想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

水のなかなら対等。

2012-08-13 07:04:15 | 日記

休み中、新潟の海に行った。
その二日前、沖縄に台風がいて、
前日も、上越は荒れていた。

その中、海に行った。

K君がゴムボートだの、
ボディーボードなど買いこんでいて、
波があったほうがおもしろいと云って、
「危険なんじゃ…」という私の話をきいてくれなかった。

ま、強引なひとだから何を云っても無駄なんだが、
行って波が高かったら波うち際で遊べばいいや…と想って、

海に行ったのだ。

海は荒れていた。
どんどん沖のほうへ歩いてゆくK君。
まあブイのあるところまでなら足は届くしって思うんだけど、
いかんせん、波うち際でさえ、
波の力にバランスを取ってられない。
想像以上に強い。
ミオはパパについてどんどん行ってしまった。
わたしは、いつもは足のつく場所でさえ、
波がくるとすごい深さになるって気づき、パニックになった。
とにかく、数秒ごとに頭から波をかぶる。
体勢が崩れ、足は届かない。

かくして、
わたしは溺れた。
鼻や口から海水を呑みこみ、
慌てて岸に向かったが、泳いでも流されていることに気づく。
そう、潮の流れに乗ってしまったの。
「助けて!」ってK君に叫んだら彼もなかなかこちらに来れない。
ミオともはぐれてしまった。
ボディボードにつかまったって、波の威力にひっくり返る。
二メートルほど向こうにいるミオも、波をかぶっている。
子供に手が届かないという恐怖。
目の前で沈んでしまっても、助けられないという非力。
どうにか娘は私たちの所まで泳いできた。
ボードは捨ててきた。わたしのゴーグルもすっ飛んでしまった。
三人でひとつのボードにつかまって、
どうにか泳いで岸にたどりついたんだけど、

死んだと思ったね…。

あれほど、波のある海は怖いって云ったのに、
溺れてみないとK君は聞かない。
おまけに、わたしが溺れなければ何事もなかったって云いようだ。

この男についてゆくのはやめよう。

わたしはこのとき、決心した。
娘は私が護り通す。
もうこの男には任せられない。と。

人生で、こんなに恐いと思ったことはない。

以上が、死にかけた話である。


その後、しばらく非現実感に悩まされた。
自分は本当は死んでしまったのではないか、とか、
本気で考えてしまう。
目の前のもの全てが輝きを放って、美しく、現実ではないと想った。

でも、わたしは生きているようだ。
娘が「大丈夫、生きているから」と云った。
そして、「少し海が恐くなった」と。

今日もプールに行きました。
この夏休み中、突然無口になってきた娘が、
プールに行きたいと云うので、
迎え火を焚いてから泳ぎに行った。

プールは安全で、
わざと沈んで、水の中でもケラケラ笑った。
水の中なら、まだイルカのように遊びまわれる母と子。
来年は遊んでくれるだろうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする