絵じゃないかおじさん

言いたい放題、自由きまま、気楽など・・・
ピカ輪世代です。
(傘;傘;)←かさかさ、しわしわ、よれよれまーくです。

仮想はてな・ストーリィ  ぽたら送り 8/前12

2015-02-05 08:22:59 | 仮想はてな物語 
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絵じゃないかおじさんぐるーぷ


                          

 そんなわけで、私も、ぽたら送りをされることとなりました。
 喜助ジィさんと美代さんは、この村の者ではありません。
 小作の秀作さんが、なぜ、ぽたら送りに選ばれたのか
 不思議に思われる方も多いのではないかと思われます。
 彼は、働き者で、とても優しい青年です。



 その彼が、なぜ・・・



 それは、村長の欲造の娘の秋乃さんと恋仲になったからで
 あります。
 欲造は、秋乃さんを軍人か政治家の嫁にしようと
 思っていたものですから、貧乏な小作の小倅とくっつかれては
 たまりません。何んとかして、二人の仲を引き裂こうと、
 機会を窺っていたようです。


 秀作さんが歩いている時、たまたまワラジの紐が切れました。
 彼は村長の田圃とは知りながらも、積んであったワラぐろから
 ワラすべを数本抜き取って、ワラジを直しました。
 それを見ていた庄屋の女中が、欲造に告げ口をしたのです。
 ワラすべ数本とはいえ、これは立派な泥棒です。
 欲造は、すぐさま秀作さんを捕らえ、観在寺に軟禁しました。
 これを機会に、ぽたら送りにするつもりのようです。


 村では、秀作さんさんが急に居なくなったものですから、
 大騒ぎになりましたが、人の噂も七十五日、ほどなく話題にも
 上らなくなりました。叶わぬ恋に諦めて、都会にでも出ていった
 のだろうということで、勝手解釈を施したようでございます。

 しかし、秋乃さんや秀作さんの両親は、そんなことでは納得出来
 ません。特に、秋乃さんは、秀作さんが黙って居なくなるなどと
 いうことは、頭から信じておりませんでした。
 秀作さんが消えた日から、父親の態度が急に変わった
 ものですから、恋する女の直感でうすうす気がついたようで
 あります。


 秀作さんが観在寺に閉じこめられ、ぽたら送りにされると
 いうことも探りあてました。
 恋すると、本当に女の人は強くなりますね。
 この秋乃さんの陰の働きのお陰で、
 私は、後に出てまいりますように、ぽたら送りから逃れることが
 出来ましたのでございます。


 期日がさし迫ってまいりますと、ぽたら浄土に送られる者たち
 へのお説教が始まります。
 皆に納得してもらい、喜んで出て行って欲しいのです。
 そうでないと、後に残された者が後悔します。
 それでなくとも、近しい人たちは良心のどこかを針で
 チクチクと刺されるような気がするのです。
 もちろん、説教をするのは大権和尚であります。


 今回は、白太ちゃんと美代さん、それにおカネ婆さんの3人です。
 秀作さんと喜助ジィさんは、除外するようであります。
 話が通じない喜助ジィさんには、何を言っても無駄でしょうし、
 秀作さんに対しては、あまりにも気がひけたからでしょう。
 大権和尚も口が上手になったものです。
 私も聞いておりますと、本当にそんなお浄土があるのかと
 思われそうなのです。




 では、11才の白太ちゃんのところから
 見てまいることにしましょう。



                                   つづく




仮想はてな 放龍テンプル・ストーリィ  3/前4

2015-02-05 08:21:43 | 仮想はてな物語 

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 * 放龍テンプルの門番


奈良県のS市にある自宅から20km足らずの距離にすぎないのですが、年末なので車や人がせかせかと動いていて道路は危険でした。天気も悪い方でした。今にも雪が降りそうな重い空が覗いてもいました。


シールドの隙間から吹き込む寒さのため、すぐに頬がぴんぴんに張りました。吐く息が、すぐに冷えてしまって、シールドの曇りも、ほんの数分走ると消えてしまいました。引き返して、こたつに潜り込みたくなったものです。しかし、どうしても寺を見ておかなければなりません。行くしかないのです。



途中氷の塊が日陰の道路の隅に転がっていました。スリップしそうなので、徐行運転に撤しました。普通車などが、遠慮もなくびゅんびゅんと抜いてゆきます。お先にどうぞという気持ちで、脇によけながら走りました。こんな日にバイクに乗るのが悪いのだからと一人納得していました。


放龍テンプルの門番は、白い鬼でした。白い上に、吉野の丹生川で採れる、丹から作ったという白粉を顔いっぱい塗りたくっていたのです。駸々堂から出ている大山源吾さんの「天河への招待」には、丹のことが詳しく載っています。


その昔、南大和は、その丹の一大産地だったようであります。丹とは、水銀のことで、朱砂ともいい、金や銀の錬金、医薬、顔料の原材料として古代から利用されていたようであります。


簡単に言えば、白粉は丹に塩を混ぜて熱すれば出来上がると言います。それにしても、あんなに塗って大丈夫かいなあと思いました。水銀中毒になっても知らないぞという気持ちでした。常用していると、鉛中毒で皮膚が茶色に変色してくるし、神経系統まで侵されるそうです。


彼は、暇なのか退屈そうにしていました。年の瀬が近づいているので参拝客はあまり見掛けませんでした。
「おい。この句の新解釈を施せ。出来具合によっては、入れてやらないぞ」


ぶ厚い白壁の片隅から、意地悪そうな目が覗いていました。

何のことでしょう。

手渡された紙切れには、
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺 しき」と、書かれていました。私たちは、ひとまず引き下がりました。急に問われても答えられるものではありません。しかし、これを解かないと中に入れてくれそうにもないので、こういう方面の専門家、N先生に問い合せることにしました。


N先生は、親友のちうと私の高校時代の校長先生でした。歳は、70を少し越えているのですが、バイタリティあふれるお人であります。私も、あの歳になっても、そうありたいものだなと願っています。


ちうは、私の親友の一人で、結婚もせずMBGで生活をしています。MBGとは、俗称パチンコのことで、ちうの造語であります。何でも、ミニ・ミラクル・ボール・ゲームの頭文字から作ったということです。


ちうは、夏は涼しい地方、冬は暖かい地方へと全国のMBGランドを巡って気ままな生活を送っています。彼のような生活には一面では憧れもするのですが、ついてはいけません。ちうの趣味は、短歌を作ることです。このシリーズにも、短歌の原案を提供してくれています。


そのちうの短歌の先生というのが、N先生なのです。ちうの歌は型破りですので、先生も手を焼いているようです。といって、型にはめるのもどうかということで、師弟とは言うものの指導などはしていないそうです。


私は高校時代、N先生とは一言も話す用事などなかったのですが、ちうを通して付き合うようになったのです。運がいいことに、先生は在宅していましたので、手近に子規のことなどを教えてもらいました。かすかに昔習ったことを思い出しました。


私は、思いつきで勝手に解釈を施してやりました。




柿とは、山柿のことで、万葉歌人・山柿の一人、柿本人麿さんのことです。くは句でしょ。かきくえば、柿句得ばと書きます。かねとは、かの姉さん、つまり子規たちと論争した明星派のお姉さん、与謝野晶子さんのことです。このお姉さんというのが、これまた凄かった。短歌は5万首も残すわ、子供は11人も生むわ、とにかく凄い。また、このお人自分の歌のためなら何でもするような女性でありました。この晶子お姉さん、


 やわ肌の あつき血潮に ふれも見で 淋しからずや 道を説く君

と高野山で読んだそうな。これを聞いたある禅僧がけしからぬ女めといきりたちました。


仏の道を何と心得る!
悟りの世界は、女なんぞ足元にも寄せつけぬ荘厳な世界なのだ、とでも思ったのでありましょう。  


その禅僧が、たまたま晶子お姉さんと会う機会に恵まれましたので、口から泡を飛ばす論争に発展したそうです。そして、最後には未通女の裸ごときで真の禅僧が左右されるわけはない。嘘と思うのなら実験をしてみようということになってしまいました。彼女は、鉄幹さんとは結婚前の身の上。未通女であったかどうかは知りませんが、二人は真っ裸で一つ蚊帳に寝ることになったそうであります。


結果は、晶子さんの白い裸体に煩悩の炎をかき乱された禅僧の完敗。それにしても、大山澄太さんのこんなお話を読みますと、明治の女性でも進んでいた人は居たんですねえ。



「あまり横道にそれるな!」
「あっ、すんまへん。つい。えーっ、かねがなるなりとは、かのお姉さ んたちが、がなり立てたということです。

 合わせて言うと、柿句得ば、つまりですね、ある一派が万葉集を  手中にして、勝手解釈ばかり施し、それを武器に論争を仕掛けて くるものですから、晶子お姉さんたちも、がなり返したということで す。そこで、あまりに小う るさかったものですから、ほうりゅうじ、 漢字で書けば保留時。これはですね、この論争は保留にして時に 任せろということなのであります。こんなんで、どーでしょうか」



「おまはんも、好き勝手なことをいう奴ちゃのう。まあ、何でもええ  わ。ハイ、700円。次来る時は、もっとおもろいの考えとき!」

畜生!
定価どおりの入場料ではないですか。電話代使って、この寒空で無い知恵絞って考えたというのに。くそオニめ。


いよいよ謎解きが始まります。しかし、すんなりと解けるとは到底思われません。今日の目的は参考となる資料を集めるのが関の山だろうと思います。何でもいい。己の眼で見ておけばいいのだと、自分に言聞かせました。


回る順番は、南大門の鯛石、五重の塔、金堂、夢殿と決めておいたのです。伏蔵とは、かくされた穴蔵のことで、中庭に3ヵ所あるということでした。金堂の北東角、経蔵の中、回廊の南西角にあると言われております。その3ヵ所の穴蔵の入口には石の蓋があり、蔵の中にはさまざまな財物が収められていると言います。


咽喉から手の出るようなお話ですこと。でも、これは人様のモノ。淫らな心を起こしてはダーメですね。ああ、私も全然なってないなあ。


放龍テンプルの伽藍配置は、いろいろな本に顔を出しています。再建されたかどうかが、問題とされていたようですが、今では再建説に収斂されているようです。古い仏教寺院は、ブツブツはんの遺骨である仏舎利を礼拝することに重点が置かれていたそうであります。塔には、その仏舎利が収められていると言われております。その塔をどう扱うかで、伽藍の配置が決まったようです。


飛鳥寺や四天王寺では、塔重視の配置になっているそうですが、再建放龍テンプルは、向かって右に金堂、左に塔が配置されています。塔と金堂とが、対等扱いになっているということでしょうか。再建は、焼失のためらしいのですが、もともとは四天王寺式の一列並びの塔最重要視型の伽藍配置であったようです。


金堂には、その寺のご本尊が祀られ、ご本尊とは、寺の存在理由を明らかにするものであります。言い換えれば、寺はご本尊のためにあると言っても過言ではありますまい。もう少し、穿って言えば、ご本尊は、そのお寺の飯のタネなのです。ご本尊抜きの寺は単なる建物であって寺と呼ぶに値しないでしょう。そういう点からすると、金堂と塔の左右対等配置は、素人の私は、再建後に放龍テンプルの性格が変わったと思っているのです。塔の地位が著しく低下しているからであります。


塔が、向かって左にあるということは、北側から見れば右の位置となります。右の位置は、左に対しては下の地位を表わしているのです。人体対応説をとれば、上には頭があり左に心の臓があります。人体は、どの部分でも密接に関連しており、頭・心臓の働きは重要であるのは言うまでもないのですが、他の器官、構成要素を軽視したところに、この説を考えた者の欠陥があるのでしょう。それはそれとして、とにかく、左は右に対して優先されて考えられていたようであります。


もう一つ、天体対応説をとれば、北半球に住む者は北極星を重視したことでありましょうか。北極星は、ほとんど動かない変光星であるそうです。変光星とは、光度が変化する恒星とあります。恒星とは、天球上の互いの位置をほとんど変えず、それ自体の重力により、一塊となり、光や熱などを放散している星のことだそうです。また、天球とは、観測者を中心とする半径無限大の仮想の球面であるそうです。


ああ、しんど!


三省堂の大辞林を引くのも楽じゃありません。
それにしても、何じゃ、これは? と、思いますね。
半径無限の大球面となってきますと、これはもう哲学の領域ではないですか。科学と呼ぶには、少し不備でありましょう。ここは、無限大の半径などとするべきではないと思います。これは、観測可能な領域とでも呼ぶべきではないのでしょうか。あの向こうは、球か、直方体か、でこぼこか、ギザギザになっているか、どうなっているか分からないのであります。



わっ、またまた横道に逸れてしまいました。
星は、あたりまえのことですが、夜に見られます。昼間でも見えないことはないのでしょうが、特殊な動物や特定の条件下でないと見ることは出来ないそうです。星に関心を持つようになったのは、夜になっても活動する人間が増えてきた所為でもありましょう。火の発見は、夜型人間を生み出していったのではないでしょうか。



夜には、じっとして寝ているのが一番だという考えも、だんだんと無視されていったに違いないと思います。夜は、そもそも恐い世界なのでした。近くに出掛ける分には、不便はないでしょうが、何日もかけて移動するような人間には、夜や昼の区別はしていられなくなったと思います。長距離移動には、方向の目安となるものも必要です。特に、海原においては重要であったと思います。その目安となるものが、夜の空に無料で転がっていたのです。そんなわけで、北極星が、北半球の特定地方で夜空のダイヤモンドとなることは、分かり切っていたのであります。北極星は、誰かに発見される運命を持っていたとも言えますね。発見されれば、後は、神がかりしてゆくのに時間はかからなかったのではないのでしょうか。


太陽は、もちろん重要でしょうが、位置の確認という作業においては、年中コロコロ変わって役には立ちません。太陽の位置を確定するためには、暦の力を借りなければならないのであります。月にしても、同様であったと思います。しかし、当たり前のことですが、日は、必ず東から昇ります。北の位置、つまり北極星のあらせられる所の左は東でありますね。その東から日は昇ります。というわけで、この説をとっても、左右の関係においては左は右に優先されます。そうは、させへん、左遷と右が頑張ったのは、かなりの後のことであろうかと思います。話は、また逸れますが、暦も無く、天体知識にも乏しい人間には、太陽の動きは不可思議であったに違いありません。感覚的には、動き方に決まりがあるぐらいには思っていたのでしょうが、その太陽の動きを科学的に説明したのは、この日本では、仏教文明でなかったのでしょうか。



黙って座れば、ピタリとあたるではないのでしょうが、太陽の昇る位置や沈む位置を1年間ほぼピタリと予想するのでありますから、これは科学以外の何物でもなかったのではないでしょうか。


太陽を、神さまに仕立て上げ、崇め奉っていた人間にとっては、まさに晴天の霹靂であったことでしょう。愛する恋人に、後頭部をバットでドカンと一発やられる感覚であったと思います。まさかあ、なのであったことでしょう。とにかく、ああ今日も無事昇ってくれた、日の出が、あの山に移ったので暖かくなってくるぞとか、寒くなってくるぞ、というぐらいにしか把握してなかったものが、これから先1年間の太陽の動きを予測して、それがぴったり当たるのです。今の我々にとっては、タイムマシンが開発されたような驚きを想像すればよいと思います。


古代の人の頭の中は、グチャグチャにされたのではないでしょうか。これでは、天神・地神の地位が、仏教に侵食されたとしても致し方あるまいと思います。太陽という神の動きが、白日の元に晒されたのですから、魔力の一部が低下したとしても致し方ないでしょう。


仏教は、暦・天文学などと共に一体となって渡来してきたのであります。これは、この国の精神世界へのトライでありました。仏教だけが、裸単騎でやって来ていたとしましたら、神仏習合もままならなかったに違いあるまいと想像されます。また、暦は、農作業に欠かせない必需品であり、その利用は農業の効率化にもつながったことでしょう。これは、日を管理することを農作業に持ち込んだためです。


例えば、米の収穫に関しては、
問い「おい、新しい米はいつ手にはいるのかな?」
答A「ええとですね、お日さまのお昇りが、あの山の端に来る頃だと    思いますが」
答B「いや、あの山の引っ込んだ辺りにお隠れする頃ですよ」
答C「この稲からですね、白い穂が出て、黄色くなって、頭を垂れて   来る頃だと・・・」
答D「この子供が、ヨチヨチ歩きし出す頃ではないかと・・・」
答E「お月さまが欠けて、満ちて、また欠けて・・・」
答F「雨が降り続いて、熱くなって、強い風が吹いて、涼しい風が吹   き出す頃では」
答G「あの山が、真っ赤になって、柿のなる頃であります」
答H「マガンが飛んでくる頃だと・・・」
答I 「あの倉の米が、残り少なくなった頃と存じますが」

問い「そうか。それは、あとどのくらいかの?」

答は、もうしどろもどろでしょう。何しろ、日を数える観念がないものですから、こんな問いには、苦しんだに違いありません。まあ、聞く方も同じレベルですので、あまり大差はないとは思うのですが。


暦がないと、米の消費量さえ、どんぶり勘定にならざるを得ません。そういう場合、人間は米をどう扱うのでしょう。答は、簡単であります。貯められるだけ、貯めるのです。言い換えれば、米を作らない者は、米を作る者から、感覚的に集められるだけ集めるのであります。


話は変わりますが、キリスト教暦607年、聖徳太子は北極星の重要性を知らなかったので助かりました。
「ポラリスに近き処の天子、レターをポラリスに遠き処の天子にセンド致す・・・」などと、やっていましたら、小野の妹子ちゃんなんか、ズタズタに切り刻まれていたのではないのでしょうか。隋の煬帝も、「日」だったので、失礼なヤッちゃぐらいで、見逃したのだろうと思われます。


では、なぜポラリス(北極星)がそれほど重要な地位を占めていたのでしょうか?


それは、仏教のイロハ、「諸行無常」を念頭に於いて編み出された思想ではないのでしょうか。この世で観察出来るものは、すべてのモノが諸行無常の法則に左右されているようです。  

                               
諸行無常とは、この宇宙を構成する一切のものは、止まることをせず、変転していくということのようです。自然災害は、その諸行無常を感じさせる最大のものであると言えます。月も、太陽も寸時も休まず移動しているし、目にするモノで変化しないものは見当りません。


ましてや、人間や人間の地位などは千万変化する典型であります。考えることの好きなある種の人間は、何時の間にか心の中に不変の価値に憧れるような思考方法を身につけるようになったのではないのでしょうか。これは、伝染してゆくもののようですし、遺伝するようでもあります。仏教徒といえども、不変の真理への執着からは中々開放されないでいます。


そういう世界に於いて、北極星は不変の真理の実在を確かめさせる現象物でもあったのであります。こういうものに憧れない者はいないでしょう。北極星はほぼ定位置に存在する真理でありました。北極星信仰は、永遠・不変を求める者の心の拠り所でなかったのでしょうか。


仏教徒といえども、僧に成りきれない者は、この信仰を持っているもいました。また、悟りの世界とは、永遠・不変が形を変えた世界でもあります。しかし、その世界にも仏の世界にも、諸行無常の大法則があてはまるはずなのですが、それについては、彼らは、あまり語りたがりません。これは、この世で悟りを開いた者は、ブツブツはん一人なので、後の者は、分からないことなのですから、仕方ないとは思います。
                                                                           つづく


あ@英訳ドン作川柳集936 大しわに小じわ足元しわだらけ

2015-02-05 08:19:58 | ぶろぐ(迷瞑謎名英訳付き)

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   *  大しわに小じわ足元しわだらけ







  (ドン作川柳 → 無料 英訳 → 無料 和訳戻し)

    大しわに小じわ足元しわだらけ        ドン作(ちふ+)

            ↓
     Wrinkles wrinkled feet in large wrinkles  

            ↓           
      大しわのしわしわフィート
 


                               おわり


仮想はてな Oあゆか
仮想はてな ドン作



あ@つぶつぶ(日々)287 今日もまた日が過ぎてゆくもやの中

2015-02-05 08:18:30 | Num川柳 


多層構造ぶろぐ→Multilayer structure blog

ピカ輪世代(世に団塊とも)の一断面を目指して。


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*  English translation 


  287 今日もまた日が過ぎてゆくもやの中



        ↓
      (ほんやっ君のとある無料の英訳)

    And in the mist of day Yuku past also today
         ↓
      (ほんやっ君のとある無料の和訳戻し)

また一日ゆく過去の霧今日中






     この項おわり



つぶつぶ(22”22”)・・・・・


あ@おつとめ107  ドンサク夫 パッと降格 目から逃げ

2015-02-05 08:16:18 | ぶろぐ(迷瞑謎名英訳付き)


お薦め世界語=ほじゃけんど=HOJYAKENDO←思わずにっこり、ほっこり
その意味は検索にて→もしかすれば出てくるかも・・・・・



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                         【ほんやっ君】
ドン作雑文集より

 

                               
   *  ドンサク夫 パッと降格 目から逃げ




  


(ドン作川柳 → とある無料 英訳 → とある無料 和訳戻し)


    ドンサク夫 パッと降格 目から逃げ     ドン作(ちふ+)

          ↓
    The escape from relegation and eye Donsaku husband suddenly 
  
          ↓
     左遷と、突然目Donsaku夫からの脱出