想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

混ぜるな危険。

2024-09-11 15:47:00 | 日記
色々思考を進めて、
「こう動いてみようかな」と思ったタイミングで、
「それはやめとけ、危険だ」
というメッセージを受け取る。
そして、「頭悪そうだから説明するよ。こうすると、こうなる訳よ。
わかる?」
と念を押される。
そうして、初めて理解する。

今うまい具合に、
思考と世界が連動しているのを
感じている。
自分がどれだけ浅はかなのか、
思い知った。
そして、事の重大さに気づいた。

私の世界は混乱している。
ここまで拗れた世界を均すんだ。
そりゃ、一筋縄では
いかないよね。

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風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。

2024-09-10 15:41:00 | 日記
朝いちばんのバスで、父の病院へ向かい、洗濯物を届けた。

今日は充電がしたくて、
誰にも伝えずある場所へ。
暑いさなか、上田城まで足をのばした。
遺跡の発掘現場を、もう一度確認しておきたかった。
この日は作業はしておらず、
終了したのか?

門の前に武将がいた。






上田市のヒーローは、
真田幸村公。
自分の中では、新選組の土方歳三が一番のヒーローだけど、
次第に愛着が湧いてきて、
六文銭にすら萌えるようになった。
(ただのミーハーです)
六文銭というのは、
真田家の家紋で、
三途の川を渡る時に必要な、
渡し賃だとも云われています。

眞田神社のご祭神は、
歴代城主の、真田、仙石、松平公。

そして、軽井沢駅と長野駅間を走る、しなの電鉄「ろくもん」は、
渋くてかっこいい。
乗ってみたい!

*(ˊˋ*)*

城内に鎮座する眞田神社⛩️にもお詣りしました。
参拝者はわずかで、
ひとりでゆっくり過ごす時間を確保しつつ、
頭を整理して、撮影して、

帰り際、
夏の名残りで残されていた、
風鈴🎐が風に揺れていたので、
写真におさめようと、近づいた。
一際強く風が吹いて、風鈴がなびいていた。




風鈴の道を歩いていたら、
頭上から聞き慣れない音が降ってきたのです。

シャラララララ…

という感じな音。
これ、風鈴の音じゃない?
驚いて、荷物をいったんおろして、
聞き入った。
耳を畳むようにすると、
音を良く拾えるので、
両耳を畳んで、全集中。
空から降るような、音が。

シャラララララ…って、聴こえて、
これ、風鈴の音だ!
って感動した!

ひとつふたつだけでは拾えなくても、これだけの数が、
いっせいに鳴ったんだろうから、
きっと聴こえたんだろう。
でも、本当はもっと透き通った音色なんだろうなと、思ったけど。 
それでも。
きれいだなあ…と、思えた。
夏越しの祓えの時は、
風がなかったんだろう。
たくさん人もいたし。
今日はたまたま寄り道して、
風鈴の道を貸切状態で歩いて、
気づけた。




まだ茹だるような暑さで、
空は青かった。
御朱印は貰わなかった。
9000歩、歩いて目標はクリア。

来週は軽井沢に行きたい。
台風🌀次第。


















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年に一度は健診を受診してください。

2024-09-09 17:19:00 | 日記
軽井沢に行きたかったが、
市の無料健康診断の日だったので、
そちらへ行きました。
午後からだったので、
とりあえずは温泉♨️へ。
この日は高温サウナ。
3セットサウナに入り、
600mlの汗を入れ替え。
出てから1ℓくらい水を飲み、
時間までロビーで寛いだ。
昼ご飯は抜いてと云われたので
朝にグレープフルーツを食べただけ。
お腹は空いたが耐えるしかない。
健診は、身体測定、検尿、血液検査、腹まわりの測定、血圧測定。
最後に、ベジチェックというやつをやった。
機械の上に手をかざすだけで、
野菜が不足していないか、わかるらしい。
こんな機械はじめて見た。
結果は問題はなく、
なるべく意識して濃い色の野菜も取り入れてと指導され終了。
2ヶ月後に再び、今度は結果を見ながら指導するから、予約を入れてきた。
手厚いサポートだ。
帰りは歩き。
陽射しは強いが、風はもう秋風だった。

今日は、母の命日。
そして、重陽の節句の日。
母が亡くなってから30年。
早い…。
母と話したいなと思い、タロットを出した。
先日、亡くなった人との対話の方法を勉強したばかりだったので、
是非、やってみたくなった。
母の位牌を傍に置き、
フルデッキで行う。
今回は、正逆ちゃんと読み取る。
私にアドバイスをして下さいと語りかけながら、
デッキをノックして、カードを展開。
出たのは、カップの6。逆位置。
解釈するとこうなる。

心に受けたトラウマは、癒す時が来ている。その時は傷がうずくかも知れないけれど、きちんと向き合えば、過去の経験を血肉に変えられる。
気持ちを断ち切って、
新しい未来への第一歩を踏み出す時。今こそ怨恨を手放し、全てを許しなさい。

未来は明るいよ。






ほらほらほら…。
そう出るでしょ。
いやね、お母さん。
わかってはいるんですよ。
今、自分の意識下で大革命が起こっているから。
わかっていて動けない。
もう全部、何もかも捨てたいんだ。
誰かを傷つけるかも知れないけど、
断ち切りたいんだ。
そうしなきゃ、一番問題になっている因縁が、いつまで経っても、
切れない状況にある。
私はここまで生きて、
やっと過ちに気づいた。
勘違いに気づいた。
そして同時に、初めて心の中に湧き上がった想いに気づけた。
この忌まわしき因縁を断ち、
卑しい思いを昇華させなきゃ、
私の来世はお先真っ暗なんです。
なんのために生まれてきたの。
やっと、来世もこのままの自分でありたいと思えるようになったのに。

でも、
やっぱりお母さんもそう思うんだね、と自信がついた。

ありがとう、お母さん。

明日は父の病院へ洗濯物を届けに行く。
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運命と未来は変えられる。

2024-09-08 18:43:00 | 日記
ここにはあまり書いてないが、
タロットの勉強は続いている。 
近々、重要な決断を下さなきゃならなくて、
アドバイスが欲しくて占ってみた。
最近、何故か、
「こんなカードが出たら最悪」
と思うと、ズバリそのカードが出るから怖くなる。

なんか試練が待ち受けている様子だ。
でも、一端全部壊して、
再生させなければ、
次のステージに進めないようだ。
避けては通れない道だってある。
答えを求めても、与えられない理不尽さを、思い知らされるのかも知れない。
知りたくても教えてもらえなかったとしても、
それでも全て受け入れろと、
多分、天は答えをくれているのだろう。
私はまだ覚悟を決められないので、
とりあえず、榛名神社に行きたいのだった。
そこで、納得いくまで考えて、
榛名湖を見て、覚悟を固めたい。
雄大な自然の中で、
小さな自分を元気づけたいと
願っている。

頑張ろうよ。
貴女なら出来る、って。
信じたいのだ、自分を。

叱咤激励するために、
旅に出たい。

タロットカードは、
崩壊の後に、新しい人生が拓けると告げてくれた。
やはり、やるしかないらしい。

やるしかない。
はあー…、しんどいな。
またメンタルやられるんだろうな。
3カ月くらい、
立ち直れないかも知れない。


でも、それにしたって、
タロットカードの恐ろしさよ。
鋭く切り込んでくるんだよなー。
面白すぎる。
出なきゃいいのに、
と思うと引き当てるこの状況、
一体、どういう状況だろうか。
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ゴミは自治体の指定にしたがって下さい。

2024-09-07 11:36:00 | 日記
ワンオペ業務中。
「◯◯さんて、そこの理容店の娘さんですよね」
と、たずねてきたお客様。

なんで、それを知っている?

いやだなー。
こうやって、家を特定して云ってくる人、たまにいるんだよな。

「僕のこと、覚えてませんか」

と云われ、顔を見たら、
なんか、見覚えがあるような、
ないような。

「就労センターの者ですよ」

と云われ、思い出した。
あー、帽子おじさんだ!

社会復帰のリハビリに通っていた就労支援施設センターの所長さんだった。
私は密かに、帽子おじさんと呼んでいた。
初めてセンターに行った日、
皆んなの前で挨拶する時に、
ずっと「挨拶の時は帽子を取ってね」と譲らなかった所長さん。
私は頑なに心を閉ざしていた時期だったので、
深く帽子を被り、顔を隠していた。
挨拶とは云え、帽子は絶対に取りたくなかったので、ささやかな抵抗を試みたのだが、相手は絶対に譲らなかった。
「挨拶の間だけでいいから、ちょっとだけ、取ってくれる?」
どうしても取って欲しい所長さんと、取りたくない私の意志が拮抗した。
ますます皆さんの視線は集まるし、地獄のような時間が流れた。
私が寝負けして帽子を取り、
挨拶するまで終わらなかった。

以来、私は彼のことを帽子おじさんと呼ぶようになったのだ。

その帽子おじさんはセンターを退職して、時々店を訪れては、私を見ていたらしい。

「声をかけたら悪いかなって、ずっと思ってたんだよ」

基本、お客様とは視線を合わせない接客を心がけているので、
よほど個性的なお客様でないと、
こちらからは気づかない。
声をかけられるまで、全く気づかなかった。
よく相手は覚えていたなと思った。

「あの頃は大変だったよね。
だいぶ元気になったように見えたから、良かったと思ってたよ」
と云って下さった。
「まだ通院しながらなんですけどね。
だいぶマシにはなりました」
と、こちらも自然に笑顔になれた。

あの頃は、笑うことすら難しかった。
センターの職員さんは皆んな優しくて明るくて、よく笑わせにきてくれたなと思い出した。 

この人たちは何がおかしいんだろうと思いながら見ていたが、
次第にセンターに通うのが楽しくなった。

お菓子の箱を作る仕事をした。
音楽を聴きながらやっても良かったし、疲れたら休んでもいい。
平和な場所だった。

この里山に越してきてからは、
本当に、色んな人に支えられてきたなと、あらためて実感した。
たまたまそうだっただけかも知れないけれど、
八王子では、酷い目にばかりあっていた。
仕事ができない私は、目上の人から疎まれていたし、
助けを求めた市の職員にまで罵倒された。
裏切ったくせに、元旦那は何度も何度も金の無心を繰り返す。
未来の選択肢の中に、
自死があったのは、今考えると、
本当に恐ろしい状況だ。

今は。
あと一歩のところまで来ている。
おそらく何をすべきなのか、
選択肢を増やせるくらいまで、
回復してきた。
何をすべきか。
理解しながら行動できていないが、
実際行動に移せたら、
多分、全ての鎖は断ち切れると
わかっている。

自分の未来に、こんな光景が待っていたなんて、あの頃は知らなかったよ。
でも、帽子おじさんは、
あの時なんであそこまで、
私の帽子に拘ったんだろうか。
俯いていないで顔をあげろとでも云いたかったんだろうか。
病んでいても、礼節はわきまえろと、云いたかったんだろうか。

謎は深まるばかりである。

「頑張ってね」

と云って、帽子おじさんは帰った。

私はいまだに、
俯いたまま、接客をしています。




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