木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

四丁目の夕陽

2016-08-02 23:31:39 | 音楽
名古屋の西区にはお菓子の店が連なる横丁がある
このあたりはお菓子の街
最近はあまり見かけないけど昔名古屋の嫁入りにはお菓子撒きの風習があった
家の二階から嫁さんを見に来てくれた人にお菓子を撒く
僕も叔母が嫁に行くとき 母の実家の二階からお菓子を撒いた憶えがある
勿論下に群がって撒かれるお菓子を必死で掴んだこともある
西区明道町付近にはそういうお菓子を大量に売り買いする問屋さんがあった

ということはその近所には家内工業的にコツコツとその家独特のお菓子、いわゆる駄菓子製造をしている工場がいくつかあったわけだ
そして自然にその近くにはまたお菓子を作るための機械を作る工場もあった

昭和50年代の前半
僕らはバンドをやっていた
西日の入るエアコンなしの工場の二階
スタジオを借りるなんてこと自体考えもつかなかった僕たちは
お菓子工場の機械製作をしていた吉村鉄工所の二階に群がっていた

ドラムとPA、そして僕の持ってたキーボード類は置いたまま
他の連中はアコースティック、エレキ、ベースなどのギターを抱えて午後7時にやってくる

この家の長男、通称クマはきったないギターを弾くときもあれば、締まりのない音のドラムをたたくこともある
一級建築士の石やんのベースはちょっと乗りきれない音で全体をリードするどころが足を引っ張る
喉元をかきむしりたくなるバイオリンの奏者兼ボーカルのマギー(この子のエピソードは←の自分日記「マギーの帰り道」をどうぞ)
幼稚園の先生みたいなキーボード弾きカナちゃん
自己主張の塊だったギター兼リードボーカルのペン(小筆君)
ちょっとの間だけ一緒に参加してたイケメンだけどギターは初心者だった小次郎
そしてコンマスと呼ばれてリードギターをしてたけどまったく自信がなかったpop(僕)

めっちゃんこの音出してたけど週二回7時から9時まで楽しかったなぁ
録画してあった「仰げば尊し」
練習倉庫が荒らされるのを見てたら自分達にもそんな場所があったのを思い出した
僕たちの場所は荒らされることもなかったし、その場に集まってみんなで飲み会やったしいい思い出がいっぱいだ


みゆきED H2O想い出がいっぱいジョイファンダーズ.flv


         



コメント (15)
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