今日はらぷちゃんの一周忌。
らぷちゃんがいなくなってからまだ1年しか経っていないって、まったく信じられないというのが正直な気持ち。もうずいぶん昔のことだったように思える。
2023年のわりと早い時期から「らぷちゃん、なんかヘン?」と感じたことがあった。でも、実際に「これはおかしいかも」と思い始めたのはこの年の12月23日。それから日を追うにつれていろいろなことが起き、このままではダメだなと思ったので、大晦日の日の朝、病院に連れて行った。
病院では、先生に一通りの症状を話してから診察台の上を歩かせてみた。そうしたら最初は「確かに歩き方が少しおかしいね。」(by先生)だったんだけど、しばらく歩かせていたら「今は普通だね。」(by先生)という具合。そしてレントゲンを撮り、「骨はなんでもない。骨折もないしくる病でもない。しばらく安静にして。ケージのスロープはやめて平面だけにした方がいい。痛める可能性がある。」ということだった。
今度こそくる病かと思っていたのでとりあえず安心した。でも、じゃあなんなのかはわからず。儂的には、例えば人間でいうリウマチみたいな病気ってないのかな、なんていうこともこの時はちょっと思ってた。とは言え、この子達は血液検査も難しいし、レントゲンや他覚症状位しか手がかりがないから、これ以上は多分無理なんだろうと思った。だからこの時は、「今は先のことは考えず、くる病でも骨折でもなかったということに感謝しよう」とだけ思った。
今度こそくる病かと思っていたのでとりあえず安心した。でも、じゃあなんなのかはわからず。儂的には、例えば人間でいうリウマチみたいな病気ってないのかな、なんていうこともこの時はちょっと思ってた。とは言え、この子達は血液検査も難しいし、レントゲンや他覚症状位しか手がかりがないから、これ以上は多分無理なんだろうと思った。だからこの時は、「今は先のことは考えず、くる病でも骨折でもなかったということに感謝しよう」とだけ思った。
それから、1週間に1度くらいの割で通院。手が腫れていたこともあって抗生物質を処方され、この子も嫌がらずに毎日飲んでいた。
でも、ぼあちゃんの時とおんなじで、よくなって来たかなと思う日もあれば、また悪化したなと思う日もあった。こうしてアップダウンを繰り返し、結局徐々に悪くなっていった。
そしてこれは亡くなる9日前、最後に病院に行った時の日記。やっぱり脳神経系の病気のようだと言われた。
それでも、この後もずいぶんがんばったんだけどね。
亡くなる2日前。
亡くなる前日。らぷちゃんのことは少ししか書いてないけど、この日はオリハちゃんの七七日でもあり、儂も精神的にいっぱいいっぱいだった。
これは亡くなった日、まだ亡くなる前に日記に書いたこと。
朝、リビングに来てまずらぷちゃんのケージを覗いた。シェルターの中に上半身を突っ込んでた。昨日とはまったく居場所が変わってた。とりあえず動いたみたいで良かった。昨日居た場所には真っ白い尿酸の塊があった。💩はしてなかった。そろそろ💩してほしいけど、この状態ではどうしようもない。生存確認をしないといけないのでシェルターのデニムをめくったら、威嚇するように口を開けた。
この子を病院に連れて行き始めた頃は、こんな感じで口を開ける回数が多く、しかもあまり動かなかった。でも、その後一時期はあまり口を開けることがなくなり、動くようにもなってきてた。それが最近はまた元のようになりつつあって、とても残念。
昼前頃に見たら、奥のウェットシェルターにまで入ってしまったみたいで、尻尾の先しか見えなくなってた。
夕方、覗いたら変わらず。これだと生存確認(喉の部分が動くのでわかる)ができないので尻尾に触ってみたかったんだけど、寝てるだけだと驚かすことになってしまうので我慢した。生存確認して、もし亡くなってたとしてももうどうしようもないので、驚かすだけかわいそうだと思った。
そしてこれがらぷちゃんがなくなった後に書いた日記。
先にも書いたように、らぷちゃんは多分脳神経系の病気だったと思う。そしてそれは、もしかしたらモルフのせいだったかもしれない。
これはらぷちゃんがなくなる5日前に書いた記事。
やっぱり地球上で一番思い上がっていて強欲で身勝手で酷い動物は人間だなと思う。
最後にらぷちゃんの写真を貼っておく。あまり撮っていないので、これまでにアップしたものだけ。
ちょっと強面だけど可愛い子だった。
らぷちゃんへ。
飼い方が悪かったのかモルフのせいなのかはわからないけど、キミの蜥蜴生の半分くらいしか生きられなかったことは事実だね。本当に本当にごめんなさい。でも、たくさんたくさん幸せをくれてどうもありがとう。いなくなった今でも我が家の大事な大事な家族だからね。
最後に、このブログを読んでいただいている皆様が、こんなトカゲもいたなくらいでも覚えていていただければ望外の喜びです。