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絵じゃないかぐるーぷ
* オヅヌ少年
10世紀も終わりに近い頃の話である。
ここは、南大和の国、あすかの村。
一人の少年がいた。
少年の名はオヅヌ。
賎しい民の子供であった。
オヅヌ少年は、
イジメに遭いやすいような
タイプであった。
少しばかり手が、不自由である。
そのため、木登りは出来ないし、
石つぶても、思うように投げられない。
川を泳ぐのも遅いし、
水に潜って、
魚を取ったりすることも、
出来なかった。
そのように何かにつけて、
友達より、劣っていた。
そんな人より劣るオヅヌを、
誰もかばったりはしなかった。
オヅヌ自身の性格にも、問題があったのだろう。
親友が出来なかったことも禍した。
親に叱られたり、強い者にいじめられたりすると、
オヅヌに、そのはけ口を向けていったのである。
オヅヌは、誰もがイジメたくなるような少年だった。
不運というというより他はない。
人間は、悪い心と良い心とを、
ちょうど半分ずつ持って、この世に生まれてくる。
誰もが、同じ条件であろう。
良い心が育つか、悪い心が育つかは、
その者にも責任はあるのだが、
周りの者の接し方・影響も大きいのである。
オヅヌの悪い心は、彼の友達が育てていったと、
言っても過言ではない。
一人ひとりの者は、
ささいなイジメしかしないのであるが、
オヅヌの心は、それらを蓄めこんでゆくように、
出来ていたのである。
それはちょうど1億2千万人の人が、
1円を1ヵ所に捨てるようなものであった。
1円のお金など、道端に落ちていても拾う人は少ない。
ポケットに入っていても、邪魔なものである。
しかし、1億2千万円が固まって落ちていれば、
大きい価値となる。
それと同じ原理で、オヅヌの心の中に、
無造作に投げ込まれた、イジメの行為は、
いつしか、悪魔の種の肥やしとなり、
悪魔の木を大きく成長させていった。
それでも誰もが気がつかない。
オヅヌ自身でさえも。
人間の恐さの一つは、ここにある。
心の中は、常に注意して見ていなければ、
どう変わっていっているのか、
分からないものである。
オヅヌは、いつしか友達と遊ばなくなり、
一人でいる事が多くなった。
一人でいても友達に会えば、通りすがりに、
からかわれたり、石つぶてや牛馬のフンを、
投げつけられたりもした。
つづく