ひろさちや作「わたしの中の阿修羅」を
昨日から読んでいる
簡単に解説しますから
興味のある方は読み進めてね
去年、職員で旅行した
奈良の興福寺が出会いだった
図書館で受験勉強していて
気分転換しているときに
その本を見つけた
終わったら読もうと
思っていたので借りた
古代インド神話で
正義の神「アスラ」と
力の神「インドラ」の
物語があり
娘のスジャーを暴力で
拉致されたアスラは
武器を持って立ち上がり
インドラに挑むが
「正義」が「力」に
勝てるわけがなく
インドラはアスラを
神の世界から追放してしまった
仏教では勝ったインドラを
「帝釈天」護法の善神と呼び
負けたアスラを
「阿修羅」魔神と呼んだ
アは非、スラは神
アスラは神ではないものとされた
「正義」の解釈の中には
征服の意が含まれ
正義に正統性・正当性が
あるわけではなく
勝った勝者が正当と
されるだけの話しだとすれば
勝った「力の神」インドラが
正当化され正義の神となるわけで
この結果を踏まえると
このご時世、いろんな場面で
その矛盾がうなずける
しかし、インドラにすれば
スジャーを妻とし
子供まで設けている
家族を守るために
戦わなければならない
インドラにも「正義」がある
「正義」とは複数形なのだ
アメリカの正義
中国の正義
日本の正義
民主党の正義
・・・・・・
自分の正義
正義を単数形にすると
間違いの元になり得る
自分だけが正義だという考え方を
「阿修羅の正義」と名づけ
あいつが悪い、私が正しい
これが「阿修羅の正義」という
仏教学者なので
仏教において魔神となる以前の
研究をも詳しく書かれていた
「正義は力なり」という格言は
願望でしか過ぎず
現実は「力が正義なり」となる
パスカルは「パンセ」で
正義、力
正しいものに従うのは、
正しいことであり
最も強いものに従うのは
必然のことである
・・・・・・・・・
正しいものを強くできなかったので
強いものを正しいとしたのである
権力を握ったものが
正しいとされる
と書いている
ここまで、3分の1まで読みましたが
あの少年のような
どこか寂しげな表情からは
この小説に書かれていることが
なんだか想像できない
若い女性のファーンも
多くいるらしいが
その魅力はなんなのだろうか?
あの時は何かに取り付かれたように
グッズを買ってしまったが
後悔はしていない
昨日から読んでいる
簡単に解説しますから
興味のある方は読み進めてね
去年、職員で旅行した
奈良の興福寺が出会いだった
図書館で受験勉強していて
気分転換しているときに
その本を見つけた
終わったら読もうと
思っていたので借りた
古代インド神話で
正義の神「アスラ」と
力の神「インドラ」の
物語があり
娘のスジャーを暴力で
拉致されたアスラは
武器を持って立ち上がり
インドラに挑むが
「正義」が「力」に
勝てるわけがなく
インドラはアスラを
神の世界から追放してしまった
仏教では勝ったインドラを
「帝釈天」護法の善神と呼び
負けたアスラを
「阿修羅」魔神と呼んだ
アは非、スラは神
アスラは神ではないものとされた
「正義」の解釈の中には
征服の意が含まれ
正義に正統性・正当性が
あるわけではなく
勝った勝者が正当と
されるだけの話しだとすれば
勝った「力の神」インドラが
正当化され正義の神となるわけで
この結果を踏まえると
このご時世、いろんな場面で
その矛盾がうなずける
しかし、インドラにすれば
スジャーを妻とし
子供まで設けている
家族を守るために
戦わなければならない
インドラにも「正義」がある
「正義」とは複数形なのだ
アメリカの正義
中国の正義
日本の正義
民主党の正義
・・・・・・
自分の正義
正義を単数形にすると
間違いの元になり得る
自分だけが正義だという考え方を
「阿修羅の正義」と名づけ
あいつが悪い、私が正しい
これが「阿修羅の正義」という
仏教学者なので
仏教において魔神となる以前の
研究をも詳しく書かれていた
「正義は力なり」という格言は
願望でしか過ぎず
現実は「力が正義なり」となる
パスカルは「パンセ」で
正義、力
正しいものに従うのは、
正しいことであり
最も強いものに従うのは
必然のことである
・・・・・・・・・
正しいものを強くできなかったので
強いものを正しいとしたのである
権力を握ったものが
正しいとされる
と書いている
ここまで、3分の1まで読みましたが
あの少年のような
どこか寂しげな表情からは
この小説に書かれていることが
なんだか想像できない
若い女性のファーンも
多くいるらしいが
その魅力はなんなのだろうか?
あの時は何かに取り付かれたように
グッズを買ってしまったが
後悔はしていない
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