今日は弟の命日。あれからなんと50年。早いものです。
日赤病院の部屋で苦しむ弟を見続けた。一生を終えるにはこれほどの苦しさを負わされるのか。今思い返しても心臓が早鐘を打つ。
12時を過ぎていた。当直の先生が一生懸命に心臓マッサージを続けてくれたのだが、18歳だった僕は口には出せなかったけど 先生もういいです。息を吹き返したらまた弟は苦しまなくてはならない。だからもういいです。そう心に念じていました。あの時思ったことは一生忘れてない。先生に対しての感謝と共に。
三日ほど前に敬ちゃんとカラオケに行く約束をした。
奥さんを亡くして四十九日を超えてきた。この前ポケモン交換だけしたのだがカラオケに行こうという約束を叶えるため。
9月2日。約束日。ちょうど50年の日だと気づいた。7月に奥さんを亡くした友と50年前に弟を亡くした僕。釣り合わないかもしれないけど17時から23時過ぎまで楽しく過ごした。なんか四人でいたような気がする。
朝。久しぶりの読経。18歳の時1年間欠かさず仏壇の前で唱えた帰命無量寿如来。衰えはしてるが何とか務めた。
私は子供の頃に「死」に対する恐怖があって、
それは、この世の中から自分の存在が消えてしまうことへの恐怖でした。
地球の歴史からすれば、私の命など点にもならず、マクロの世界だと思うのですが、
誰の記憶にも残らないことへの悲しさだったのでしょうか~
弟さんをいつも慈しみ、折に触れ想うかっつんが長生きすることが長く弟さんを生かすすべかと願います。
余計なことを書きましたが・・・m(__)m
確かに弟はもう僕の中で生きてるだけだと思います。
多分ですが彼は小さいながら僕のことを信頼していてくれたんだとずっと感じていました。亡くなってからでもなんか助けてくれてるような気がしてしょうがないんです。他の人に言うと笑われてしまいそうで具体的な事を口にすることは滅多にありませんけどね。
確かに生きています(笑)