copyright (c)ち ふ
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
今年も、ぽたら送りの季節がやってまいりました。
送られる人数は、5人だそうでございます。
悲しいことながら、みんな人の世の厄介者にございます。
寝たきりのおカネ婆さん、頭のボケた喜助ジィさん、
盲目の少女の美代さん、少し頭の働きの弱い白太ちゃんに、
二十歳を越えたばかりの小作の長男の秀作さんであります。
そうそう、もう一人忘れておりました。
あと一人とは、この私めにございます。
私とは、観在寺の先代、求真和尚が作ってくれた
観音像であります。
秘仏で誰の目にふれてないとは申せ、闇から闇に葬り去られる
ことは、寂しい限りでございます。
物事を秘密にする恐さはここにあるのでしょうね。
当事者次第で、どうにでも操作できるのです。
証人・証拠となるものがないので、私めの像など、
どうなっても大権和尚以外にはわかりません。
私を刻んでくれた求真和尚が、
もうこの世にいないものですから、
誰一人、私の本当の姿など知らないのです。
お寺を継いだ大権和尚が、私を見た時の軽蔑に溢れた
驚きの眼は今だに忘れることは出来ません。
細い切れ長の目、少し下歯がのぞいた口元。
その瞬間のこわばった顔つき。
まぶたの裏に今だに焼き付いております。
観音信仰とは、偶像に対する信仰ではないと
思われるのですが、それにしましても、
求真和尚の不器用なこと。
大権和尚に嫌われても致し方のないことでしょう。
桜の木に頭と胴体を彫り、
四十二本の手は割り箸で作り、
十一の顔は団栗に目鼻を書き込み、
爪楊枝に差して作ったのであります。
千手とは名ばかりでして、四十二本で誤魔化しております。
求真和尚は、観音像などはどうでも良かったのでありましょうね。
私もそう思います。粗末に作られているとはいえ、
求真和尚の心が篭もっております。
私は、この像にとても愛着を覚えているのでございます。
これも仏縁のように思われます。
そんな私の姿に愛想をつかしている大権和尚は、
ぽたら送りのドサクサに紛れて観音像の差し替えを計ったので
ございます。本寺である観音本寺のご本尊のご胎内より
取りいだしました金銅の観音立像を、連れてまいったので
ございます。これも金にモノを言わせて無理やり、
ご本尊のお腹を切り裂かせたのでございましょう。
人は金と権力を手にしだしますと、
豹変してゆくものなのでしょうか?
つづく
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
今年も、ぽたら送りの季節がやってまいりました。
送られる人数は、5人だそうでございます。
悲しいことながら、みんな人の世の厄介者にございます。
寝たきりのおカネ婆さん、頭のボケた喜助ジィさん、
盲目の少女の美代さん、少し頭の働きの弱い白太ちゃんに、
二十歳を越えたばかりの小作の長男の秀作さんであります。
そうそう、もう一人忘れておりました。
あと一人とは、この私めにございます。
私とは、観在寺の先代、求真和尚が作ってくれた
観音像であります。
秘仏で誰の目にふれてないとは申せ、闇から闇に葬り去られる
ことは、寂しい限りでございます。
物事を秘密にする恐さはここにあるのでしょうね。
当事者次第で、どうにでも操作できるのです。
証人・証拠となるものがないので、私めの像など、
どうなっても大権和尚以外にはわかりません。
私を刻んでくれた求真和尚が、
もうこの世にいないものですから、
誰一人、私の本当の姿など知らないのです。
お寺を継いだ大権和尚が、私を見た時の軽蔑に溢れた
驚きの眼は今だに忘れることは出来ません。
細い切れ長の目、少し下歯がのぞいた口元。
その瞬間のこわばった顔つき。
まぶたの裏に今だに焼き付いております。
観音信仰とは、偶像に対する信仰ではないと
思われるのですが、それにしましても、
求真和尚の不器用なこと。
大権和尚に嫌われても致し方のないことでしょう。
桜の木に頭と胴体を彫り、
四十二本の手は割り箸で作り、
十一の顔は団栗に目鼻を書き込み、
爪楊枝に差して作ったのであります。
千手とは名ばかりでして、四十二本で誤魔化しております。
求真和尚は、観音像などはどうでも良かったのでありましょうね。
私もそう思います。粗末に作られているとはいえ、
求真和尚の心が篭もっております。
私は、この像にとても愛着を覚えているのでございます。
これも仏縁のように思われます。
そんな私の姿に愛想をつかしている大権和尚は、
ぽたら送りのドサクサに紛れて観音像の差し替えを計ったので
ございます。本寺である観音本寺のご本尊のご胎内より
取りいだしました金銅の観音立像を、連れてまいったので
ございます。これも金にモノを言わせて無理やり、
ご本尊のお腹を切り裂かせたのでございましょう。
人は金と権力を手にしだしますと、
豹変してゆくものなのでしょうか?
つづく