インターフォンが鳴った
「昨日、今日も明日も私が行くって言ったけど、今日デイサービスの日だった
行きたいからお前今日のお葬式行ってくれんか?」
二日共は悪いなと思ってたからすぐに引き受けた
多分仕事場と家との間のあそこだろうから礼服とシャツと靴下と靴を持っていけばいい
告別式は12:30からと聞いてる
毎朝繰り返してる母親のところへの訪問は手ぶらだとなんとなく手持無沙汰だが
葬儀への案内状を受け取りに行くという名目でその気持ちは紛れる
ところが葬儀場は名古屋駅の方面だった
仕事場から自分の家を通り越してまだ15分ほど行かねばならぬ
車で30分はかかるだろう
亡くなったのは隣の隣のサトシ君のお母さんだった
サトシ君は僕の幼馴染
小学校中学校も同じだ
僕はそのつもりもないんだが、彼は少し僕とは違う位置にいた
仲が悪かったわけじゃない
子どもの頃も遊んだと言えば遊んだ
チャンバラごっこしてる写真もある
でも彼は、というか彼のお母さんは何となくだが僕らとは違うところにいて
息子にもあまり僕たちに近づかせようとはしてなかったように思う
中学を卒業すると彼は工業高校へ進んだ
そう名乗る高校としては市内でもトップクラスの高校だ
隣の隣だが滅多に顔を合わせることがなくなった
高校を出て就職をして、もっと顔を見なくなった
やがて違うところに住むようになったようだ
多分彼は僕のことがあまり好きではなかったんだろう
僕は割合好きだったけれど
20歳くらいの時にクラス会だったかで一度会ったと思う
40歳の時の中学のクラス会には彼は来なかったし
一昨年の同窓会でもえらい苦労して居所を掴んだのに顔を見せてくれなかった
だから喪主として見た彼は多分40年ぶりくらいだったんじゃないだろうか
寂しい告別式だった
家族葬と呼べば間違いなく納得できるような
(実はこの10年ほどお父さんとお母さんと別々に入退院を繰り返しながら
どこかの老人ホームを生活の基点にしていたから
今はその家には離婚して戻った長女が息子と二人で暮らしている)
だからと言って葬儀はどこも恥じることはない立派なものだったと思う
親戚が10数人とこの一角のご近所さん僕を含めて4人
比較的長い読経の後焼香が始まる
親戚の後は4人で最後が僕だった
僕に気づいたろうか?
それもわからん
「ご苦労様でした」 という僕の言葉にお辞儀で返してくれたけど
普通ならここで帰ってしまうけど、最後のお別れまで付き合う
抜けると目立つし、仕方ない(笑)
でも、おばさんの最後の姿を見れたし、花もお供えできたから良かったと思う
思いがけず棺を霊柩車まで運ぶ役目まで仰せつかった
しかも玄関出て坂を下りて、20mくらいあるんじゃないか
最初4人だけだった
大丈夫? と思ったが見かねて職員が二人手を貸す
それほど重くない、冷たく感じた手のひらの感触が人の死を確認させた
多分これでまた彼は他人になるはず
もっと他人になるんだろう
少し寂しい
「昨日、今日も明日も私が行くって言ったけど、今日デイサービスの日だった
行きたいからお前今日のお葬式行ってくれんか?」
二日共は悪いなと思ってたからすぐに引き受けた
多分仕事場と家との間のあそこだろうから礼服とシャツと靴下と靴を持っていけばいい
告別式は12:30からと聞いてる
毎朝繰り返してる母親のところへの訪問は手ぶらだとなんとなく手持無沙汰だが
葬儀への案内状を受け取りに行くという名目でその気持ちは紛れる
ところが葬儀場は名古屋駅の方面だった
仕事場から自分の家を通り越してまだ15分ほど行かねばならぬ
車で30分はかかるだろう
亡くなったのは隣の隣のサトシ君のお母さんだった
サトシ君は僕の幼馴染
小学校中学校も同じだ
僕はそのつもりもないんだが、彼は少し僕とは違う位置にいた
仲が悪かったわけじゃない
子どもの頃も遊んだと言えば遊んだ
チャンバラごっこしてる写真もある
でも彼は、というか彼のお母さんは何となくだが僕らとは違うところにいて
息子にもあまり僕たちに近づかせようとはしてなかったように思う
中学を卒業すると彼は工業高校へ進んだ
そう名乗る高校としては市内でもトップクラスの高校だ
隣の隣だが滅多に顔を合わせることがなくなった
高校を出て就職をして、もっと顔を見なくなった
やがて違うところに住むようになったようだ
多分彼は僕のことがあまり好きではなかったんだろう
僕は割合好きだったけれど
20歳くらいの時にクラス会だったかで一度会ったと思う
40歳の時の中学のクラス会には彼は来なかったし
一昨年の同窓会でもえらい苦労して居所を掴んだのに顔を見せてくれなかった
だから喪主として見た彼は多分40年ぶりくらいだったんじゃないだろうか
寂しい告別式だった
家族葬と呼べば間違いなく納得できるような
(実はこの10年ほどお父さんとお母さんと別々に入退院を繰り返しながら
どこかの老人ホームを生活の基点にしていたから
今はその家には離婚して戻った長女が息子と二人で暮らしている)
だからと言って葬儀はどこも恥じることはない立派なものだったと思う
親戚が10数人とこの一角のご近所さん僕を含めて4人
比較的長い読経の後焼香が始まる
親戚の後は4人で最後が僕だった
僕に気づいたろうか?
それもわからん
「ご苦労様でした」 という僕の言葉にお辞儀で返してくれたけど
普通ならここで帰ってしまうけど、最後のお別れまで付き合う
抜けると目立つし、仕方ない(笑)
でも、おばさんの最後の姿を見れたし、花もお供えできたから良かったと思う
思いがけず棺を霊柩車まで運ぶ役目まで仰せつかった
しかも玄関出て坂を下りて、20mくらいあるんじゃないか
最初4人だけだった
大丈夫? と思ったが見かねて職員が二人手を貸す
それほど重くない、冷たく感じた手のひらの感触が人の死を確認させた
多分これでまた彼は他人になるはず
もっと他人になるんだろう
少し寂しい
お葬式の参列、お疲れ様でした。
>息子にもあまり僕たちに近づかせようとはしてなかったように思う
私も子供の頃、そんな目にあったように思います。親が子供の友達を選ぶ、今でも良くあることですよね。(苦笑)
>寂しい告別式だった
家族葬と呼べば間違いなく納得できるような
今は家族葬が増えてきて、ご近所さんもあまり呼ばれませんので、どうしても寂しいお葬式になりますね。
私も家族葬でいいと思っています。
>思いがけず棺を霊柩車まで運ぶ役目まで仰せつかった
しかも玄関出て坂を下りて、20mくらいあるんじゃないか
最初4人だけだった
へぇ~、親戚でもなく、親しい友人でもないのに仰せつかったんですね。
男手が足りなかったんですか?
>多分これでまた彼は他人になるはず
もっと他人になるんだろう
少し寂しい
幼馴染でも、思いが違うと縁遠くなりますね。
寂しいものですね!
2年前、伯母の通夜では長女でもある従姉が伯母の写真をアルバムにまとめて葬祭場に持ってきてくれて懐かしい思い出話で盛り上がり笑い声に包まれた通夜でした。
賑やかな場が好きだった伯母にふさわしい葬送でいつまでも忘れられません。
友だちのお義父さんが亡くなって。。先週だったんだけど友引とかだったかな。昨日私も
家族葬ではないけど 公民館のようなところでのお通夜
ちょっと寂しいなと思ったけど
親友のお義父さんなので最後まで付き合いました。
この頃
喪服を着る機会が増えてきて切ないです
葬儀もね
出席するたびに
いろいろ自分の家の事も考えてしまう 高齢だしね
通夜振る舞いのところで
懐かしい人たちに逢えて 少しでもにこやかに献杯できたのがよかったかなとも思う
かっつんもお疲れ様でした。
サトシくんのおかあさんがかっつんと同じ組にしないでほしい って言ってたと
今の時代ならそんなことを言う先生もいないでしょうが
昔はいろんなことがありましたね(笑)
そっか~嫌われてるんだぁ と思ったことがありました
それからいま思い出したけど、山川君のお母さんが
「かっつんのお母さんはサトシ君のお母さんに嫌われてる」って聞いたこともありました
実はそのことは母親に言ったら傷つくから言わんとこ
と思って封印してました
初めて此処で言っちゃったぁ(笑)
サトシ君自身はそんなに僕のことを嫌ってるとは思わなかったけど、亡くなったお母さんに嫌われてたっていうことなんでしょうね 真相解明。
一昨年の同窓会の名簿作りの時も、今住んでるお姉さんに住所を聞いても「弟は出ないから」って言って住所を教えてもらえませんでした
それで、一緒に幹事やってるフータに上手いこと言ってもらって作戦立てながら ようやく聞き出したのでした
それでも結局欠席でしたけど
僕、よく列席できたでしょ?(笑)
彼のことは嫌いじゃないんだよね
多分、彼のところはそういう気はないと思います
サトシ君は僕に直接一言も返してはくれませんでしたから
今も着信履歴を確認してみましたが、なにもないです
一言電話でもくれたらうれしいんだけどね
99%ないと分かってるから最後の三行書いちゃったんだよねぇ
僕の礼服も黒いネクタイを使ってばかりです
もう多分20年くらい使ってる礼服だけど
白いネクタイは2回くらいしか使ってません
仕方ないのかな(笑)
最近はいろんな形の葬儀になって行って家族葬もありだと思う
ポタもそういう形でいいよ というもののやはり見送って欲しい人もあるみたい(笑)
香典はもらわんでね と言ってます
人数は別にしても、いいお別れ会はしたいよね
残念ながらそういう話も自然に出てくるようになってしまいました
家で言うと順調に行って、次の次は自分だな と(笑)