行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

ブルターニュ紀行 14 < サン・マテュー岬 と ル・コッケ > 北ブルターニュの最西端を訪れる

2021-03-03 00:18:47 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『Pointe de Saint-Mathieu サン・マチュー岬』

荒海と信仰とケルト文化と巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
14



北は「モン・サン・ミッシェル湾」から
南はロワール河河口の『ナント』から
西に向かう巨大な「ブルターニュ半島」は西へ向かうほどに徐々に狭まり
先端は南北に大きな岬
中ほどにやや短い岬と
三つに分かれて大西洋に臨む

その北の岬の付け根の『ブレスト』から西進すること15km
先端に
『ル・コッケ』という町と『サン・マテュー岬』とがある

『Les Phares de St-Mathieu / Ruine de l'Abbaye St-Mathieu』

岬の先端には
二つの新旧の灯台と大修道院の廃墟とがある


硬い玄武岩の地盤が浸食されて
両岸はいずれも切り立った厳しい断崖になっているところは
ブルターニュに大小1000くらいはありそうなどの岬とも同じ佇まい

この灯台は非常に歴史が長い

まず起源は「四角い灯台」の歴史から始まる
1157年ブルターニュ公爵は夜の篝火を絶やさないことを条件に
ベネディクト会に修道院の建設許可を与えた
1250年修道院完成
修道僧たちは40mの塔の上で毎夜篝火を焚く

17世紀迄それが続き
1689年王室海軍は夜間航行の強化の為に新型のトーチを作ることを決めた
修道院の塔のてっぺんに屋根をつけガラスで囲う
これで悪天候でも日の管理がたやすくなる
2人に灯台守りで管理できることから北海岸全域に同じシステムを導入
三層に5個ずつの銅製のランプを設置するものだが
魚の油を燃やしたので炎が不安定で油煙が上がりガラスが曇り
熱でガラスが割れやすかっので
特に夜の暗い秋から冬の雨の降らない日にしか明かりを灯せない
1701年修道院から王室海軍が灯台を引き継ぐ
教会だけは維持する約束で
修道院は廃止され数動員の教会の塔だけ使い続ける



そして礼拝堂は完全な形で残った

明かりに引き寄せられた海鳥が飛び込みガラスが割れる事態が多発
金網で覆うが
光の多くが網の金属に吸収されて効率が落ちる結果に
大判のガラス板で囲うことをやめ
小さなレンズ型のベネチアン・グラスのガラスを沢山使い
菜種油を半分混ぜることで問題は大幅に改善
その時点で明かりの到達距離は30kmに及んだが
ガラスは頻繁に割れた

革命で修道院の残骸は売却されたが撤去されたが塔だけは売却リストに載らずに
破壊を免れた
1820年反射板も取り付けた回転式となる
30秒ごとに明滅を繰り返すことで照度が落ち
到達距離は24km

photo by Musée de la Phare de St-Mathieu

フランス海軍は
灯台設備を強化する決定を下し
修道院の廃墟の石材を使って新たな円形の塔を建てることとなった
1835年に完成した新しい灯台は地上高36m
海面から55m
発光装置が直径3,2m半曲面レンズ16枚
到達距離50km以上
で今日も使われている




地形的にやや海から離れている分だけ地面が高いので
新しい方の灯台に登ってみると古い方の塔との高さの差がわかる
右前方に
巻頭写真にもある「修道僧の像」が見える



今では
ベネディクト会の修道僧たちの努力を顕彰するために
修道僧の像が立てられている


今では原型をとどめない修道院聖堂(教会)の正面扉口と
現存する礼拝堂

 全体を海の方から見ると


こうなる

岬全体は『Plougonverin プルゥゴンヴェラン』という自治体に属するが
この辺りの海岸線にも
他のブルターニュ中の海岸線と同じく
戦いの備えのあれこれは数多く残っている

『Toul-Logot トゥル=ロゴ』と呼ばれる「字(あざ)」には
17世紀の王室軍の砲台の遺跡が埋まっていた





現在も『フィニステール県」の主導で
発掘と一部再建作業だ続けられている

かと思うと『Bertheaume ベルトーム』という地区には

『Fort de Bertheaume ベルトーム要塞』
「ブレスト港」を守る砦が残っている

かと思えば


第二次大戦中
フランスを占領下においてドイツ軍が
連合軍の上陸作戦に備えて作ったトーチカ(砲台兼塹壕)もある

『Bunker de l'Armée Allemende ドイツ軍のトーチカ』

今は『第二次大戦 戦争博物館』となっている

もちろん戦争だけではありません
平和を求めて当然教会は各集落にある


『Eglise Saint-Gwenaël 聖ゲナエル教会』

なんと
正面ファサードに点々と宿り木が生えてる
当然「アンクロー」には「カルヴェール十字架」が


古代の石碑を削り直して作られていたり
さらには


鉄器時代の二機のメンヒルが
キリスト教布教時代にテッペンを十字架に掘り直されて
残っていたりもする


※  ※

この「プルゥゴンヴェラン」の北側に隣接する
隣町にも寄ってみよう
『Le Conquet ル・コンケ』

『Quai du Drellach ドレラック波止場』

急にのどかになります

『Chapelle Saint-Michel de l'Eglise Notre-Dame de Bon Srcours』

善き救いの聖母教会の聖ミカエル礼拝堂
中は
とっても素朴です


木製の青い天井はお約束通り

この町のシンボル的な建造物はというと
これ

『Maison des Segneurs 殿様の館』

海側に向かっての眺め

上流に向かっての眺め

城壁の上からの眺め


中庭の扉

正面

通りに面した正面は以外と平凡な田舎家の風情
こちら側は18世紀に作り直された

湾に面して完全防備の施された方は1505年頃の改築になるそう



日の出と共に

古い家といえば
17世紀の民家

『Manoire de Cosquiez コスキエ屋敷』

こんな立派なのもあれば


こんな庶民の棟割長屋風もあったりする

では今回はここまでにしましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
【お願い】
「フォロワー」登録をぜひお願いします
ご感想やご意見をお待ちしています「今日のここが好きだった」「ここは長過ぎて退屈」
なんでも好き放題に感じたことを教えてください
右下の「コメント」から「コメントを送信する」で送信フォームにたどり着きます
お名前欄はニックネームで構いません
旅行の計画や手配実際の動きなどは以下のサイトもどうぞ
https://veritas21.com  『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする