大阪発達支援センターぽぽろブログ ぽぽろ番

ぽぽろはNPO大阪障害者センターの子育て・教育支援部門です。
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特別支援教育に求められる柔軟性

2009年01月13日 | ノンジャンル
 今日は午後から某市の生活支援センター(療育等支援事業指定事業所)の方と支援学校へケース会議で出向く。
 相談支援で受けた内容は個人情報保護の観点から述べられないので、感想的なことしか書けないことをご了解いただきたい。

 この学校は、学校がある自治体を相談支援のエリアとする支援センターさんが定期的に「福祉相談」という形で関わっておられることもあるのだろうが、あまり構えないで気軽に受け入れていただいたように思う。

 残念ながら、学校が教育機関以外の支援を率先して受け入れることはまだ少ないのが現状です。「地域支援」が特別支援教育のスタートとともに支援学校の義務的機能として付加され、それを担うコーディネーターが配置されました。にもかかわらず、我々はどうでもいいが、ある支援学校では地域の福祉事務所や保健所の方が不登校の生徒さんの件でケース会議で来校されているのに、管理職が出迎えや挨拶さえ無いという対応の学校もある。対応はコーディネーターではなく進路担当者が窓口という現状ある。対外的な支援を行うためにも、自校の子どもたちが家庭や地域で抱える問題に対応する方がよっぽど地域支援の知識も力量も得られるのになぁと私は常々考えている。ある支援学校では、その学校のぽぽろ利用者の名簿を持って、ぽぽろの放課後事業の説明に伺ったら管理職が廊下で対応してろくに話も聞かないという学校もあった。

 特別支援教育に前向きに取り組もうとしているか否かのバロメーターの一つは学校長を中心に学校ぐるみで地域支援に取り組もうという姿勢があるかどうかだと思う。

 その学校では内部的には色々と矛盾はあると思うが、困難を抱える生徒に人(担当者)、場所(教室外の居場所)、時間(登校時間)、教育内容を生徒さんの状況に合わせて非常に柔軟にスモールステップを踏みながら対応されていることがとても柔軟でいいと感じました。恐らく学部を越えた教員=人の対応などは、内部的には矛盾や葛藤も大きいと思うが、学校外の者から見るととてもありがたい。
 なぜなら、先ずはその生徒さんの学校に行きたい(もっと根元的には友だちと仲良く勉強したいという気持ちを強く持っている)、でも今はこういう条件でないと行けない、家族もそれを強く望んでいる、だからそこから出発しないと前に進まないから、担任でもない信頼されている元担任が対応されている。まず子どもを救いながら方向を見いだそうとされていることが大切な点だと思った。
 元教師としては、教員間・学部間では色々あろうによくぞ思い切った決断をされたものだと感じたわけです。

 支援学校はまだまだ比較的柔軟だと思うが、通常学校になるとなかなかそうはいかない。柔軟な対応を期待して「支援学級籍」を取得していても、通常学級からスタートして年度途中から支援学級での特別支援をお願いしようとすると、時間割や体制上の問題を理由に変更することは容易ではない。ゴタゴタしている間に状況が悪くなったりする。通常学校でもそこがうまく柔軟に対応できている学校では、子どもが行きしぶりや不登校にもならずに受け入れられている所があると聞く。
 この柔軟性を学校の姿勢として、また制度的にもつくっていくことが特別支援教育の大きな課題だと思う。

 そして、担任や学校が抱え込まないこと。その点でも、この学校が積極的に支援センターと連携しようとされている姿勢には敬意を表したい。困難ケースほど、学校生活の基盤である家庭や生活への支援は不可欠であり、学校だけではなかなか手が届かない分野です。
 その点、我々の方からは家族で抱え込まないでボランティアを含めてヘルパーやショートステイなど第三者の支援を受け入れることが課題という意見を述べさせてもらった。第三者の支援を家族が受け入れられるかどうかの心配が表明されたが、幸い家族自身がもう限界(思春期で母子一体的な関係では精神的にも肉体的にも向き合えない等)に来ていることから、自分から福祉制度の活用を切望され、この点は我々の対応の範疇であり、家族で抱え込まないで外に向かう姿勢を評価し励ましながら必要な支援を今後させていただくことにした。
 そのためにも、我々民間だけでなく、社会保障という観点からも行政のバックアップは不可欠です。我々自身も受け負わないことが大切なのです。幸いなことに、家族の訴えに役所の人権の窓口が受け止めていただいているようだ。制度の活用を経済的に支え、今後の生活支援の必要性という点からも、福祉の窓口の利用もお薦めして会議を終えた。次回は3月中旬に再度ケース会議を行うことにした。

 「私でなければこの子のことは分からない」「私がいつまでもこの子の世話をする」という気持ちになるのはもっともなことだと思う。でも、「母子一体化」の積み重ねの中で、とりわけ思春期以降に様々な困難を抱え、家族が向き合えなくなる事態が出てくる。今回も自立=自律に向けた発達支援、母子への支援は早期から必要だと思った。
 これは、学校の教員にも言えることです。将来にわたって責任を負うわけでもないのに、教員も「私でないと、私こそが」と抱え込んだりしないことだと思う。家族も「いつまでもこの先生に持って欲しい、持ち上がって欲しい」という気持ちは分かるが、決してそうはならないし、世の中はそんなものではないので望まない方が子どもの自律にとってもいいと思う。とはいえ、子どもの発達にとって関係性はとても大切だから、特定の人=親や信頼する教師の支えを得ながら世界を拡げていく、適当に折り合いをつけられるようになることが大切ということだろう。