということもあるのでしょうか[△]。
三つ目は寝床探しのためのウロウロ[〇]。もっともこれはウロウロと言うよりは、だいたいの行先を決めていて、その辺りまで行ってあたりを物色し、最終的に寝床を決めるといった感じでした。
#2はここまでにしたいと思います。