木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

お別れのうた

2017-02-10 23:52:50 | 風景
仕事を父親から引き継ぎいろんなものを整理してた時、信用金庫からの借入証が出てきた
そこには保証人の署名がありそれが同業者のMさんだった
金額ははっきり覚えていないが100万とかの単位までは届かず、それでも昭和30年代のその金額なら今でいえば数100万の価値のあるものではなかったのだろうか
保証人の共倒れとか言われるように昔から保証人だけにはなるなよ というのが家訓だと
本当かどうかわからないけどとりあえず断る理由にされる
それほどリスキーな保証人をやってもらってたということはその時感謝の気持ちを感じたものだ

今は事業資金を借りるのに保証人になる必要はほとんどない
保証協会という組織があってお金を払えばその役割を担ってくれる
勿論、それは調査されたうえで合格をもらわねばならないが
考えようによってはいい時代になった

話しを戻す
Mさんは子供がなく僕と同い年の子供を養子に迎えた
養子に迎えた直後奥さんが妊娠したのだが、結局その子は死産だったという
保証人をするだけあって当時大流行したおもちゃのピアノの脚を大量に生産して財を築いた
木工所などやってる人間には考えもつかなかった会社組織にして社会保険に加入し老後の安定を図ったが会社自体の拡大はしなかったようだ
そして自分の定年後はさっさと仕事から離れ、自分の甥に名前を継がせて養子息子をそこの従業員にした
結局その工場は上手く回らず息子は違う木工所に勤めることになった
ただ潰れたわけではなく、甥のHさんは一人でそこを続けて同じように掛け続けた社会保険満了を待ちに待ってその日にすっぱりと辞めたのだった
MさんもHさんも割り切った(冷たい)人だなぁ という感想を持ったのだが大っぴらに言えるはずはない
僕的にはMさんは僕に対して優しかったが、Hさんには仕事をもらってなんだが「使われた」気がしている
勝手なことを言うものだ(笑) 申し訳ない
いずれもお世話になったには違いない

92歳、そのMさんのお通夜に行ってきた
棺に納まったMさんにお別れを告げてありがとうとご苦労さまを言ってきました

Hさんの姿を見れなかったのどうしてなんでしょう・・・


コメント (4)
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