巻頭写真 : 廃船の港『カマメ』
荒海と信仰とケルト文化と巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を訪れよう
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「プルゥガステル」から南へ下り
やがて「ル・ファウ」という小さな入江の根元ん町から西に曲がると
『Presqu'Ile de Crozon クロゾン岬』
Photo by @MICHELIN
赤で示された国道「N 165」から
黄色の県道「D791」に分かれるところが『ファウー湾』
県道
に降りてものの5kmで「オーン川」を渡るところに
『Landévennec ランデヴェネックという町がある』
Photo by @IGN
ちょうど「D 791」という印が出ているあたりの
「まが玉」みたいな形の岬があるところ
『L'Aulne オールン川』
とはいうもののブレスト湾の先駆けの細く長い湾みたいなもので
こんな光景が
修道院の廃墟もある
『Abaye Notre-Dame de falgoat ファルゴート大修道院(跡)』
同
同
同
同
しかし
こんなのどかな光景も
「ランデヴェネック」から一路西へ
クロゾン岬の先端まで行ってみよう
※ ※
岬の先端がカエデの葉のように4つくらいに分かれる
その左の付け根に『Crozon』と隣接して南側が『Morgat モルガ』という港
そこの海岸線には洞窟が並んでいる
岩盤の花崗岩に含まれる酸化鉄の量で岩肌が赤やピンクになる
※
岬の最西端は半円形の小さな湾
その南の裾が『Pointe de Dinan ディナン岬』
先日ご紹介した「ディナン」の街と全く同じ綴りだが
何の関係もないらしい
この荒々し岩塊の岬に面妖なものがある
その名も『Château de Dinan ディナン城』
もちろんディナンの街の城とは縁もゆかりもなくて
岬の先端に近い小山のような岩の上をよく見ていただくと
塔が並ぶ城壁が山の峰の上にあるように見えませんか
ここを
地元では「ディナン城」と呼び習わしてきて
地図にも「お城記号」とともに「ディナン城」と記載してあるのです
岬の先端の
親指をつきたてたような地形のその左下の付け根の位置に
『Camaret カマレ』という町がある
※
「カマレ」は美しい港町だが
別名「船の墓場」ともよばれている
完全な残骸もあるが
実は全部が全部「廃船」というわけでもなく
使い込まれた現役の漁船だったりもする
※
「カマレ」から南に数kmで『Pointe de penhir ペンイル岬』
この絶景の岬と「カマレ」の中間あたりに
『Alignements de Lagatjar ラガチアー巨石列柱』があります
おさらいしよう
単一の大きな細長い岩を地面に直立させたもの
『Menhir メンヒル』
二列に隙間なく並べたメンヒルの上に平らな石で蓋をしたもの
『Dolmen ドルメン』
ドルメンを小石で覆って小山のようにしたもの
『Tumulus テュ:ユリュス』
そして
メンヒルを一定の間隔で一列に並べたものを
『Alignements 巨石列柱』
と言います
※
その「カマレ」の湾に飛び出す極小の岬にまたまた不思議なものがある
『Chapelle Notre-Dame de Rocamadour ロカマドゥールの聖母礼拝堂』
何が摩訶不思議かというと
フランス南西部に『Rocamadour ロカマドゥール』という
巡礼で名高いムラがあるのです
そこと一体何の関係があるんだろう
礼拝堂本体はごく見慣れたブルターニュ風の
背の低い勾配の緩やかな屋根で切妻の片方に鐘楼という定型通りです
内部も見慣れた通り
船乗りたちが安全な公開を願って寄進した船の模型が天井から下がるのは
海辺の教会の常
祭壇の左右にも救命浮き輪やらオールやらが飾られている
そして
上の種祭壇ではなく側廊の祭壇が素晴らしい
この写真の左の奥突き当たりです
そしてある柱に黒い木彫りの聖母子像があった
そこで
本物の(と言うのは変な言い方だが)「ロカマドゥール」は
断崖にへばりつくこんな場所です
ほぼ中央の白く大きな一塊が「ロカマドゥールの聖母教会」
なのですが
そこの「ご神体」(と言うのはカトリックにはありませんが)みたいなのが
これです
どうです同じですよね
きっと本家から暖簾分け(?)してもらってきた聖母子像にちがいない
※ ※
「クロゾン岬」最先端の北側の先端に
岬とも言えないほとんど出っ張りのない岬がある
『Pointe des Espagnols エスパニヨル岬』
そのまた先端の陸地から20mほど離れて
引き潮の際は陸続きになる小さな岩礁があって
その岩礁全体が要塞になっている
『Fort ds Capucins カプサン要塞』
起源は17世紀
星型要塞建築で名を成したヴォーバン元帥が
「ブレスト港」の南海域の航行を管理する要塞の建設を考えた
18世紀に砲台の建設が始まる
19世紀には
陸側と岩礁の間に橋をかけてつなぎ
本格的な要塞の建設が進行した
20世紀第一次大戦で
陸側にもバンカーやトーチカを造り
総合的な守備の拠点となった
第二次大戦ではドイツ軍に接収され
終戦で使われなくなる
現在改めて見てみると
第一次大戦では発明間もなかった航空機が急速に進歩した結果
兵器として戦場に登場してきた
上空からの偵察と攻撃から目をそらせるために
施設の屋根全体が岩山に見える様な工夫がされていることがわかるのです
さあ今回はここまでにします
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皆様のご意見やご感想を是非お聞かせください
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