記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

「これは何」

2012年08月12日 11時37分28秒 | Weblog
教養課程の一般心理学の講義は、この白黒2値の写真をスライドやOHPで提示し、分かった人から黙って手を挙げてもらうことからは始めたものでした。
知っている人は直ぐに分かります。
初めての人はヒントを聞いても分からず、しばらくして「あゝ、分かった」と言います。
輪郭が見えないから何の写真か分からない。
見えるまでの時間とその個人差も心理学のデータになる。
一度見えると悲しげな表情まで見える。
題を付けるなら例えば、「キリストのトルソ」。

イーグルマンの「意識は傍観者である」には、トルソが載せてあって、視覚における内部モデルや脳内部位の役割を説明していました。

ディヴィッド・イーグルマン(著)太田直子(訳)
 意識は傍観者である――脳の知られざる営み 早川書房 2012
原著:David Eagleman 2011 Incognito: the Secret Lives of the Brain

著者の主張は、われわれの意識は自分の脳の中で生じていることにアクセスできないということにあり、自由意思が有り得るかを問い、殺人を行った人の有責性についての今日の法律家の根拠は間違っていないか、を論じています。

われわれがトルソの写真を見て、どのようにして何が写っているか分かるようになるか。
内観だけでは、脳のどこで何が生じているかを知ることは出来ないでしょう。
神経活動のプロセスを特定することこそ出来なくても、予測や内部モデルがどのように機能しているかを理解することには寄与するし、それが認知神経科学が成り立つ背景になっていることは否定できないでしょう。

意思決定を行うのは意識そのものでないこと、意識は脳の命令者でないし、心の中核でも主役でもないことは、今日の認知神経科学を学べば誰でも同意できます。
しかし本書を終りまで読んでみて、どこにも意識が傍観者云々とは書いてありませんでした。

原題を“Incognito”にするよう提案する人が有ったことを著者は謝辞のところで感謝しています。これを「匿名者」と訳すのもおかしいし、水戸黄門のような「お忍び」とするのは更にいけません。
邦訳者はさぞ困ったと思いますが、誰の提案かは別にして、「傍観者」はいけません。
間違って期待し購入したものは「何だ、これだけか」と思うだけでした。
原著者が脳あるいは心という巨大システムを説明するために、そのパーツを中途半端に擬人化したのが、多分編集者たちの誤解を招き、誤解に誤解が重なって、そのような邦題を付けさせたのではないかと推測されます。



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